『帰ろう天馬』
「え…ユナ…?」
『ここで泣いてても仕方ない。帰ろう、天馬』

眺めていたと思えば、踵を返していつまでも頭を下げている天馬に声をかけた。あまりにも冷静な彼女の声に天馬も目を見開かせながら見上げてみれば、彼女の表情は小さく微笑んでいた。この状況で笑って見せるのはきっと悠那だけであり、そしてそんな彼女にも違和感を覚える。
どうしてこんな状況なのに笑っていられるのか、と。どうしてこんなにもあっさりと帰ろうと言えるのか、と。ついに天馬も悠那の行動が読めなくなってきてしまい、不安になってくる。だが、そんな違和感を覚えたのは天馬だけじゃない。この場に居る皆も違和感を覚えており、倉間なんて不快に思ったのか、眉間に皺を寄せていた。

「お前…神童が倒れたってのによく笑ってられるな!おい!!」
「く、倉間君…!」
「落ち着けって…!」

今にも殴りかかりそうになる倉間に、速水と浜野が抑え込む。だが、それだけで倉間を抑え込む事が出来ず、倉間はそんな二人を振り払い、悠那の襟首を掴んだ。
さすがの悠那も笑ってはいられずに黙って倉間を見やる。そんな彼女に倉間の苛立ちは更に溢れだし、肩を震わせていた。

「お前…さっきからおかしいんだよ!この病院に来てからずっとだ!神童が倒れたってのに、無表情で…お前には、もう少し思いやりのある奴だと思ってたのに――」
『病院、嫌いなんです』
「は…?」
『だから、病院嫌いなんです。
この無機質な音も、この薬品の匂いも、あの赤い蛍光灯も、この静かな空間も』

倉間の苛立ちが頂点に達した時、悠那が淡々と答え始めた。その答えが何とも倉間の聞きたかった事と食い違っており、むしろ今の状況に無関係そうな事を言い始めた悠那に倉間も茫然とし始めた。確か悠那は何度か病院に来ていた筈だ。剣城の兄である優一の見舞いや、太陽という少年の見舞い。そして、自分の足を負傷した時にこの病院で診て貰っていた筈。
あまりにも矛盾した言葉に、倉間どころか天馬や剣城もまた疑問符を浮かべていた。

「んな事、今関係ねえだろ…」
『関係ないですよ。でも、』

そこまで言うと、悠那は倉間から目を離して再び手術室の扉を見やる。そこには先程まで神童が手術を受けていた場所であり、もう蛍光灯は光ってはいない。
関係なくても、思い出してしまうものは仕方ない。嫌いだからこそ、ここから早く出たい気持ちもある。確かにここにはお見舞いとかで来た事は何回かあったけど、その時はその時で別に嫌ではなかった。そう、状況によって病院が居心地が悪いものになってしまう。それは勝手な判断で我が儘だが、どうしても嫌だった。
だが、とうとう言葉を続けられなくなってしまった悠那も黙り込んでしまい、再び静まり返る雷門イレブン。そんな彼等達を見て、空気を変えようと春奈がパンッと手を叩いた。

「っさ、皆。神童君の心配も分かるけど、帰りましょう?ね?」

その言葉により、ようやく天馬達は動き始めた。

病院から出てみれば、もう陽が傾いており今にも太陽は沈んでしまいそうになっていた。まるで今の雷門の気持ちを表しているようで、気分も落ちて行くばかり。外に出ればキャラバンが待っており、雷門の皆がそれに乗っていこうとする。
悠那もまたその中に入って行こうとした瞬間、視界に誰かが入ってきた。

「悠那…!」
『え…環…』

声をかけられるまで気付かなかったが、声のした方を向いてみればそこには冷や汗を垂らしながらこちらを見ている環の姿があった。彼女もまた神童の事が心配だったのだろうか、周りの雷門イレブンのメンバーの目を気にしながらも悠那に近寄ってきた。

「あの、さ…神童先輩、どうだった…?」
『あ…それが…』

乗ろうとしていた足を止めて環の方に歩み寄れば、環は躊躇しながらも聞いてくる。あまり口外しない方が良いと思われるが、彼女も応援に来ていきなり神童を倒れた所を見てしまってやはり気にせずにはいられなかったのだろう。
悠那も、なるべく伏せながら話そうと神童の容体を言おうと、口を開いた。

「――お前…もしかして、環か?」
「え…?」
『…?』

ふと、口にしようとした時、悠那の背後から声が聞こえてきたのが分かった。この環という少女は悠那と同じクラスの友達であり、バスケ部に所属。だから彼女をよく知っているのはこの雷門の中では悠那一人だけであり、他校の人物なんてもっての他。にも関わらず、彼女の事を呼び捨てにし、環もまた悠那の背後を見た瞬間、目を見開いている。
悠那もまた、違和感を覚え始め後ろを振り返れば、そこには珍しく目を見開かせている逸仁の呆然としている姿が見えた。だけど、逸仁の目線は悠那ではなく悠那の目の前に居る環へ。そして環もまた逸仁を見るなり呆然としている。
一体この二人に何があったのか、どういう関係なのか、疑問が悠那の頭の中でぐるぐると回る中、次の環の一言により解決しようとしていた。

「兄さん…」
「環…」
『へ…?』

お互いに指を差しながらお互いに確認を取る二人の間で、悠那は一人間抜けな声を上げながら改めて二人を見比べる。そして、後ろからもまたざわざわとざわついて来ており、この状況をどうやって打破しようかと色々と悩んでいれば、そろそろ出発したそうにしている古株が窓から顔を出してきた。

