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 待ちに待った童磨さんとのデート当日。「苗字なんか気合い入ってない?まさかデート?!」と誰が見ても口を揃えるくらい着飾った私は、更衣室でも入念にメイクや服装の最終チェックをしていた。普段は楽だし動きやすいという理由でパンツスタイルが多いのだけど、今日は思い切ってワンピースを選んでみたのだ。先日百貨店で購入したこのフレアワンピースはお値段こそ可愛くないものの、同僚や先輩達からはなかなか好評で待ち合わせの時間がより一層楽しみになってくる。

「いや〜デートってわけじゃないんですけどでもデートに限りなく近いっていうか何というか……」
「えー何それ意味深〜!あ、じゃあ夕方になる前にとっとと帰った方がいいよ。部長に見つかったら超面倒な仕事振ってくるから」
「超面倒な仕事?」
「うん、なんか全然関係ない部署の原稿とか普通に押しつけてくるんだって。ありえないよね〜」

 それ最悪ですね〜と先輩と一緒に笑っていた私だったが、この時はまだそれが自分へのフラグだと気付くはずもなく。夕方「お!お疲れー苗字さん」と部長に声を掛けられてようやく自分はピンチに片足を突っ込んだのだと思い知った。

「あ……お疲れ様です、部長」
「苗字さん最近よく頑張ってるみたいだね〜!残業もたくさん引き受けてくれてるようだし。偉い偉い!」
「は、はあ」

部長にバレないよう慎重に一歩一歩後退りを試みる……が。

「ところでさぁ苗字さん、ちょっと急ぎの原稿があるんだけどこれからお願いできないかな?」
「……すみませんが、今日はこの後用事が」
「困ったな〜他に誰も頼める人がいないってのに。こうなったら有給で休んでる奴に連絡して来てもらうしかないかなぁ」
「……」
「ねえ、どうしようか苗字さん」
「……私」
「んん?」
「………私、やります」


 カツカツと大袈裟にヒールの音を響かせながら部署に戻り、部長から預かったばかりの原稿を力一杯自分のデスクに叩きつける。何なのあの人頭おかしいんじゃないの?さっきのって完全にパワハラだし、有給使って休んでる人をこんな時間にわざわざ呼び出すとか冗談にしたってありえないでしょ?!……そうだ、童磨さんに連絡しないと。悔しさで目に込み上げてくるものを必死に抑えながらLINEを開き、正直にこの旨を伝えると、すぐにスマホから軽い音が鳴って画面には童磨さんからの返信が表示されている。

『マジか〜残念だけど仕方ないね。また今度都合の良い日教えて!』

 童磨さん……。もうすぐで約束の時間だし、きっとすぐ近くで待っててくれてたんだろうな。そう思うと余計に悔しさが募っていく。
パソコンを起動させている間、こうなったら適当にパーっと仕上げてやろうかという考えも頭を過ったけど、そんなことしたって他の誰かにツケが回ってしまう可能性があるし、まだ新米ながら一応ライターと名乗っている以上自分のプライドがそれを許さない。結局は全てが無駄になってしまうだけなのだ。そんな意地だけを武器に戦うこと数時間。

「はあ〜終わった……!」

 やっとの思いで記事を完成させたのは21時を過ぎた頃だった。さすがにもう怒りは残っていなかったけど、空腹と倦怠感で頭がぼーっとする。ああ疲れた……早く家に帰ってカップラーメンでも食べよう。フラフラしながら電車に乗り込み、住んでいるアパートの最寄り駅まで到着すると、駅から外へと繋がる境目で人集りができているのが目に入った。え、なになにこんな時間に……まさか事故?しかし、理由はもっと単純なものだった。雨だ。雨が勢いよく降っている。えええ会社を出る前は降ってなかったじゃん……!立ち往生する人達に紛れて私も死んだような目で雨空を見上げていると、

「苗字?」

微かに名前を呼ばれた気がして、後ろを振り返る。

「?!と、冨岡さん……?!」

そこに立っていたのは見慣れない私服姿の冨岡さんだった。

「えっ、えっ、何やってるんですかこんな所で……」
「何もしていない。これから家に帰るところだ」
「家?冨岡さんって喫茶店の二階に住んでるんじゃ、」
「あそこはマスターの自宅だからな。マスターが奥さんと2人で住んでいる」
「そ、そうですか……」
「苗字こそこんな所で何をしてる」
「え?えーっと……私もただ家に帰ろうと思って、」
「……まさかとは思うが傘を持ってないのか?」

