この病院に来たのも何日ぶりだろうか、すっかり薬品の匂いは慣れたと思われたが、やっぱり嫌いだ。この無機質な音も、あの赤い蛍光灯も、この静かな空間も。
もう誰も口を開いていない。それもそうだろう、ここの病院にはフィールドで受け身を取れず打ち所が悪かった神童が手術されているのだ。容体は分からないけど、もしかしたら本当に危険なのかもしれない。
だから…

『(だから病院は嫌いなんだ…)』

ふと、脳裏に思い出されるのは自分の母親が病院に入院した時の頃の記憶。自分の所為で母親を傷つけてしまい、看護婦さん達は大慌て。父親が自分の所為ではないと言い付けるように待合室で待たせて一人母親の所へと行ってしまう。流れるように看護婦さん達も入っていき、自分はただこの空間で待っているだけだった。こんな事を考えてるのはきっと自分だけじゃないだろう。きっと、剣城だって兄を待つ時自分と同じ事を考えていただろう。
何度、何度ごめんなざいをここで言ったのか分からない。
座る事も落ち着かなく、立っていたがもうそろそろ立っているのも落ち着かなくなってきて自分の足元を見るなり爪先を地面に叩き付ければ、足音が聞こえてきた。
そちらを見れば、鬼道がこちらに向かってきており、それを見た部員達は鬼道の元へと駆け寄った。

「……神童は、緊急手術を受ける事になった」
「緊急手術!?」

…………
………

自分の目の前には赤く光って見せる蛍光灯。手術中と書かれたそれを、ただひたすら見上げていた。もう随分とこの蛍光灯を見ていないが、いつ見ても嫌になる。自分の母親も、この扉の向こうで手術を受けていた。京介の兄である優一も、そして顔も知らぬ自分の兄も。正直この蛍光灯を見て良い思い出がない。いや、あったらあったで人格が狂いそうだが。
目がちかちかするが、一瞬も目を離せない。離してしまったら、それこそ自分が狂いそうで仕方ない。お願いだから無事でいてとはもう言えないが、せめて早く良くなってほしい。

「神童君のご両親ももう直ぐ着くそうです」
「そうか」
「まだ、終わらないんですかね?…いくらなんでも長すぎですよ…」

春奈が近くにあった公衆電話で神童の御両親と話してその両親もこちらに来るという。そこで速水がいつまでも光っている赤い蛍光灯を見上げながら呟いた。
まだ終わらない、という事がどういう意味をするのか。考えただけでも、不安になってしまう。速水の独り言を聞いていた天馬もまた、表情を曇らせた。
そして、脳裏に思い浮かぶのは今までの神童とのやり取り。それが更に不安を煽ろうとした時、目の前の赤い蛍光灯が点滅した。

「終わったぜよ!」
「!」

ランプも消えて、天馬がハッと我に返った時、扉が開き中からさっきまで神童を診ていただろう医者が出てきた。
そこで鬼道が先生、と呼び春奈と共に深くお辞儀をする。監督と顧問であるその二人に医者が近付けば、三国や霧野、車田までもが医者の元へと駆け寄った。それを見て、速水や倉間や天城、浜野も近付いて行く。
医者の深刻そうな表情を見る限り、嫌な予感はしていたが、先輩達に囲まれていた医者は首を振るだけだった。

「(まさか…)」

その医者の様子を見て、天馬は再び嫌な予感を感じた。何故首を横に振ったのかを、理解しようとしたとき、再び手術室の扉が静かに開いた。
そちらを見てみれば、寝台に乗せられ眠っている神童が出てくる。

「(そんな…キャプテンが…?)…キャプテン!」

寝台を引くのは少し年を老いた人と、冬花の姿があった。天馬が手術室から出てきた神童に近付いていけば、引っ張られるように三国達もまた神童の元へと駆け寄って行く。医者が首を振ってからかなり不安が募っており、今すぐにでも神童を起こしたい思いまでもが溢れてくる。そんな不安そうな天馬達を見て、冬花は小さく微笑みながら彼等に落ち着くよう、口を開いた。

「手術は成功よ。心配ないわ」

流石は看護婦なだけあるのか、天馬達はその冬花の言葉に安心したのか、小さく安堵の息を吐く。
冬花と一緒に寝台を運んできた看護婦もまた、そんな彼等の反応を見て小さく笑みを浮かべるも、彼等から離れてこちらを見ていた少女を見つけた時、少しだけ目を見開かせた。
だが、それも一瞬であり、看護婦は苦笑の笑みを浮かべた。

「(あの子のあんな顔…久し振りだわ…)」

睨みもせず、心配ないと言われても笑みを浮かべないその少女。真顔で神童の横顔を見つめるその少女は以前に病院で見たあの子なのだ。そして、壁際には自分とぶつかったあの少年も居る。あの二人はまだ、サッカーをやってくれているのか、と小さく微笑んでいれば、冬花が声をかけた。