「谷宮ちゃん、そろそろ…」
『え、あ…はい!今行きま――…』
「待って悠那!!」
『え…』
「あの!悠那とこのチャラ男借ります!」
「チャラ男って…」

悠那と逸仁の腕を掴み、どこにも行かせまいと言わんばかりに古株に言う環。そして、二人の腕を掴みながらどこかへとぐいぐい引っ張っていく。もちろん古株も鬼道も春奈もまだ許可もしてはいない。今の確認は果たして必要だったのであろうか、と春奈が鬼道の方へと視線をやったが、鬼道は黙っているだけであり、何も言わずキャラバンの中へと入って行った。

…………
………

「そっか…神童先輩、決勝戦出れないのね…」
『うん…』

ギコギコと自分が座っているブランコを揺らしながら、悠那の話しを聞くのは悠那と逸仁を無理矢理公園へと連れてきた環。その彼女の隣に空いていたブランコに座る悠那に、ブランコの目の前にある柵に座ってみせる逸仁。逸仁も黙って悠那の話しを聞いていた。
時間は6時を過ぎており、公園には誰も居なくその場にはこの三人しか居なかった。ブランコに乗ったのも何年振りだろうか、と懐かしそうに感じていれば不意に逸仁がはあ、と溜め息をついた。

「お前、俺に何か聞きたい事があったから連れてきたんだろ。何ちゃっかり友達まで巻き込んでんだよ」
「うっさいバカ兄貴。二年間家を出てどこに行ったかと思ったらサッカーしてるなんて」
「お前こそこの二年間変わったと思ったら相変わらずの捻くれじゃねえか」
「はあ?バカ兄貴こそこの二年前まで根暗だったのにどんな訳かネジが外れたみたいにヘラヘラ笑っててバカじゃないの?」
「言うじゃねえか…」
「何よ?」
『ちょ!!ストーップ!!え、何二人共…兄妹なの…?』
「「そうだけど?」」
『いや…そんな当たり前みたいな顔されても…』

今にも喧嘩が始まりそうな所で一旦悠那が止めに入る。そして、自分のもしかしたらという予想で二人に聞いてみれば案の定二人は声を合わせて肯定してきた。肯定するのにあまりにあっさりとしており、悠那も思わずツッコミを入れる。

『でも、逸仁さん。名字違いますよね?』
「ん?俺の今の苗字は仮だよ仮。本当の名前は平山逸仁」
『ええ!?』

まさかの真実により、悠那は目を見開かせて大声を上げる。今まで名前で呼んでいたが、名字が違うという事に驚きを隠せない。隣に居た環もまた、偽名の事で驚いていたのか驚いた様子を見せている。だが、改めて彼の苗字とこの二人が兄妹と分かると、どこかこの二人は似ている気もする。
同じ黒髪に、若干垂れている目。どことなく似ていた。
ふと、思い出されるのは逸仁がいつぞや言っていた自分に妹が居るという言葉。

『(私と同い年だし…環だったんだ…)』

頭を撫でられた時、どこか懐かしい感じがしてもしかしたら自分の兄は逸仁なのではとか勘違いしていたが、これで自分の中にあった疑問がどんどんと解決していった。
それまでの道のりがかなり長引いていたが。

「偽名まで使って…今まで何してたの…」
『(え…環、逸仁さんの事知らないの…?)』
「お前には関係ないだろ…」
「関係なくないわ!どれだけお母さんを心配させたと思ってんの!」

ガチャンッと音を立ててブランコから立ち上がる環。あまりの勢いにびくっと驚いてしまったが、それ以上に彼女のこんな困ったような怒っているような顔を見るのは初めてだった。いつも学校では元気に笑顔で話しかけてくれる環。そんな彼女が今では感情を露わにしているのだ。
そして、そんな彼女の訴えに対し、逸仁は一度も環を見ようとせず再び口を開いた。

「母さん、元気か?」
「…元気だと思うのなら、確かめてみると良いわ」
「って事はそうでもねえって事か」
「…お母さん、最近調子悪いの。今はまだいいほうだけど、このままじゃ…お父さんだって、仕事大変そうだし」
「そうか…」

これは、聞いていてもいい内容なのだろうか。明らかにこれは家族の事情という物である。それに、先程の逸仁の偽名にどこかで聞いたことのあるような話だ。それは悠那自身かき乱す事であり、逸仁の辛い過去という物もある。何故逸仁はこんな事をしているのだろうか、何故誰にも頼らずここまでしているのか。
目線をふと、逸仁の方にやれば、彼は苦笑の笑みを浮かべていた。

『逸仁さん、どうして…』

裕弥みたいに偽名を使ってまでフィフスに関わろうとしているのか。そこまで考えてから、悠那は思い出した。
上村裕弥という少年がどういう人生を送ってきたのか、どんな思いで妹の為に動いてきたのか。逸仁もまた、環や環の家族を巻き込みたくないと、そんな思いで今まで平山ではなく、壱片と名乗ってきたのだ。そこまで思い出して悠那はまた目線を伏せた。逸仁は好き好んでフィフスの方に居る訳ではない。

「あの、上村さんって人が関係してるの?」
『「!?」』
「な、何言ってんだよ…環…」
「上村さんが自殺した日から兄さんは変になった。その次の日には、誰にも言わず、出て行った」

どうしても原因が見つからない。だけど、きっかけはあった。逸仁が裕弥と仲が良いと話しに聞いていた。だから、環も自然に裕弥を知る事は出来た。だからこそ、環にはそれしかないと考えていたのだ。図星を突かれたであろう逸仁の方を見てみれば、彼はいつもみたいな笑みを浮かべてはおらず、ただひたすら冷や汗をかいている。

「教えて、兄さん」

たった一人の妹である環に追い詰められていく逸仁はただひたすら彼女の真剣な眼差しを受け止める事しか出来なかった。



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