剣城の脳裏に黒木と悠那の言葉が再生されていた頃、ボールが龍崎から逸見に渡った。ボールを受け取った逸見が上がる中、霧野が相手を止めようと立ちはだかった。

「“ザ・ミスト”」

走りながら左手を薙げば、深い霧が霧野の後ろから出てきてそれは徐々に逸見を覆っていった。あまりにも濃い霧に視界を奪われた逸見は身動きが取れずに走る足も止めていた。霧野はそれを狙い、逸見の緩んだ足元にあったボールを奪った。静かでとても強力なディフェンス技。
あっという間の出来事だった。霧野がボールを奪ったと同時に消えていく。視界が自由になった時にはもう、逸見の足元にはあった筈のボールが無かった。

「スゴい、これが霧野先輩のディフェンス技!」

「剣城!!」

ボールを奪った霧野を見た天馬は尊敬するように声を上げれば、霧野は剣城にパスを出した。が、剣城は焦る表情を見せるだけで霧野の合図に全く反応せず、ただ呆然とそこに立ち尽くしていた。
トンットンッ…と最初は勢いがあったボールが、バウンドしていく度に力なく緩まっていく。

「剣城っ!!」

天馬の声にハッとした時にはもう遅く、霧野が剣城に向かってパスを出したボールは龍崎が拾ってしまった。

「戦意喪失という所か!!」
「うおぉぉ――!!」

天馬が龍崎のパスを取ろうと走り出しスライディングをかけるが、龍崎はそれをあっさりと軽く交わし、そのまま御門にパスを出した。
ニヤリと口角を静かに上げる御門。それを見た雷門の数人が冷や汗を垂らした。化身シュートが来てしまう。
誰もが脳裏で前半で決められた化身シュートが過ぎった。嫌な、走馬灯だった。

――ブチンッ…

『…の…に…』

誰かの糸が切れた音がした。すると、それと同時に動き出したのは顔を俯かせていた悠那。誰もが化身シュートが来ると思い、守備に入った時、悠那が御門の前に立ち塞がった。表情は顔を俯かせている為見えなく、口元を動かして何かを呟いていた。
だが、それはあまりにも小さすぎた為近くに居た人ですら分からなかった。中々聞き取れなかったので、耳を済ませて聞こうとしたが、もうあの呟きを聞く者はいなかった。

『はぁぁああっ!!』

顔を上げて少しだけ御門を視界に入れると、悠那は直ぐに高く飛び上がった。何をする気なのだろうと、皆が見守る中悠那の足元には風が纏いだした。
そして、

ビュオォ―――ッ!!

飛び上がったと同時に御門を足元から風の渦が包み込み、更に悠那が渦の外から蹴りを入れた。
悠那が蹴り込んだ瞬間、銀色に輝く鎌鼬が御門に襲いかかっていきボールを奪おうとする。
真空のような鎌鼬。
暫く御門はその鎌鼬からボールが奪われないよう足掻いていたが、鎌鼬の方がテクニックがあったのか奪われていった。

『“真空カマイタチ”』

悠那が静かに呟けば、ボールは徐々に悠那の元まで上がって来た。悠那の足元にボールは収まり、悠那は空中でそのまま宙返りをして、御門の背後へ地面に着地した。
御門に化身を出す暇を与えずにボールを奪った。

「ユナの…」
「必殺技…」

「完成したんだ!!」

可憐な胡蝶のように舞う必殺技。悠那の必殺技が今、完成された。葵の想像していたイメージと全く同じだった事に葵だけではなく天馬もまた嬉しそうにはしゃぐいでいた。皆が彼女の出来上がった必殺技を見て歓喜を上げる中、ストンとフィールドに着地した悠那の顔は無表情で、御門を黙って見ていた。そして、何を言う訳でもなく次に剣城を見た。
そこで悠那が口角を上げた。

『京介』

ちょっと、反省して
と、ニコッと口角だけを上げた笑顔を見せた後、相手から奪ったボールを誰にパスを出す訳でもなく、剣城に向かって蹴った。
もちろん、パスではなかった。

――ドンッ!!

「え…」
「は?」

悠那の蹴ったボールは見事剣城に当たった。ボールは腹へと当たったのか、剣城は痛そうに顔を歪めなて片膝を付きながら腹を抑え、顔だけ曲げて悠那を見た。

「うっ…ぐっ…てめえ…!」
『……』

剣城が必死に悠那へと睨みを効かせる中、ボールを当てた当の本人は笑顔を戻し、倒れた剣城を眉間に皺を寄せながら睨み返してきた。二人の間に異様な空気が流れる中、ボールはテンッテンッとフィールドの外に出てしまった。フィールドは愚か、ギャラリーまで一人の行動により静まり返っていた。
剣城は放心状態から我に帰った時にはもう遅く、咄嗟に少し体を後ろに下げる事で衝撃を和らげようとしたが、何故か動かずモロに悠那のボールを食らっていた。これがまだ必殺技じゃなかっただけマシだっただろう。痛さがジンジンと増してきている所を見てキック力は悠那も強いらしい。

「悠那!お前、何を…!?」
「ど、どうしたんですか!?」

ボールがフィールドの外に出て試合が止まった。それにより、全員は急いで二人に駆け寄ってきた。
三国と天馬、信助は剣城の元に行き彼の体を支え、残りは未だに黙ってい剣城を見ていた悠那に声をかけた。
突然の事で、皆も剣城自身も訳が分からなくなっていた。もちろん、それはベンチの方でも。

