GOサイン

 パン、とだけきたライン。それに“パンですか?”と尋ねたところで牛島さんとのラインは途切れている。一体なんだったんだろうと気になりながら平日を過ごし、心のどこかで早く来いと待ち侘びていた休日の朝。アラームが鳴るより先に起きて今日はいつもより少し早く家を出た。パン屋さんで選ぶパン。どれにしようと悩みハヤシカレーパンをトレーに乗せる。牛島さんの分も……と一瞬悩み、やっぱりやめておこうと伸ばしかけたトングを止める。もし牛島さんが居たとしても、ランニング終わりだろうしパンの差し入れはよろしくない。……というかパン、お口に合ったかな。合ってると良いな。



「おはようございます」
「おはようございます。良かった、会えました」
「…………こちらこそ」

 ベンチに腰掛けパンを食べていると目の前をサッと風が吹き抜ける。既視感を覚える感覚の原因は知っている。風の主は私の存在を見つけるなりきちんと立ち止まって挨拶をしてくれた。

「ランニング、まだ途中ですよね」
「いえ。一旦休憩します」
「邪魔しちゃいましたかね? すみません」
「いえ」

 端的な言葉を返す牛島さんに駆け寄りながらお礼を告げると「……いえ」と再び言葉を返してくれた。牛島さんは言葉を発する前に考える時間があるよなぁと彼の会話の間を学ぶ。彼の起こす風は疾走感溢れるけれど、彼と過ごす時間はどこか緩やかに感じるのはこういうところなのかもしれない。

「パンの差し入れしようかな? と思ったんですけど。この前のことがあったので。良かったらコレ」
「ありがとうございます」

 水を手渡すとそれを受け取り「いただきます」と言ってからペットボトルのキャップを外す牛島さん。……今、ボトルちょっとメキョって言った? パワー凄まじいな。あれ、てか。

「左利き、なんですね」
「はい」
「へぇ、そうなんだ」

 まぁ左利きがめちゃくちゃ珍しいって時代でもないんだけど。ちょっとした話題にはなる。文字書く時とか毎回「左利きなんだ?」って訊かれてそうだな。それでその度に丁寧に「はい」って答えてるんだろうな。もう訊かれ過ぎて飽き飽きしてるかなと思いながらも「文字書く時とか大変ですか?」と尋ねる。

「……特には」
「あ、そっか。そうですよね。鉛筆よりボールペンで書くことの方が多いだろうし。ていうか、今はもう端末に打つことの方が多いか」
「1番使うのはマジックペンです」
「マジックペン?」

 マジックペンを頻繁に使う職業……。職業、で良いんだよね。大学生……には見えないけど。……訊いても良いだろうか。

「あの、失礼ですが牛島さんってお幾つですか?」
「今年24になります」
「え! 同い年だ!」
「……そうですか」

 同い年には見えなかった。老けてるとかじゃなく。……老けてるとかじゃない。貫禄だ。貫禄があったからだ。堂々とした感じとか。そう、武士みたいな感じが落ち着いて見えるって話で。……でもそっか。同い年なんだ。なんかちょっと親近感出ちゃうな。

「……あの、良かったらタメ口で話しても良いですか?」
「……はい」
「あっ、牛島さんも全然タメ口で話してもらって!」
「……分かった」

 敬語を崩しただけと言えばそれだけかもしれないけど。ちょっとお近づきになれた気がして嬉しい。……あっ、そういえば。ラインもらってた“パン”ってなんだったんだろう。今なら訊けそうだ。

「ラインもらってた“パン”って、アレなんだったん……の?」
「貰ったハヤシカレーパン、美味しかった」
「ほんとですか! 良かった!」
「その感想を伝えたかったんだが。文字を打つのに不慣れでまごついた」
「……ふっ。だとしたら、初手から躓き過ぎでは?」

 パン、の2文字で心折れたってこと? そう思うとおかしくて、ついアハハ! と笑い声をあげてしまった。きっと牛島さんのことだから“衣が〜……”とか“ルーが〜……”とか色んなことを感想として伝えようとしてくれたんだと思う。画面と必死に睨めっこする姿を想像したらまたおかしさがこみ上げて来てしまう。……駄目だ、こんなに笑っちゃ失礼だ。

「ごめんなさい、ちょっとツボに入っちゃって……。ごめんなさい、失礼しました」
「もどかしくなって電話しようとも思ったんだが」
「デッ」

 電話がかかって来た未来を想像したら途端に笑いは止んだ。牛島さんからもし電話が来てたら、きっと私の心臓は縮み上がっていただろう。不審に思うとかじゃない。ドラマのシーンで言ったら好きな人からの連絡に心ときめかせるみたいなやつ。…………好きっていうより、気になってるって感じだけど。……まだ今は。

「知り合って間もない人間からの突然の連絡はやめておいた方が良いと言われて」
「そうなんですね」
「それに、みょうじさんとはここで会える。ならばその時に伝えようと思った」
「なるほど」

 会えて良かった――そう言われた瞬間、私の心臓がバクバクと音を立て始める。牛島さんと過ごす時間は緩やかで良いと思っていたけど、この心拍数はちょっと違う。だけど、そのことを嫌だと思うこともない。急速に成長を遂げる感情を、丁寧に大切に育てていけたら良いなと思う。…………いや、待って?

「ん?」
「いやいや。結婚がまだってだけかもだし」

 バッと動かした視線の先にある牛島さんの左薬指。そこに指輪はないことにひとまずホッとするものの。結婚してないにしてもお付き合いしている方が居るかもしれないと思い直す。それに結婚してても指輪を付けてないってパターンだってある。そこを確かめないと芽吹きを感じる自身の恋愛感情にGOを出すことは出来ない。

「いやでも、彼女が居るのに私と2人で会うような人でもなくない?」
「……俺の話だろうか」
「失礼を承知で伺いたいことがございます」
「……はい」

 直接訊くなんて“アナタに脈があります”って言うようなものだ。でも、行くしかない。玉砕覚悟だ。腹を括れ私。

「お付き合いをされている方はいらっしゃいますでしょうか」
「恋人や配偶者は居るか、という質問で良いか」
「……はい」
「そういった相手は居ない」
「…………そ、うなんですね」

 明らかに表情を輝かせてしまった。……やばいな。何が大切に丁寧にだ。こんなのバレバレじゃないか。今の顔で完璧アウトか。牛島さんもさすがに“コイツ俺のこと好きなの?”って思ったよな。だいぶ荒技を繰り出したことに恥ずかしさと後悔を混ぜながら牛島さんの反応を見る。わ、めっちゃ難しそうな顔をしてる。バレた。これは絶対バレた。

「あの」
「は、ハイッ!」
「敬語をやめるというのは建前で、本当は崩さない方が良かったのだろうか」
「……はい?」
「みょうじさんはずっと敬語で話している」
「…………ははっ。ううん、大丈夫で……大丈夫。タメ口で話そう」
「良かった」

 全然バレてなかった。ていうか、気にするところそこなんだ。……あぁ私、牛島さんのこと好きだ。もう良いよね。GOサイン出しても。


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