軽くにも地味に来る肩への衝動と痛み。剣城は人が来る事を気付けなかったのか、あまりの衝動に思わず手に持っていたポロポロの紙飛行機を落としてしまった。すると、相手も何かを落としてしまったのか、「あらあら」と呟いた。
これは明らかに自分が悪い、そう思ったのか直ぐに振り返った。

「すみません…大丈夫ですか?」
「ええ、私は大丈夫よ。でも、ちゃんと前を向かなきゃ…って、あら。京介くんじゃない」
「…?」

落とした物を拾いながらこちらに注意をしてきたのは、この病院の看護婦の長である婦長さん。
顔は少し皺が目立っており、年配にも見える。この病院に来る度に何度かその姿を見た事があるが、こうして話しをするのは初めてな気がする。だから、彼女が自分を知っているという事はまず無いだろう。名前なんてもっともだ。
そんな彼女が、何故自分の事を知っているのだろう。

「いつも兄の為に来てる京介くんだね」
「は、はい…」

この言葉からして、自分はかなり知られているらしい。その証拠に婦長さんはクスリと笑い、よく看護婦の中では有名なのよと愛想よく言われたものだから、どこか自分の中で照れるものがあった。
だが、先程の優一とのやりとりを思い出して婦長さんから直ぐに視線を外した。そんな京介の様子にも気付いていなかったのか、婦長さんはどこか懐かしそうな顔をしてきた。

「…ふふっ、あなたもあの子も…いつの間にか、変わっちゃってしまったのね」
「…え、」

あの子…?
意味深な事を言い出した婦長さんに、京介は疑問を感じ顔を上げた。今の言葉からして彼女は明らかに他の看護婦から聞いただけじゃなく自分の事を知っている。それに、自分と2TOPで出てきた婦長さんの言う“あの子”。誰の事を指して言っているのか分からない。
ただ、顔を少しだけ下にやった婦長さんの表情が寂しそうに見えた気がした。自分にもまだそう思える心があるなんてな、なんて不覚にも笑えてきた。

「…あら、それ」
「…?」

ふと、婦長さんが何かに気づいたのか京介の足元に目をやったと思ったら、そのまま膝を折り曲げ、地面に落ちている物を拾い上げた。
紙飛行機。それが、自分が先程婦長さんとぶつかった時に落とした物だと分かった京介は、婦長さんの手に収まる紙飛行機を、何も言えずにただそれを見ないよう、顔を違う所へと俯かせた。
こんなものが自分の近くに落ちていた事が知れたら自分の物だと勘違いされてしまうかもしれない。いや、実際には自分が先程まで持っていたからそうだが。すると、今になって自分の襟元を掴んできたあのマネージャーを思い出した。
あの時の言葉が、いやに明瞭で京介自身を異様に責め立ててくる。それが、嫌で京介は無意識に眉間に皺を寄せた。

そんな訳の分からない感情と戦っている京介を傍に、目の前でボロボロになっている紙飛行機を優しそうな手で持ちながらマジマジと見ていた婦長さん。流石に長年看護婦をやっているのか、その手で今まで患者さんを支えてきたのだろう。暫くそれを黙って見ていた婦長さんだったが、やがて紙飛行機を見る目が変わっていった。

「…そうそう、あの子も紙飛行機を持っていたわね。確か、大切な人から貰ったって」

再び懐かしそうな表情を浮かばせて呟かれたその言葉。一瞬、何を言っているのだろうと考えてしまったが、どうも婦長さんの言う“あの子”が、一気に自分の身近の者だという思考が出てきた。
そして、それと同時に京介の脳裏には随分と幼い顔でこちらに眩しい程の笑顔を向けてくる悠那の姿。
何故今、彼女が自分の脳裏に出てきたのかは分からない。やはり、あのマネージャーの言っていた自分があげた“ユナの宝物”なのだろうか。
自分が、彼女に与えた初めてのプレゼント。

「――っ!」

――…ああ、今になってようやく思い出したかもしれない。
そんな感覚を感じた京介は紙飛行機にもう一度目をやる。そして、今まで感じられなかった感覚が、今改めて感じられたどこか懐かしような感覚に、京介は目を見開いた。
確かに色は落ちて、形も歪でところどころ擦れているが、それは間違いなく自分が幼馴染みへと、悠那へと贈った初めてのプレゼント。

確かあの頃は、白い紙を持ってきては折っていた気がする。始めは折り鶴を作ろうとしていたが、幼かった自分の手では中々作れず、器用じゃなかった為、紙飛行機にしたのだ。それで兄の優一に紙飛行機は重さがあると上手く飛べないと聞き、何も乗せず、何も書かずに折っていたのだ。
それを五歳になって一時期イタリアから日本へ戻ってきた悠那に渡していた。渡したら渡したで彼女は予想外に無邪気に喜んでくれた。

まさか――…

「(――アイツ…まだ、こんなモン持ってたって言うのかよ…?)」

紙飛行機だぞ?何も書いていない、ただの紙飛行機だぞ?普通なら貰っても嬉しくない物なのに。とっくの昔に捨てられている筈なのに、バカじゃないのか?
ギリッ…と、いつの間にか作られていた京介の拳。
きっと、マネージャーが言う京介の想いが詰まっているというのは、自分がこの紙飛行機に託した自分の想い。