「え、円堂監督…!あれ…」
「悠那ちゃん?」
「何だ…?」
「え、円堂、さん…」

さっきまでベンチを立ってまではしゃいでいた葵の表情はそれが無かったかのように若干顔を青くさせていた。そして、不安そうにベンチで座っていた円堂に顔を向ける。同じく座っていた倉間もまた、目を見開かせており出るだけの声で呟く。春奈もまた、一度だけ見たことのある光景に不安そうな呆れてるような表情で円堂の方を見た。

「このままで良い」

そんな春奈や葵の顔を見ずに分かった円堂は目をフィールドから反らさずに微笑みながらベンチから見守る事にした。その微笑みの中に、若干の呆れがある事は恐らく円堂しか分からないのだろう。

「悠那!もしかして“アルティメットサンダー”が成功しないからキレてんのか…?」

霧野が今までに無い悠那の行動に動揺しながら肩を抑えてそう問いかけた。悠那がキレているのはきっとタクティクスの失敗だろうと言う霧野。確かに剣城は元シードだが、わざと失敗する事は出来る筈。その証拠に、剣城はボールを返す事は出来ているが相手を跳ね返す事が出来ていない。
手を抜いているようにしか見れない。そんな霧野の問いかけに、悠那はうんともすんとも言わずにただ黙っていた。
これは、肯定というべきか。今度は浜野が苦笑しながらも空気を和ませようとした。

「ちゅーかそれだったら「違います」…じゃあ、何で…」

だが、そんな浜野の言葉をも遮って答えた悠那の声は今までに聞いた事の無い程トゲトゲしかった。一気にその場に居る人達を直ぐに黙らせた。いや、これ以上何も言わせなくしているところを見ると、完全にキレている。
すると、悠那は自分の肩に乗っている霧野の手を払いのけた。

『退いて下さい先輩達邪魔です。私は京介の所為で今、虫の居所が悪いんです』

先程より少し悠那の声色が高くなったが、やはりどこか冷めており、払いのけられた霧野の手は元の位置に戻らずに宙を切っていた。
霧野達は悠那の様子に冷や汗をかきながらも悠那に剣城へと道を開けた。その間を悠那は戸惑いなく歩き始め、剣城に近付いていった。

『反省した?』
「ユナ、てめえ一体何を…」
『今は私が聞いてるの』

口元をあまり動かさずに剣城に問いかける悠那。剣城は天馬と三国に支えて貰い、腹を抑えながら悠那を睨み付けた。だが、悠那は剣城の言葉に耳を傾けず、そして睨むのも止めずに言葉を続けた。今までに感じたことの無い位の悠那の殺気を見た天馬達は、二人の問題だと徐々に離れていった。

『京介さ、さっきから何考えてたの』
「何って…」
『優一さんでしょ』
「っ!?」

図星だね、と剣城の驚く表情を見た悠那は小さく呟いた。一方、天馬以外の全員は「優一さん?」と疑問符を浮かばせていたが、悠那のいつもと違う様子に口が出せないでいる。そんな彼等を知ってか知らずか、悠那はまだ言葉を続けた。

『っね、優一さんの為にサッカーをするのが京介のサッカーだった?違うよね?』

剣城の表情を見た悠那は若干呆れるような笑みを見せて、剣城の襟首を掴み出した。
今までの剣城だったら犠牲が出てでも優一の為に動いてきた。だが、今は違う。彼自身が一人の選手として仲間に入ってきたのだ。
悠那の行為を見た天馬と三国は止めようとするが、それは悠那には効かなかった。剣城はこれで二度目だからか、あまり驚いてはいなく視線を悠那から外した。それを見た悠那は眉間に皺を寄せて唇を噛み締めた。

『優一さんに何言われたかなんて関係ない…

フィールドに立ったら、サッカーの事を考えろ!!ホイッスルが鳴ったら試合に集中しろ!!』
「っ!」
「…ユナ、」
「…悠那」

思わぬ所で出た悠那の怒り。それには流石に両チーム共驚いていた。あのマイペースで単純な悠那の怒りに剣城も思わず目を見開かせる。すると、悠那は唇を噛みしめたまま目を反らさずに剣城へ向けた。その顔は先程の怒りがあったなんて思わない程、悲しさで歪んでいた。

「…!」
『…嫌いだ、一人で背負い込む京介なんて、
大っ嫌いだ!!』

悠那はそれだけを言い、自分のポジションへと戻ろうとする。そんな彼女の剣城は呆然と悠那を見ていた。喧嘩をした時によくお互い「嫌い」と言った事はあるが、今までの中で、今の「嫌い」という言葉が重く剣城へのしかかった。
すると、隣から天馬が「剣城」と声をかけてきた。

「俺は、ユナの言ってる事、分かるよ」
「天馬…」
「剣城は今ちゃんとサッカーに向き合ってない、そんなんじゃ…そんなんじゃ、サッカーが泣いてるよ」
「っ!!」

そこで剣城はハッと何かに弾かれたような表情になった。泣いて間違いを訴える兄、悠那の叱咤。ボールが腹に当たった痛い以前にやけに重く感じられた。それでも、その痛みも二人が教えてくれた重さも捨てようとは思わない。剣城はギュッと手を握り締めて前を見る。その目からはもう、迷いは消えていた。



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