幻のドラゴン | 25


バス停でこよみが小さく、だがはっきりと頷いたのを見て、七海は内心でほっと胸を撫で下ろした。
そして、釈明するように再度口火を切る。

「色々と、私が失言をしたと思っています。半年前の食事の時も、昨日のチェックインの時も」
「えっ……!?」
「ですが、その一つひとつを取り上げて蒸し返すのは……お互いに不都合がある気がしています」
「…………」
「問題を先延ばしにするようで、不本意な点もあるのですが。……鬼怒川さんはどうしたいですか」

しん、と沈黙がその場に落ちる。
こよみは七海の言葉を聞いて、ぐるぐると思考が高速回転を始める。
そして、そこから言葉を選び取る作業が始まる。
だが、先の会話からして、七海は待つ姿勢であるようだ。
現に、困り果てた表情のこよみを前にして、七海は穏やかな表情のまま、プレッシャーを感じさせないようにしてか、こよみから視線を逸らした。

(つまり、お互いが“先延ばしでもいい”になればこの場は収まるってことだよね……)

と、こよみは思い当たるものの、七海が本当にそう考えているかどうかは疑問である。
何せ、七海は失言を繰り返したと思っている。それはつまり、考えが思い通りに伝わっていないことを不本意に感じているからだろう。
自分たちの会話はすれ違うし、思い通りには伝わらない。お互いがそれを痛いほど理解したという点で、かなり解決に近づいている。
その上、誤解なく会話をしたいという思い・相手を傷つけたくないという思いが共通認識となった。
七海とこよみの関係性は、前日の衝突を機にお互いが猛省したことによって、驚くほど好転している。

(……って、わたしは思っているけど!七海さん的には、合ってるかな……!?)

果たして自分は、七海にとって非情に面倒くさい奴になってはいないだろうかと、こよみはふとそれが気がかりになってしまった。
七海は優しいと、こよみは改めて思う。
“こよみを傷つけたくない”という気持ちが本音だとして、こよみは既に天にも昇る思いであるというのに、今後の衝突を減らすために自身が変わるべきだと言う。
面倒でも誤解を避けるためにきちんと話し合うべきだと言い、極めつけは“先延ばしで良いならそれもあり”、と。

「あ、あっ、あの、七海さん」
「はい」
「七海さんが不本意な点をすぐにはっきりさせたいなら、わたしはその、善処しますと言いますか」
「無理しなくて良いですよ。というか、言いたくないことは言わなくて良いと思います」
「だ、だって、七海さんが……ご自身の言ったことを“失言”だなんて自覚があるなんて、それってつまり」

こよみが七海の顔を見上げる。七海は至極真面目な目をしていた。

「それって、……わたしの考えていることだって、バレバレみたいなものなんじゃないかって、思うんですけど」

七海は失言の内容については触れない。蒸し返すことは“お互いに不都合がある”と言う。

こよみの予想はこうだ。
半年前の失言は「嫁に行け(意訳)」。
前日の失言は「答えになっていない」、もしくは「質問に答えていない」。大穴で、夫婦に間違われたことへの文句。

七海は少々の間を置いて、なんとなく、すらすらとはいかない口調で切り出した。やはり多少の負い目があるらしい。

「……確信はありません。あなたの口から聞いたわけではないので」
「…………」
「言ってほしいわけではありません。あなたがそれを言葉にしないのは、他でもない私のためなんでしょう」
「い、いいえ……いいえじゃないですけど、でもそれはお互い様ですよね……?七海さんは、私が傷つかないように気遣いを」

七海はふと目をまるくしてこよみを見た。
そして、ふっと小さく息を吹き出した。笑ってはいない。ただ少し、こよみの目には、ほっとしたように見えた。

「……私たち、どうやら同じようなことを考えていますね。相手に言わせることで、相手が思い出したり、考えさせることで傷つくことを懸念している」
「……そんな気がします……」
「どうでしょう。とりあえずお互いに考えは共有し、前進したのは間違いないと思います。先延ばしにしていることは、……まぁ、保留ということで」

七海のその言葉は、提案だった。
折衷案、落としどころとでも言うのだろうか。
“先延ばし”にされた問題が何であるかは、お互いに予想するしかない状況だ。もっとも、安易に取り扱える内容であれば、七海の性格であればこの場で言葉にするだろう。
ひょっとしたら、七海の考えている問題と、こよみの考えている問題は別のものかもしれない。
お互いに確認し合ったわけではないのだから、二人の間ではその疑問も含めて保留状態である。
それでも、この場はそれで良い段階まで前進したと言える。七海はそう判断している。
こよみは、大きく頷いて見せた。

「……はい。その提案に乗ります」
「最終確認ですが、いいんですか?」
「大丈夫です。……十分です。わたしにとっては。それに、七海さんこそ」
「ええ、もちろん。……むしろ、あなたがはっきりさせなくても良いというのなら、私にとってもありがたいです」
「え?」

どういう意味だろうか。こよみは小さく首を傾げる。
七海はその表情を見て何かを感じ取ったのか、口元を緩ませた。

「鬼怒川さん。私もあなたに言っていないことくらい、いくらでもあるんですよ」
「え……?」
「だから、気にしないでください。……あなたは私に傷ついてほしくないと言った。私のほうこそ、十分すぎる収穫です」
「…………」
「それとも、聞きたいと思いますか」
「い、いいえ。大丈夫です。……だって、お互い様なので」

こよみの言葉尻がぼそぼそと小さくなっていく。
ちょうどそのタイミングで、バスが迎えに現れた。こよみは照れ隠しのようにへらりと微笑んだ。
七海が事務室でよく見る笑顔だった。

「七海さん。ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」

京都にいる間に、ここまで漕ぎつけられてよかった。
こよみが独り言のようにそう呟きながら、先にバスに乗り込む。
その後方で七海は再度、胸を撫で下ろしたのだった。自分も同じ気持ちだと心の中で呟きながら。





こよみの隠し事。七海に伝えられないでいる、奥底の本音。
七海が好きで、恋をしていること。
やはりそれは、絶対に口にはしない。こよみのその思いが揺らぐことはない。
伝えたら、七海に答えを促すことになるだろう。
いつ死ぬとも知れない呪術師の七海に、要らぬ重荷を背負わせるのは、こよみには耐え難いことだった。

それよりも大事なことが、こよみと七海の間には山ほどある。
少なくともこよみは、そう考えている。
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