『久しぶり』

「前に運転した時も思うたけど、やっぱり兵庫と東京は遠いんやなぁ」

 金曜日に練習を終えて、そのまま梟谷の皆と別れて夜中に東京の家を出てから今朝方ようやく着いた実家。久々に会うたばあちゃんは足こそ調子悪そうやったけど、それ以外は前と変わらずにピンピンしとって、安心した。ちょっとだけ休憩した後に日用品買いに行ったり、家事手伝ったりして、あっという間に夕食の時間になって、久々家族4人で囲む食卓でお父さんがそんな事を言う。

 ほんまやなぁ。地図では同じ日本にあんのに。ひとっ飛びていう訳にもいかんもんやなぁ。

「俺もこのままずっと本社勤務やし、なまえもこんまま東京の大学に進学するつもりやろ? せやったら、母ちゃんも東京に来んのはどうやろか?」
「そうやねぇ……」
「そうですよ、お義母さん。私等と一緒に暮らした方がこれから先、何かと安心やし」

 家族間でそんな会話が行われる。それはつまり――

「東京にずっと住むて事?」
「そうやね。こっちの家は売りにでも出すんもアリかなぁ」

 私が兵庫に帰る理由が無くなるに等しい。それはちょっと寂しいなぁ。まぁ、絶対に足を踏み入れる事が出来んくなる訳やないから、別にええんやけど。

「まぁ、母ちゃんも考えとって」
「分かった。色々と気遣って貰うてありがとう」

 私は家族の会話にはあまり参加せんと、そんな事をぼんやりと考えよった。



「ちょっと稲高行ってくるー!」
「気ぃ付けてなー。あ、せや。侑くんと治くんにインターハイ頑張れて伝えとってや」
「おん、分かった」

 頑張れって、私が言うたら変やないかな。今居る高校やってインターハイ出んのに。まぁ細かい事はええか。それにしても久々やなぁ。この通学路も。通学路を1人で歩くんも。

 今は行きも帰りも隣に赤葦くんが居るし。今頃梟谷の皆は合宿中か。宮城から来るていう烏野の人達とは、牛島くんの事話してみたかったなぁ。

 東京に居れば兵庫の事、兵庫に居れば東京の事を考えるもんなんやなぁ。不思議や。梟谷の皆、元気やろか。そう思って思わず口元が緩む。すっかり梟谷の事も大好きになってんなぁ。私。

「失礼します。……あ、黒須先生! お久しぶりです!」
「おお、みょうじ! 元気しとったか! どうや、東京の強豪校は」

 学校に着いて、一先ず職員室に居る黒須先生を尋ねると出入り口まで来て出迎えてくれる。あぁ、関西弁や。やっぱり耳馴染みええわ。それにしても先生、生え際がちょっと……いや、止めとこ。考えん方が幸せなこともあるんや。

「もう毎日が忙しないです。こっちもインターハイ、決まったみたいで。これで3年連続ですね」
「そうや。梟谷に当たっても負けへんからな」
「ふふ。あ、これ、お土産です。こっちのは治にやって下さい」
「なんや、治にだけ特別か?」

 そう言って手渡した袋を覗き見る先生。

「多分、治はそれだけやったら文句言いそうやから。“なんやこれだけか?”って。せやから。1品多くあげとったら文句言わんやろうと思うて」
「あはは! さすがは幼馴染やなぁ。治の事よお分かっとうなぁ。せや、今アイツ等ランニング行ってんねんけど、そろそろ帰ってくるやろうし、体育館寄ったって。インハイ前に、喝入れたってや」
「そうさして貰います」

 先生と別れて職員室で見学者用の名札を貰うて体育館へと向かう。“見学者”かぁ。まぁそうなるよな。もうここの生徒やあらへんのやし。

 体育館に着くとまだ誰も帰って来ておらず、ネットだけが体育館に佇んでいた。……懐かしい。この空間。前まではランニング行っとる間に部室整理とか、ビブス洗ったりとか、そんな事をしてたなぁ。まぁそれは梟谷に来ても変わらへんのやけど。あっちに比べてこっちはマネージャー居らんやったから、北先輩の手伝いがあったにしても、色々と1人で数こなしよったなぁ。

 一つ一つ、数ヶ月前に立ち回っていた自分の姿を思い出しながら体育館の中を歩き回る。

 あ、ドリンク。もう無いやん。まだ帰って来ぃひんみたいやし、作ったるか。そう思うて、ドリンクケースを持って、水のみ場へと向かう。



「帰ってくるなり仕事か」

 ジャブジャブと水でケースを洗っとると、後ろからそんな言葉をかけられる。

「先輩! お久しぶりです!」
「おお。みょうじも相変わらずやな」

 短い言葉を交わした後、先輩がこっちに歩いてきてそのまま隣でケース洗いを手伝ってくれる。こんな感じでよお北先輩が仕事手伝ってくれよったなぁ。

「みょうじが居らんようになって、こういう仕事分担してるんやけど、アイツ等誰1人まともにドリンク作りきらんのやで」
「えっ、ほんまですか? ただ粉入れて混ぜるだけやん」
「それが出来へんのや。なんでやろな。アランすら出来へんのやもん。呆れるやろ?」
「呆れる言うか、らしいというか……。笑えます」
「みょうじは、あっちで上手い事やれよるんか?」
「はい。おかげさまで。北先輩、転入試験、ほんまにお世話になりました」
「ええよ。みょうじはちゃんとしたら出来るヤツやねんやから」
「えへへ。先輩からそう言って貰えると照れますね」

 先輩と2人でテキパキとドリンクを作って、一緒に体育館戻る道でそんな話に花が咲く。

「えっ、なまえ?」

 その声に体がピシリと固まったのが分かった。そのままギギギとぎこちなく後ろを振り向くとそこには眠たそうな瞳をいつもより大きくした治が居って、ほっとする。

「なんや治か」
「おい心の声駄々漏れやで」
「ごめんごめん。久しぶり。ばあちゃんに会いに帰ってきたついでに寄ってみてん。元気しとった?」
「おう。そこそこな。あ、ドリンク。俺持って行くで」
「ええの? ありがとう。そんなら私、部室の掃除したいから、お願いしてええ?」
「おん。そや、ツムにはもう会うたんか?」

 ツム。その単語にズクリとした痛みが心を襲う。

「……いいや。会うてへんよ」
「そうか。アイツ、今荒れとうから、なまえにケツ叩いて欲しいんやけどなぁ」
「いやいや。私に出来る事なんか、何もあらへんで。ほんなら、部室寄ったらまた体育館に顔出すな」

 そう言って先輩と治と別れて歩き出す。なんでやろ。会いたいてずっと思うとったのに、いざ会える距離になると、会いたないって気持ちも出てくる。アイツに会うの、やっぱり怖いて思うとう自分が居る。



 部室に着いて掃除した方が良い場所があるか見てみるけど、さすが北先輩。埃1つあらへん。さすがやなぁ。出来る事といえば備品の在庫チェックくらいか。まぁそれも必要ないくらいやけど。そう思いながら備品の点検をしていると勢い良くドアが開く音がする。
 その音にビックリして振り返るよりも先に「なまえ!」と叫ぶ様に名前を呼ばれ、体が止まる。治に似とるけど、この声は治やない。その声に久々に名前を呼ばれた事に鼓動が一気に加速する。

「なまえ」
「……侑」

 もう1度私の名前を呼ぶその声に応える様に、私もその声の持ち主の名前を呼んだ。


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