 し、視線が痛い……!何も言えずに黙りこくっていると、「家はどの辺なんだ」と聞かれて「C町ですけど…」と答える。すると少しだけ間が空いて、

「奇遇だな、俺もそっち方面に住んでいる」
「……」
「ほら、早く行くぞ」
「は?!ちょ、ちょっと冨岡さ……!」

 腕を引っ張られた勢いで雨宿りをしていた場所から身体が一歩分外へと飛び出してしまい、意思とは関係なしに冨岡さんが差す傘の中にすっぽり入り込む。不本意だけどそろそろ空腹が限界に近いし、背に腹は変えられない。

「……よろしくお願いします」

 今回ばかりは善意をありがたく頂戴しようと、私は冨岡さんの左隣に並んで歩くことに決めたのだった。





「あ、あの!冨岡さん!」
「なんだ」
「言おうかどうか迷ってたんですけど、さっきから地味に歩くの速いです!できればもうちょっとゆっくりお願いします…!!」

 スタスタとマイペースで歩く冨岡さんと、履き慣れない高めのパンプスのせいで私の足は早くも限界を迎えていた。これも冨岡さんには黙っていたことだけど、長いこと傘からはみ出たままの左肩も既にじっとり冷たくなっている。

「……冨岡さんってこういう経験あんまりないんですか?」
「こういう経験?」
「ええ、例えばこうやって女性を傘に入れてあげたりとか……」
「ああ、ないな」
「え……本当に?」
「嘘をついてどうする」

 ちょっと意外だった。だって、冨岡さんって性格は難ありだけど顔はまあ……普通に良い部類に入ると思うし。だから恋愛経験だってそこそこあるんだろうなーなんて勝手に思ってしまったのだ。

「それより、何で今日に限ってそんな歩きにくそうな靴を履いてるんだ」
「あー……私、本当は今夜童磨さんと食事に行く予定だったんです。でも急に残業が入っちゃって、」

あ、ダメだ。この話題になるとどうしてもあの部長の顔がちらついてしまう。

「苗字」
「はい?」
「お前、童磨のことどう思ってる?」

何の前触れもない直球どストレートな質問に心臓がドキッと跳ね上がる。

「ど、どう思ってるって……その、急に聞かれましても」
「好きなのか?あいつのこと」
「……そりゃあ好きか嫌いかで言ったら断然好き、」
「……あいつはやめておいた方がいいと思う」
「……へ?」
「童磨は多分、お前が思ってるような男じゃない」
「……あの、それどういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。あいつはいつだって本当のことを言わない。そんな奴と付き合っても苦労するだけだぞ」

 え?さっきから何言って……。黙って隣を見上げてみるが、冨岡さんはまだ何か言いたげに口を開く。

「それに童磨は──」
「冨岡さんに、何がわかるって言うんですか」
「……は?」
「冨岡さん、童磨さんと仕事以外の付き合いあるんですか?きっと無いですよね?なのに全部わかったようなフリして童磨さんのことを悪く言うのやめてもらえません?はっきり言って不愉快です」

堰を切ったように流れ出る言葉はまだ止まることを知らない。

「それに、私と童磨さんがどうなろうと冨岡さんには関係ないじゃないですか…!」

 そこまで言ったところで、ようやく私はハッとした。隣にいる冨岡さんが、何とも形容し難い哀しい顔をしているのに気付いてしまったから。しかし、またすぐに元の表情に戻ったかと思えば、冨岡さんは「……そうだな」と小さく呟いて徐に傘の持ち手を私に差し向ける。

「使え。俺の家はもうすぐそこだから」
「え?でも……」

 半ば無理矢理受け取った傘を差しながら、私はずぶ濡れになりながら走り去る冨岡さんの後ろ姿をずっと眺めていた。

 自分でもどうしてかはわからない。けど、その姿が見えなくなるまで、ずっとずっと、眺めていた。

(2020/05/22)

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