カトレア | 14


「ごちそうさまでした!」

明るい声音でこよみが言い、手を合わせる。
空になった食器に、飾りのミントとデザートフォークが並んでいる。
小野もワンテンポ遅れて完食し、フォークを置いた。

「小野くんの言う通り美味しかった!このチーズケーキ、何が入ってるのかな。梨?」
「黄桃らしい。メニューに載ってる」
「そうなんだ。お家でも作れるかなぁ」

メニューを手に取り、掲載されている写真を眺めながら考えを巡らせるこよみは、小野から見れば、甘いものにはしゃぐ普通の女の子である。

「……一昨日のことが夢みてえ……」
「うん?」
「鬼怒川って、気ィ使い過ぎて言い方が弱っちい時が多いじゃん。結界張ってる時、相当頑張ってただろうなって思って」

敵にも味方にも、決して弱気を悟られぬ様に。
二日前、敵の眼前に立ったこよみがそうした振る舞いをしていたのは事実だ。
小野にはこよみの呪術の実力など測ることは不可能であり、想像もつかない。
それでも、気を失い血を流すほどに消耗した姿を目の当たりにして、“頑張っていない”などと表現できる者が在るだろうか。

呑気な表情でレアチーズケーキを頬張るこよみを見るにつけ、小野は、自分は悪い夢でも見ていたのではないかと勘繰りたくなってしまう、そんな心境だった。

「一応、わたしも元・呪術師だから……。危ない目に遭ったことはあるよ。一昨日は本当に怖かったけど……」

こよみがゆるくかぶりを振って言葉を返す。“本当に死ぬかと思ったけど”という言葉を、声にする前にすり替えた。
小野は、今更蒸し返してこよみの元気を削ぐつもりも、自分の恐怖体験を再度掘り起こすつもりもないが、今話しておかないと機会を逃してしまうと感じていた。

「……そうだよな。状況をよくわかってたもんな、おまえ」
「うーん。呪いって独特の気配があるの。それで途中、誰かが助けに来てくれるってことだけはわかった」
「…………」
「だから、あと少しの辛抱だって思って……それまで耐えなきゃ、頑張らなきゃって思って、必死で」
「……それで、七海さんが来るまで粘ってくれたんだな」
「結果的には粘れなかったけどね」
「そんなことない。…………本当にありがとな」

こよみは目をまるくした。小野の視線が、逃げるようにそっぽを向く。

「……、あのね、一人だったら諦めてたかもしれない。小野くんがいてよかったよ」
「おまえさぁ。……まぁいいや」

何故か呆れたような顔で大げさに溜め息をつく小野に、こよみは僅かに首を傾げる。

「え?なに?」
「別に。よく照れもせずそういうこと言えるなって思ったけど、鬼怒川は割といつもそうだったなって」
「あはは。……結構色々なことを言わずにはぐらかしてるのに、そんな風に思われてたんだ」
「真面目そうに見えるって、そういうところが得だよな。俺なんて真面目に話しててもふざけんなって言われるのにさあ」
「愛されてる証拠でしょ。わたしは、掘ってもどうせ面白くないだろうな〜って思われてるんだよ」
「はぐらかしてるって白状したってことは、鬼怒川がそう思われたくて仕向けてるんだろ?」

実にのんびりとした空気が流れる中、やけに緊張感のある会話だった。
小野とこよみは一瞬互いに沈黙した後、ほぼ同時に肩を竦めた。

「……小野くんって賢いよね」
「鬼怒川もな。でも、意外と不器用だな」

こよみは「全然意外じゃないよ」と言いながら、へらりと笑顔を見せる。
なんにせよ、小野の中でこよみへの印象は、少々違うものに変わっていた。
変化というよりは、増加だろうか。
呪いという新たな概念が、そこに深く関わる人間や組織の存在と共にあらわになった。
単なる仕事仲間のこよみが、呪術師という過去を持つ人間となって、小野の世界に新たに現れたのだ。
そういった現象はないことではない。立場や環境、金や病気、性自認等。
あらゆる要素が人を変えるし、そういった要素がその人にあることを知ることで、見る側の『見る目』が変わる。

「……“もっと知りたい”は、危ねーんだよなぁ」
「……どういう意味?」
「言わん」
「気になるじゃん」
「それが“もっと知りたい”だよ」
「ええ?わかんない」

こよみの表情が先刻とは一転して怪訝なものに変わったので、小野は反対ににやりと笑って見せる。
自分が僅かに自覚しかけた感情を、こよみに理解されては困る。

ぶすくれた表情のこよみが、ふうと細く息を吐きながら「ねえ、」と不意に口火を切った。

「なに?」
「これはわたしの知り合いの話なんだけど」
「唐突だな……」
「……あ、憧れの男の人に、また会ってほしいって言ったんだって」

はあ、と小野が気のない反応を示すと、こよみが僅かに視線を泳がせた。
直前の会話のこよみの声が、途端に勢いをなくしたこと。
切り出し方に脈絡がないこと。
何故か縋るように、余裕がない表情を浮かべていること。

(あー、もしかして)

小野は色々と合点がいき、それで?と、なんでもないようにこよみに次の言葉を促してみる。

「その人に……“こちらから連絡します”って言われた場合は、連絡って来ると思う?」
「…………」
「それとも、体の良い断り文句?」

こよみの上半身が食い気味にテーブルに寄っているので、小野は堪えきれずに唇の隙間から空気を吐き出す。

「え。なに?なんで?」
「……鬼怒川ってさぁ、なんでそんな、なんつーか……迂闊なの?」
「迂闊!?」

失礼な、とでも言いたげにこよみは口をへの字に曲げている。
まるで怒り方がわからないみたいだと、小野は思った。そして、それはきっと当たっている。
不服ではあるが、どう受け止めたら良いかわからない。だから、感情の返し方も不明瞭なのだ。

「やっぱり俺、おまえのこと未だによくわかってねーのかも」
「……う、迂闊と言った口でそれ?」
「わかんねーよ。鬼怒川が、七海さんのこと好きなんだな〜ってこと以外は、全然」

小野の目の前で、こよみが固まる。小野は構わず続けた。

「とりあえず、その質問の答えは“その人次第”としか言えないと思うよ、俺は」
「…………」
「誠実な人なら言う通りにするだろうし、いいカッコしたいだけの奴なら、その場しのぎじゃね?」
「う、うう……」
「七海さんがどういう人か、俺まだよく知らないし」
「待って待って待って。七海さんのことなんて一言も」
「七海さんの話じゃねーの?」
「………………はい……」

こよみはじわじわと熱くなる顔をテーブルにくっつきそうなほど伏せ、消え入りそうな声で答えた。

「わたしは……男の人の一般的な見解を聞きたかっただけなんだけど……」
「それはちゃんと答えただろ」
「“その人次第”は答えじゃない」
「じゃあついでに教えるけどさ、さっきの“もっと知りたいは危ない”って話」
「へ?」

こよみが顔を上げる。
その拍子に、テーブルの上の紙ナプキンがひらりと床に落下した。
必死な様子のこよみは、それにすら気付いていない。

「“その人のことをもっと知りたい”は、好きってことだよ」
「……、……何かの歌詞?」
「ありそうだな。知らねーけど。でもそうだと思わねえ?」
「…………」

「俺に質問したのは、七海さんの考えを知りたいからだろ?」

こよみは白旗を上げるかのように、テーブルに額をくっつけた。
そしてそのままの体勢で、こくりと頷くように、頭を一度だけゆっくりと動かしたのだった。
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