「ミスドの飲茶セットが食べたいと思ってたタイミングだったんですよ」

 助手席の同僚が弾んだ声音で言った。ようやく緊張が解け、少量ではあるが酒も入ったことも手伝って、普段より高揚している様子だ。私はハンドルを握ったまま彼女の顔を横目で見る。

「あぁ、食事の希望のジャンルを電話で聞いた時の話ですか」
「だってイタリアン、フレンチ、中華の三択で、たまたま目の前にミスドがあったら中華でしょ」
「それは人それぞれだと思いますが」

 彼女のぼやきには、彼女なりの不服の理由がある。つい先刻まで私たちはあるホテルの中華レストランで夕食を共にしていたが、彼女は仕事の服装のままであることが気がかりで、終始緊張が解けなかったらしい。ドレスコードがあるような店を選んだつもりはないが、チェーン店の感覚で中華を選んだなら無理もないのかもしれないと、退店した今では考えなくもない。実際のところ、彼女の服装は下品とも幼稚とも不相応とも感じなかった。

「七海さんは素敵なスーツだから良いですけど……」
「あなたも問題ないですよ。清楚で、お似合いです」

 彼女は途端に耳まで赤くしてそっぽを向いた。私が社交辞令を言わない質だと、高専時代からの付き合いである彼女はよく知っている。だから褒めた。私の打算的な一面を、おそらく彼女は知らない。
 彼女の自宅アパートまで数メートルの地点の側道に停車すると、ありがとうございますと言って彼女は頭を下げた。助手席のドアを押し開けた彼女を呼び止めるように、一度名前を呼んだ。私は運転席から外へ出ると、後部座席に置かれた紙袋を取り出し、彼女の正面に立った。

「これを受け取っていただけますか?バレンタインのお返しです」

彼女は驚嘆の声を上げ、私の顔と紙袋を交互に見た。

「えっ、いえその、だってさっき、あんなにご馳走していただいて」
「あれは食事のお礼です。バレンタインの夜の」
「……でも、価値に差がありすぎです。お返しもなんて……」
「あなたに渡すために用意したので、私に持ち帰らせないでいただけると助かります」

 その言い方はずるいです、と彼女が唇を尖らせる。紙袋を受け取り謝礼を述べながら、彼女は中身を見て固まった。有名店のマカロンの箱の外装にも目をまるくしているが、それよりも余程、彼女の視線を射止めたものがあった。今日、出先で興味を惹かれ贈ることを決めた、小ぶりなブーケ。店員と相談し、ピンクのチューリップとオレンジのスターチス、白のかすみ草をメインに誂えてもらった。それぞれの花のもつ意味の詳細までは知らないが、彼女から常に注ぐ優しさと、対する私の感謝が一つにまとまる感覚は、不思議な心地よさがあった。手の中のブーケをじっと見つめ視線を落とす彼女とは身長差が大きく、その表情はわからない。どうしましたと問いかける声に応えるように――彼女の目から零れ落ちた涙が、ぱたりと音を立てて花弁を濡らした。

「……ありがとう、ございます。ごめんなさい、つい、感動……してしまって」

 顔を上げた、その表情を見た瞬間、私は彼女の肩に手を回していた。彼女の額が私の肩口に当たる。彼女の姿を、他の誰にも見せたくない、そう思った。彼女が私の腕の中で、繰り返し、小さく嗚咽を漏らしていた。嬉しいだけ、幸せなだけなら良い、そう思うのに。どうしてこうも、いつも、私たちは肝心なことを声にできないのだろう。

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