知りたい

 ちょっと寝坊してしまった。散歩するのをやめておくことも考えたけど、いつもより遅い時間に行う散歩だってきっと楽しいと思い今日も今日とて同じルートを辿り公園を目指す。決まりやルーティンではない。縛られぬ趣味が散歩なのだ。だけど、牛島さんとは会えないかも。そう思ったら、ちょっとだけ寝坊したことが悔やまれる。

「わふっ」
「ん、ごめんごめん」

 撫でることに集中しろとポンちゃんに叱られ、わしゃわしゃと顎を撫で「ヨーシャヨシャッ」と人には聞き取れない言語で褒める。ちなみにこれは“今日も良い毛並みしてますねぇ、お兄さん”と言った。相手は老犬なのでちゃんと伝わったかは怪しい。

「おはようございます」
「あれ? おはようございます」

 会えないと思っていたのに。家の前の通路に現れた牛島さんはいつもと変わらずランニングウェアを身につけていた。考えてみたら牛島さんは公園に閉じ込められているわけでもないし、公園以外の場所で会うことだってあるかと思い直す。囚われの身なんて絶対有り得ないよなとどこか失礼なことを考えながら「今日もランニングですか?」と牛島さんの元へと近付く。方向的に公園から出てきたのか。ということはランニング終わりだろう。入れ違いになっちゃったな。

「わんっ!」

 まだ足りぬと吠えるポンちゃんに振り向くと牛島さんが「犬」と言いながらポンちゃんに近付く。そうしてポンちゃんを見下ろすように立てば、ポンちゃんもお座りして尻尾をブンブンと振ってみせる。ポンちゃんと見つめ合う牛島さんはどこか嬉しそうで、もし尻尾があったら左右に揺れていると思う。犬、好きなのかな。

「ここが2丁目の犬を飼っている家です」
「……なるほど」

 住所表記のプレートを見つめ2丁目であることを認識している牛島さん。知ったところでなんだという話かもしれないけど。1つひとつの話題を丁寧に受容する姿は、どこを切り取っても真面目に繋がる。そんな姿を微笑ましく思いながら「仲良しのわんちゃんです」と犬の紹介を行う。

「触っても良いだろうか」
「撫でられ待ちみたいですよ」
「そうか」

 しゃがみ、先程よりかは近くなった距離感。それでもなお圧倒感を感じるのは、そもそもの身長の高さが故か。座高が半端ない。その隣で私がしゃがめば、大小の山が2つ出来上がる。

「……お腹を見せられた。降参という意味だろうか」
「ふふっ。へそ天ですね。ある意味降参かも」
「降参した相手にこれ以上手を出すのは憚られる」

 パッと牛島さんが手を離す。ポンちゃんはその手を目線で追い、上目遣いで牛島さんを眺める。じっと見つめ合うポンちゃんと牛島さん。……頑張れ、意思疎通。見守ること数秒。牛島さんはきちんとポンちゃんの意思を汲み取り「失礼する」と言ってお腹をゆっくり撫で始めた。良かった、ちゃんと通じ合えた。

「動物に初対面で怖がられないのは珍しい」
「あー……」

 理由は思い当たる節がある。その背と顔立ちと雰囲気だ。とはいえそれは牛島さん自身ではどうすることも出来ない部分でもあるので、ハッキリと口にするのは気が引ける。曖昧に笑って「ここのご夫婦の息子さんが背が高い方なんです。だから高身長な男性には慣れてるのかもですね」と別の心当たりを告げる。

「なるほど」
「あとは牛島さんの撫で方が優しいのもあると思います」
「……そうか。それは良かった」

 しばらく2人でポンちゃんと触れ合っていると、顔を覗かせたおばあさんから「あらまぁ。ウチの息子かと思ったよ」と声をかけられ。すくっと立ち上がり「お邪魔しています」と腰を折る牛島さんに「ごゆっくりどうぞ。ポンちゃんも楽しそうだし、好きなだけそこに居てもらって構わないよ」とおばあさんが笑いかける。その言葉に2人で礼を告げ再びポンちゃんと向き合う。公園で過ごす時間も好きだけど、こういう時間も緩やかで結構好きだ。

「後輩に“動物に嫌われている気がする”と悩んでいるヤツが居まして」
「そうなんですか。なんでだろう?」
「俺にもその節があるかもと思っていましたが。少し払拭出来ました」
「ふふっ。それは良かったです」
「…………写真」

 写真? と不思議に思い牛島さんを見つめると、「写真を撮りたい」と口にする。「影山にアドバイスをしてあげたい」と続き後輩想いの方なんだなあと感心する。……けど、写真を見せてもアドバイスにはならないような気もするな? それに牛島さんって写真撮る習慣なさそうだ。

「じゃあ私撮ります」
「良いだろうか」
「はい。じゃあこっちに視線お願いします」

 ポンちゃんと牛島さんから距離を取り、フレームに収める……のは良いんだけども。牛島さん、視線は“私”じゃなく“カメラ”にお願いします。あとなんでそんな不自然な笑みになるのでしょうか? カメラを構えただけで一気にツッコミたいことが出て来たことに思わず吹き出してしまう。完璧な表情を作るポンちゃんと、不自然極まりない笑みを浮かべる牛島さん。ちぐはぐなツーショットを撮り終え画像を見せると、牛島さんの表情はなんとも言えないものだった。どうやら自分の表情の不自然さにショックを受けているらしい。やっぱり牛島さんは写真を撮るという行為をあまりしていなさそうだ。

「あ。私のスマホで撮っちゃいました」
「…………連絡先を訊いても良いだろうか」
「……はい」

 エアドロップで――と言おうとした口を閉じる。差し出された牛島さんのスマホを操作し、自身のラインに“牛島若利”と記されたアイコンが増えたのを確認する。フルネームで登録してるところが“らしいな”と思ってふっと口角が緩む。

「今送りました」
「ありがとうございます。……以前聞いた番号も登録しても良いですか」
「はい。じゃあ私も、良かったら電話番号聞いて良いですか?」
「はい」

 ラインの通話機能を使えば良いだけの話なんだろうけど。ちょっと欲張ってしまった。というか牛島さん、アイコンもホーム画面も初期設定のままだ。そういうところが牛島さんだなと思う反面、もっと牛島さんのこと知りたかったなという少しズルい気持ちも抱く。牛島さんって一体、どんな人なんだろう。もっと知りたいな。


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