私の好きな人

 そろそろ休憩時間も終わりかなと見当をつけ「じゃあ」と口を開いた時。「バフッ!」と威勢の良い鳴き声が近くから響いた。咄嗟に振り返った先にはリードを引き摺りながらこちらに駆け寄って来る大型犬が居て、“襲われる”と反射的な恐怖を感じる。後ずさりする足が絡み思わず体勢を崩す。あ、まずい――。ぎゅっと瞑った視界は落下することなく留まり、右腕を力強く、それでいて優しく掴まれるのが分かった。

「牛島さん」

 犬と私の間に入り犬と対峙する牛島さん。その向こうに居る犬はハッハッと息を吐きながら私の持っている袋に釘付けになっていて、目当てのものがなんなのかを悟る。恐らくハヤシカレーパンが入っていた袋の残り香を嗅ぎ付けたのだろう。犬って確か人間の何倍も嗅覚が優れてるっていうし。

「伏せ」

 仁王立ち状態の牛島さんが、犬に向かって端的なコマンドを出す。そのコマンドに耳をピクっと反応させた犬は素直に体を地面に伏せ牛島さんの顔を見上げている。……牛島さん、やっぱり貫禄あるなあ。

「すみませんっ!! お怪我ないですか!?」
「あ、大丈夫です」

 顔面蒼白で駆け寄って来た飼い主に手を振り牛島さんと2人で犬と飼い主を見送る。本当は驚いて躓いた時に足を挫いちゃったけど。そこまで激痛ってわけでもないし。帰って冷やしたら大丈夫だろう。平身低頭を繰り返す飼い主に申告するほどでもないと思い足の鈍痛を見過ごす。

「ありがとう、助かりました」
「大事ないか」
「うん。牛島さんが庇ってくれたおかげ。本当にありがとう」
「そうか」
「あ、じゃあ、そろそろ」

 帰りにドラックストアに寄ろうと思っていたら、数歩歩いたところで「みょうじさん」と呼び止められた。振り向く瞬間にピリっと痛みが走る気配を感じながらも牛島さんの方を向くと、「まだここに居てもらえないか」と1度では理解出来ない言葉を言われた。

「え?」
「すぐ戻る。ベンチで待っていて欲しい」
「わ、分かった」

 頷きを返せば、牛島さんはタッと走り出しあっという間に姿を消す。牛島さんの風、やっぱり凄いなぁ。頬を撫でられるという表現が似合わないレベルの疾走感を感じながら言われた通りベンチに腰掛ける。さっき犬に「伏せ」って言った時の牛島さん、格好良かったな。なんか、全動物を従える強者って感じがして。貫禄というか、武士というか……ボス? 勇者? 牛島さんを色んな言葉で例えていると「みょうじさん」と牛島さんに声をかけられた。

「速かったね」
「足首に触れて良いだろうか」
「え、は、はい」

 咄嗟に返す言葉。それを一拍遅れで反芻させ“足首に触れる?”と疑問に変化させた時には既に牛島さんはベンチ前にしゃがみこんでいた。そうして私の足をゆっくりと持ち上げ服の裾を捲り上げる。……やばい、めっちゃドキドキする。

「足を挫いただろう。腫れはないようだが。少し押して良いか」
「あ、はい」
「痛みはどうだ」
「ううん、そこまではないかも」
「……ひとまず湿布を貼っておく。テーピングもしておくが、今日は安静に過ごすように」
「ありがとう」

 テキパキと処置を行う姿に見惚れている間に牛島さんは処置を終わらせ、足をゆっくり地面へと置く。そうして視線を私に合わせ「痛むか?」と問われ、足首よりも心臓の痛みを覚えてしまう。足より、心の方が大ダメージを喰らってしまった。下から見る牛島さんが新鮮過ぎて色々とマズい。……駄目だ、牛島さんは心配して手当てまでしてくれたというのに。こんなところでときめくのは失礼だ。

「ううん。平気。帰ったら冷やして安静にするね」
「歩けるか? もし難しいようだったら俺が送り届けるが」

 その言葉にブンブンと首を振る。牛島さんのことだ。タクシーを呼ぶとかじゃなく本当に“牛島さんが”送り届けてくれそう。下手したらお姫様抱っことかしてくれそうだ。…………無理。色んなところが無理。というか本当におかげさまで家までくらいなら普通に歩けると思う。

「本当にありがとう。ランニングの邪魔しちゃってごめんなさい」
「それは構わない」
「じゃあ帰るね。牛島さんも頑張って」
「ああ」

 ベンチから立ち上がると牛島さんもすくっと立ち上がる。……なんだろう。圧倒される高さなのに、この距離感の方が安心する気がする。フリフリと手を振りながら歩き出すと、その背中に心配の気配を帯びた視線を感じ振り返る。そこにはやっぱり牛島さん居て、大丈夫だと伝える為に笑みを作る。

「また会いましょうね」
「あぁ。また」

 いつもよりゆっくりと歩き自宅に戻り。次会う時までには完治させなければと意気込み、今日は1日自宅で安静にして過ごすと決め。痛みもすっかり治まった夕方に牛島さんへ“今日はありがとう。おかげさまでもう大丈夫みたい”とメッセージを送ったら“油断大敵だ”と返された。それは確かにそう。“数日は安静にします”と送り返したら“何かあれば連絡くれ”という気遣いのメッセージに温かい気持ちをもらう。

「王子様みたいだったなぁ」

 手当てをしてくれた時のことを思い出す。まるでお姫様の前に跪いて想いを告げるみたいな――。……妄想が過ぎるか。いやでも、王子様みたいだったのは確かだ。武士みたいな、王子様。初めて会った時もそうだった。武士、ボス、勇者、王子様。色んな姿を見せてくれる牛島さんが、私の好きな人だ。また早く会いたいなあ。


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