もう一度、悠那に会って一緒にサッカーをやりたいと、願った想い――…

それを10年も持っていた彼女もバカだと思ったが、そんな物を、そんな思い出を忘れていた自分もまたバカだと思った。
しかも、そんな事を忘れ兄の足の為にサッカーを捨て、悠那との約束を忘れて、挙げ句の果てには彼女を突き放したのだ。
恨んで当たり前なのに、それでも彼女は自分に近付いてきた。

ああ、自分はなんて――…

「…っ、」

バカな事をしてきたんだろう――…
握られていた拳が更に強さを増していくのが分かった。

「すみません、それ俺のです…」
「あら、そうなの?」

顔を伏せながら、震えだしてきた声を必死に抑えて婦長さんに言えば、婦長さんは呆気に捕らわれ珍しそうな顔をして京介を見下げた。表情は残念ながら伏せられている為、見えなかったが彼が何かに怯えているのかが分かった。それを見た婦長さんは、直ぐに微笑むかのような表情をして手に持つ紙飛行機を優しく包んだ後、京介の右手を掴んだ。
掴まれた京介は、それに驚いたのか顔を上げて婦長さんを見上げる。京介の目に自分に微笑みかける婦長さんが写った。

すると、自分の右手に違和感を覚えた。目を手にやれば、先程まで婦長さんの手に包まれていた筈のボロい紙飛行機。もう一度、婦長さんへと顔を戻した。相変わらずの笑みで京介を見ていた婦長さんが居た。

「大切にね」

って何言ってるのかしら、と軽く笑った婦長。確かにこんなボロい紙飛行機を大切に持つなんて余程の物好きだと思われる。そう、自分の幼馴染みのように。
だけど、今の京介にとってはバカげた話しではなくなっているのだ。大切にしなくては、という思考は流石に無かったが、これを元の持ち主に返す事をしなくては、というのは自分でもよく分かった。
悠那は、あの時までずっとこれを探していたのだろうと、思うと本当にバカバカしいと思わざるを得なかった。

「…ありがとうございます。失礼します」

そうお礼を告げた後、京介は婦長さんに背を向けて急いで廊下を走った。後ろで「廊下は走らない!」と言われたので、「すみませんっ」と謝りながらも足を止めずに走り抜けていった。言っている事とやっている事が違うが、京介はそんな事は気にしなかった。

小さくなっていく、彼の姿を見た婦長はもう一度注意しようか、と口を開けたが、それも止めて黙って見送る事にした。

「やっぱり、変わってないのかしらね」

あの子達は。
それだけ呟いた婦長は、京介の姿が完全に見えなくなったのを見て踵を返した。

…………
………

息を切らして病院の中を走り抜けていく京介。患者さんとは廊下ですれ違い、ぶつかりそうになっが、持ち前の運動力で次々と交わしていった。
ただ、一人の患者を抜いては。

ドンッ!

「!?」
「Σうわっ」

思い切りぶつかってしまった。しかも、看護婦とかではなく患者さんに。とは言っても肩をぶつけただけなので、大した衝撃は来なかった。体がよろけただけなので、京介の方は転ぶまでにはいかなかったが、相手は松葉杖をついていたらしくカランッという音共にドサッと尻餅をついていた。
しまった、怪我をさせてしまったかもしれない。しかも、相手は足の方を怪我していたらしく、京介の顔は一気に血の気が引いてきていた。

「っつ〜、気を付けろよな〜」
「す、すみません…」
「そうそう、そうやって謝ってくれりゃあ良いんだよ」

申し訳無さで、顔を伏せる京介。すると、相手からは軽い感じで返された。あまりにもあっさりとした返され方に、京介は呆然としていた。
すると、転んだ相手はよっ、と普通に包帯で巻かれた足を地面に着き、立ち上がった。そして、松葉杖をついでと言わんばかりに持ち上げた。

「怪我…」
「ん?ああ、これか?大した怪我じゃねーよ。もう治ってるもんだし」

だけど、まだ念のためって医者に止められてんの。と、言う彼の言葉は妙に説得力があった。
軽く足を地面に着けた後、松葉杖で体を支え出した。この様子を見てもやはり、足の怪我は大丈夫らしい。
彼の行動と言葉で、京介の一瞬来たヒヤッとしたものはいつの間にか消えていた。安堵の息を吐くと、目の前の人はん?と思い出したかのように声を漏らした。

「お前、急いでんじゃねーの?」
「!」

そこで、京介もまた思い出したかのようにハッと目を見開いた。どうやら彼は京介が何か急いでいたから走っていたと察していたらしい。病院の中を走るくらいだ、察せれて当たり前なのだろう。

「すみませんでした」
「おー、気を付けろよ少年」

年はあまり変わらないだろうが、年下だと予想していた男は頭を下げた京介にそう告げた。
それを聞いた京介はあまり気にする事なく、すぐにまた走り出した。そんな京介を見た男は、若干冷や汗を垂らしながら見送った。

そして、口角を小さく弧を描いた後、呟くように京介に向けて言ったのだった。

「頑張れよ、雷門の救世主さん」

その言葉はあまりにも小さすぎて、もちろん京介には聞こえていなかった。

…………
………


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