雷門の皆を土手の上から密かに見つめていた青年は彼等の前に現れる事はせずただ見守っていた。
微笑ましい、と言うべきか。彼等の浮かべる笑みは本当にサッカーをやる事を楽しんでいる、そんな姿。そして、自分がサッカーを続けるきっかけとなった中学生時代を思い出しそうになっていた。

だけど、それと同時に自分がイシドシュウジとしてやってきた事を思い出す。
悠那の幼い笑みを見る度に、彼女の兄である上村裕弥の苦しそうな面影が必ず過る。
顔も知らないたった一人の妹の為に、自分の体をボロボロにしてまで守り続けた。フィフスに忠誠を誓っていた、あの上村の姿は、少しだけ自分と似ている、と重ねてきていた。
実際の所、自分よりもサッカーと向き合っていたから、きっと中学の時の自分より辛い目に遭い、自分よりサッカーと、妹と見つめ合っていたに違いない。
そんな彼は今――…

「――サッカー部の頃が懐かしいんじゃないか?豪炎寺」

不意に自分の思考を遮るかのように、自分の思考を否定しない声が聞こえる。それを聞いて、豪炎寺と呼ばれた青年は静かに後ろを振り返り、その二つの姿に微笑みかけた。

「良い物だな。信じあえる仲間がいるという事は」
「それが雷門だ!」
「…ああ」

そうだ。信じ合える仲間が自分には居た。だからこそ、今もこうしてサッカーを好きでいられる。雷門を好きでいられる。
上村裕弥にもきっと、そんな仲間という存在が出来て、妹の悠那と一緒にあんな風に笑い合える日が来る筈。
その為にも、彼の支援は必要になる。

ふと、悠那と目が合った気がした。

彼女は暫くこちらを見つめると、少し考えた後直ぐに笑みを向けて豪炎寺にピースを突きつけた。

――大丈夫

自分の予想は、今の悠那の笑顔で直ぐに確信へと変わった気がした。


―――――…………
―――………

次の日、悠那は珍しくあまり着ない自分の服を取り出し、近くの花屋で買った花束を持って靴を履く。
そんな彼女を見た秋は思わず声をかけた。

「あら、私服?珍しいわね」
『うん、今日もお見舞いに行くの』
「あ…裕弥君、だっけ?それならお見舞いの品持ってかなきゃね」
『え、いいの?』
「ええ。ちょっと待ってて」

秋も最近悠那が休日をサッカーではなく、お見舞いによく行く事を理解していた。その理由が尚更である。なら自分には何が出来るのか、それは労いのお見舞いの品を悠那に持たせる事。
秋は悠那にそう言うと、一度キッチンの方へ行き、暫くすると綺麗な小包を悠那の目の前に差し出した。
それに僅かに見覚えのあった悠那は目を見開いた。

「お見舞いのクッキーを昨日作ったでしょ?悠那ちゃん、失敗したからって諦めてたけど、実はとっておいたの。裕弥君、ずっと眠ってるから目が覚めた時お腹空いてるんじゃないかしら」
『あ、ありがとう秋姉さん。…でも、これ私の形失敗してるし、病人にクッキーって大丈夫かな』

まだ眠っているけど、仮に起きたとしていきなりクッキーを食べられるだろうか、というかこの形の悪いクッキーを食べてもらえるのだろうか、と若干苦笑になりながらも、秋の心使いには感謝するばかりだった。
少し不安があるが、悠那はクッキーの入った小包を照れ臭そうに見つめつつ受け取った。
そう、これは明日自分がお見舞いの時に持って行こうと思って作ったクッキー。手作り故に見事自分のクッキーは形の悪い物となってしまった。だけど、この際だ。持って行こう。

『行ってきます』
「うん、行ってらっしゃい」

いつ目覚めるのか分からない、そんな自分の兄に対してもいつでも会えるように気を抜かない妹。
秋は笑顔で見送ったが彼女の後ろ姿が見えなくなった時、悲しそうな切なげに見つめた。
今日、目覚めるかも分からないのに、悠那は無理しているのではないか、と。
だけど、悠那には自分がいる。天馬がいる。剣城がいる。雷門の仲間がいる。
いつでも支えられるように、見守っていかなくてはならない。

――――…………
―――………

「今日からこの学校で一緒に過ごす事になった、谷宮悠那さんです。皆仲良くしてあげてね」
『…初め、まして…私、名前…悠那谷宮。Nice to me to.』
「…あー、えっと、悠那さん外国からの帰国子女なんだけど、日本語を忘れちゃってるみたいだから皆とこうしてお話するのは少し難しいと思うの。けど、悠那さんも少しだけ日本語話せるし、皆ともお話したいと思うから、仲良くしてあげてね」

はーい!と目の前にいるクラスメートたちはそう元気よく返事をする。
でも、分かっている。こんなの返事だけだ。こんなの形だけだ。本当に仲良くしてくれる人は一人もいない。
幼い私でも、それぐらいは分かっていた。だって、昔もこんな事があったから。先生に言われて仲良くするのもどうかと思うぐらいにその時の私の心は荒んでいた。

「外国ってどこの国から来たの?」
「好きな食べ物なーに?」
「英語ってどうやって覚えた?」
『……』

分からない。日本語が、分からない。私は日本人なのに、日本語が分からなくなっていた。皆の言っている事が通じない。
席についた時、クラスの子達が声をかけてくれているのに、その離している言葉が通じない以上、どんな返し方をしたらいいのか、どんな言葉を言えばいいのか分からなくなっていた。転入初日から、私は泣きそうに目に涙を浮かばせていた。
静かに首を左右に振ると、クラスメートの子達も話しが通じないと分かった瞬間、他の友達の所へ行き、遊びに行ってしまう。
こちらとしてはそっちの方が気持ちは楽だったけど、やっぱり自分はこの国でも独りぼっちになる運命だったんだ、と痛感していた。
これから先も、一人。助けてくれる人は、居なかった。

『……っ、』

次の日から、学校に来ても誰も話しかけてくれる人は少数になってきていた。日に日に減っていく、自分を気に掛ける人。
そして、遂に一人だけとなった。

「ねぇねぇ、君の居たイタリアってどんな所だった?」
『……、』

松風天馬――
確か彼はそんな名前だった気がする。クラスメートの中で彼が唯一、自分に毎日諦めずに話しかけてくれた。しかもしつこいくらいに。彼もまたクラスの中では僅かに浮いていた。どうやら一人同士仲良くしようとしているのだろう。だけど、彼の言っている言葉は通じない。イタリアという単語が出て来たというくらいしか理解出来なかったのだ。
だから、今日も沈黙を貫く。沈黙を貫けば、彼だって諦めてどこかに行く筈。誰だってそうだ、きっと、毎日話しかけてくれるこの少年だって―――…

「あ、そうだ!」
『……、』

ほら、やっぱりね。暫く目を彷徨わせた後、わざと思い出したような声を上げて、どこかへと去ってしまう天馬君。このパターンは今までにもあった。話せない、話し続けられない、なら逃げてしまおう。そういう行動パターンなら、誰にでも分かる。
だからこそ、辛い部分もあったのだが…
でも、これで本当に自分は孤立した。

これから先も、ずっと――…

「ねぇねぇ!キミはサッカー好き?!」
『!』

目の前には、天馬が、どこからか持ってきたサッカーボールを抱えて私の机の上にドンッと置いて見せた。
そのボールから覗く彼の表情は、とても真剣そのもので、強く惹かれたのだ―――…



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