「婦長、そろそろ…」
「そうだったわね、行きましょう」
「はい」

今はこんな事を感じている場合じゃない。事は一刻を争うのだ。婦長と呼ばれたその女性は改めて神童の寝台を引き、冬花もまた押して行った。
それを見送った後、葵が天馬に近付いて一言声をかけた。

「良かったね、天馬」
「うん」

だがしかし、二人の安堵も次に聞こえてきた言葉に再び不安に戻されてしまう。

「一ヶ月は安静!?」

車田の荒い声。病院の中ではその声はかなり響くものであり、そちらを見てみれば、医者の周りに集まっていた先輩達は表情を曇らせている。

「しばらくは右足をギブスで固定する事になるでしょう」
「「「「!!」」」」
「決勝戦には出られないって事ですか…?」
「残念ですが…」

医者の言葉に再び目を見開く天馬達。先程一ヶ月安静と言っていたが、今日準決勝で勝負がつきこれからが本当に革命を成し遂げ終えるという所で神童が倒れてしまった。直ぐに始まらないとはいえ、もう一週間もないというのに、一ヶ月待つとなると神童は試合に出られない。
春奈が声を震えさせながら医者に聞けば、医者の人も申し訳なさそうに言う。
それを聞いて、その場に居た誰もが愕然とした。

「(キャプテンが…出られない…?)

先生!何か方法はないんですか!?キャプテン…これまでずっと頑張ってきたんです!!ホーリーロードを優勝する為に…ずっと…っ」

そこまで言うと、天馬は医者の所まで駆け寄り神童の為に必死に訴えかける。その訴えが無駄だという事が、天馬も本当は分かっている筈なのに、こうして足掻いてしまう。それはまるで雷門へ入学したての時の、あの入部試験みたいに。いや、少しだけ状況が違うだろうが、やはり足掻けずにはいられない。
茜もまた、自分の愛用のカメラをぎゅっと抱きしめる。茜のカメラの中は殆ど神童の姿。最近では皆の写真を撮ったりとしているが、やはり大好きな人が大好きなサッカーをしている姿をしばらく撮れないとなると、辛い部分がある。

「お願いします!キャプテンが決勝戦に出られるようにしてあげて下さい!!お願いします先生!!」

深く頭を下げて頼み込む天馬。そんな彼の瞳からは沢山の涙が流れていく。それはまるで、皆の気持ちも受け継いで訴えているようで、周りも何も言えなくなってしまう。

「出来るなら…私も何とかしてあげたいが…」

だが、医者から言える事はこの一言だけ。いくら気持ちだけあっても、それだけの時間も必要なのだ。本当に神童の事を思うのなら、医者の言う通りにした方が完治しやすくなる。もし、これで神童が退院出来たとしても、結果的にはきっと試合には出して貰えない筈。
医者はそう言うと、天馬達の間を通り過ぎ、次の仕事に移った。

「神童…」
「何でだよ…何で、こんな事になっちまうんだよ!!決勝戦に出られないなんて……ここまで来れたのも神童が居たからこそじゃないか!…なのに…何で、神童が…っ」

どうにもならない事への苛立ちが、三国の中で爆発し吐き出してしまう。誰がこうなる事を予想出来ただろうか。キャプテンであり、自分達を引っ張ってきてくれた神童が、今では試合に出場出来なくなってしまっているではないか。
三国の言葉に誰もが悔しそうに、顔を下に俯かせ、天馬も頭も下げたまま。剣城もまた眉間に皺を寄せていた。

『(ああ…やっぱり、)』

――病院なんて嫌いだ…

天馬達が一人一人神童の心配をして悔しがっている中、悠那は一人手術室の蛍光灯を黙って見上げていた。
そんな時、再び誰かの足音がこちらに向かってきている音が聞こえてきた。最初は神童の両親だと思われたが、それにしては足音が少なすぎる。反射的にそちらを見てみれば、長い廊下を走ってくる逸仁の姿が見えた。

「神童は大丈夫なのか?」

はあ、と息切れをさせながら雷門の皆に尋ねてくる逸仁。彼の登場に目を見開くも雷門の皆は神童の容体を知ってしまったが故に誰も応えようとしていなかった。そんな皆の様子を見て、逸仁も何かを悟ったのか、さすがに渋い顔を見せる。観客席からでも見えていたからこそ心配になって来てみたが、まさか大事になるとは。

「そうか…」

何もかける言葉が見つからない、と言わんばかりに逸仁はそれだけ言うと顔を伏せる。どれだけ選んで言葉をかけても彼等には届かない。もしかしたら反感だって買うかもしれないのだ。へらへらだって笑ってはいられないのだ。
ふと、視線をずらしてみれば、視界に入ってきたのはただボーっと突っ立っている悠那。彼女は他の皆と比べて悲しそうにする事もなく悔しそうにする訳でもなく、ただ真顔で手術中という文字を眺めるだけ。ここまで悠那が冷静でいるなんて珍しいものだ、と逸仁が横目で見ていた時、悠那に動きがあった。



prevnext


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -