カトレア | 13


「へー、呪術師の学校があるんだな。ハリポタみてえ」

スモークサーモンとほうれん草のパスタをくるくるとフォークに巻き付けながら、小野が感心したように言う。
メイン料理の付け合わせのミニトマトを咀嚼し飲み下した後、こよみは肩を竦めてアイスティーのグラスを手に取った。

「ホグワーツみたいにわくわくする場所じゃないけど」
「ハリーたちだって大変そうだったし、意外と当事者はそんなもんじゃね?」
「それはそうかも」

こよみは至極真面目な声音で返事をするので、小野は内心でずっこけながら言葉を返す。

「いや、鬼怒川のは映画の話じゃないんだから納得すんなよ」
「……呪いに耐性ができると、見える世界が変わってくると思うよ。小野くんは大丈夫?」
「ん?なんで?」
「だって……」

こよみは僅かに声量を落とし、そこで言葉を切った。
小野はあー、と合点がいったように、申し訳なさそうな表情のこよみの目を見つめた。

「別に平気だよ。人が死んだっていうか、殺されそうになったところを助けてもらったんだからさ」
「……呪いのことってなかなか人にわかってもらえないし、わたしで良ければ話聞くから」
「それはむしろ、俺が鬼怒川に言いてえよ。ほら、デザートも頼め!ここのチーズケーキ美味いぞ!」
「待って!まだ全然食べ終わってないから!」

こよみは慌ててナイフとフォークを手に持つと、メイン料理のブリのソテーを一口サイズに切った。

週明け・月曜日の昼休憩。
この食事の席をセッティングしたのは小野である。

前日、こよみは七海に宣言した通り、小野の着信に折り返す形で電話をかけた。
小野はその電話に出なかったため、こよみは一度発信を切りメッセージアプリを開いたが、その瞬間に小野から着信があった。

「わっ、もしもし」
『鬼怒川!今は家?身体は大丈夫か?』
「うん。昨日治療してもらって、ゆっくり休めば大丈夫だって」
『そっか、ならよかった』
「心配してくれてありがとう」

こよみの穏やかな謝辞の言葉に一瞬押し黙った小野が、直後に『……明日は休み?出勤?』と声を続ける。

「出勤する予定だよ」
『マジかよ。無理してねえ?』
「うん、大丈夫。今日は早く寝るから」
『うーん……ま、止めても無駄だよな。明日、俺が昼メシ奢るからな。じゃ!』
「え、ちょっ……、もう切れてる……」

そんな一分にも満たない会話の後、小野はこよみの返事も聞かずに、電話を切ってしまった。
こよみはスマホをテーブルに置きながら、お礼のつもりなのかな、とぽつり呟いた。




二人の勤め先のオフィスビルから徒歩三分のイタリアンは、小野が気に入ってよく利用する店舗だった。
さっさとパスタを食べ終わってしまった小野の食器を、顔なじみの店員が下げに来る。
小野は「レアチーズケーキとアイスコーヒー、二つずつで!」と元気よく告げ、女性の店員は小野に対しにこりと微笑んで応えた。
こよみの注文したソテーがまだ半分ほど残っていることに気付くと、愛想の良い笑顔を向けた。

「営業さんって、食べるの速いですよね。デザートはもう少し後でお持ちしますね」
「え、あ、それわかります!お気遣いありがとうございます」
「言われてんぞ鬼怒川」
「いや、言われてるのは小野くんだから!」

二人のやり取りを見てくすくすと笑いながら、ごゆっくりどうぞ、と告げ店員が去った。
ふう、と息を吐きながら眉を八の字に曲げ、こよみは再び料理に向き合いフォークを動かし始めた。
空の食器を下げられ手持無沙汰な小野は、広く空いたテーブルの空間に肘をつき、手の甲に顎をのせてこよみを見た。

「七海さんと話す時もそんな感じ?」
「……んん?」

もぐもぐとブリを咀嚼しながら、こよみは口を閉じたまま顔を上げ小野を見た。ごくんと嚥下し、首を傾げる。

「あの店員さんと話す時みたいな感じってこと?」
「まぁ。それとも、俺と話す時と変わんない?」
「変わんないわけないでしょ。七海さんは三つも年上なんだよ」
「え?三つ?……鬼怒川って確か、俺より二つ下だよな?」
「うん」

こよみは頷くと、少し考えるように、視線を上に向ける。

「だから、七海さんは今……、二十六歳かな?」
「……マジ?俺の一個上?見えねえ……すげー大人っぽい」

小野が七海の何を見てそう言うのか、こよみは正確にはわからなかったが、“大人っぽい”という評価には同意するところだ。こよみはうんうん、と首肯して見せた。

「俺、少し七海さんと話したよ。鬼怒川のこと、学生時代の知人って言ってた」
「……そうなんだ。うん、そうだよ」
「学生って、その呪術師の学校の時?でも三つ上じゃあ、在学が被らないのか」
「呪術高専っていうんだけど、五年制だから被るよ。わたしが一年生の時、七海さんは四年生だったの」
「そっか……。そういやさっき、学生数がめちゃくちゃ少ないって言ってたな」
「うん。だから縦の繋がりもあったよ。その時、七海さんにはすごくお世話になった」

メインを完食したこよみがフォークを皿の上に静かに置いた。カチャ、と小さな音が鳴る。
ホールの店員がすかさず食器を下げに駆けつけ、こよみは微笑みながら会釈で応えた。
その一連の動作をぼんやりと眺めながら、小野が口を開いた。

「七海さんと会うのは、久しぶりだった?」
「うん。……わたし、二年の時に高専を辞めたの。それ以来だから、ええと……七年ぶり」
「え、……」

“どうして辞めたのか”と、反射的に口から疑問が漏れ出そうになり、小野は慌てて唇を閉じ合わせる。

(何も知らなかった。鬼怒川が言わないから。……言いたくない理由が、きっとあるんだ)

不自然な沈黙がその場に落ち、小野はむずむずと唇を動かしながら、次の言葉を考えていた。
こよみは小野の所作から気遣いを察し、少々おかしそうに表情を緩め、声をかけようとした。

「お待たせしました、チーズケーキとアイスコーヒーです」

二人の間を通り過ぎてゆく、固さと緩さが混ざり合った微妙な空気をぶち壊したのは、先の店員の元気な声だった。

「あっ、ありがとうございます。ほら小野くん、ケーキ来たよ」

こよみは明るい笑顔を店員に向け、それから二人分のチーズケーキが隔てた先の、向かいの席の小野の顔を無邪気に見上げた。
小野は授業中の居眠りを指摘された子どものようにはっと覚醒すると、ぱちぱちと数回瞬きをして、こよみの顔を見つめ返した。

「……ケーキ来たな」
「ケーキ来たね。美味しそう!いただきます」

行儀よく両手を合わせるこよみの挙動を視線で追いながら、小野も追いかけるようにデザートフォークを手に取った。

こよみは心優しく、気安い性分だ。
相手が同期で同僚の自分だからというのもあるかもしれないと、小野は考える。

こよみの呪術高専時代の話は、まだ序章すら聞き出せていない。
だが小野は、これ以上踏み込むのはやめておこうと、自らにブレーキをかけた。
こよみに、言葉を言い淀む様子は見られない。だが、その核心は薔薇の花のように、無数のやわらかい層に包まれている。そんな予感がする。

高専を中退した理由も、七海との思い出のその一部ですら。

(なんだかなぁ。俺、何を知りたかったんだっけ……)

目の前にいるはずのこよみの心へ通じる道への踏み出し方が、小野には、たちまち見えなくなったのだった。
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