好物はハヤシライス

 今日も朝の散歩を行う。スマホを拾ってくれたおばあさんにもお礼の食パンを渡し、飼い犬ポンちゃんとも触れ合い辿り着いた公園。今日は匂いにつられ我慢出来ずにいつもより多めにパンを買ってしまった。食べ切れるか不安だけど、食べれなかった分は家に持って帰れば良いだけの話だ。うん、そうだそうだ。
 手を合わせ、どれにするか悩んで手に取るパン。袋の中から2つのパンが消えた時、喉の渇きを覚えそこでコーヒーを買い忘れたことに気付く。何かしらを忘れてしまうことを恥ずかしく思いつつ、目の前に設置されていた自販機を見ては気を取り直す。今日はスマホも忘れずに持って来ているし、確か電子マネーが残っていたはず。残高を確認してからコーヒーを買うと、自販機が軽やかなミュージックを奏で始めた。

「お、当たりだ」

 7が4つ。自販機の当たりなんていつぶりだろう。さぁどれにしようと悩んでいるとパネル周辺に“30秒以内に販売可ランプが点灯している商品をお選びください”と書かれているのが目に入った。え、制限時間あるの。当たったのに? せめて1分は欲しいなぁ、なんて思いながらも自販機の中に視線を這わせる。もう欲しいの選んだしなぁ。

「あ」

 前に感じた突風が再び体を吹け抜けた。風の主は私の目の前で立ち止まりウォッチを確認している。どうやら走り込みが終わったようだ。……そうだ。

「あの」
「はい」

 男性はランニングタオルで汗を拭ったあとすくっと姿勢を正し私と向き合う。そうされると背が高い分圧迫感もあるけれど、それ以上に彼の人となりが知れて気持ちは緩まる。

「この前はありがとうございました。おかげさまで無事にスマホ戻ってきました」
「そうですか。良かったです」

 頭を下げお礼を告げた後に「良かったらコレ。今くじで当たった分で申し訳ないんですが」と先ほど選んだスポーツドリンクを差し出す。男性はそれを「ありがとうございます」とこれまた丁寧に言葉を発しながら受け取ってくれた。所作の1つひとつがとても丁寧だ。折り目正しく生きている人なんだろうな。

「本当ならきちんとしたお礼をするべきなんですが……。いつも走られてるか分からなくて……」
「遠征がない時は大抵ここで毎朝走り込みをします」

 遠征? と聞き慣れない言葉に引っかかるも、その次に浮かんだ閃きに意識が流れた。もし朝食がまだなら。さっき買ったパンをお裾分けするのはどうだろうか。

「あの、パンはお好きですか?」
「…………まぁ、はい」
「実は私朝パン屋でパンを買って、ここで食べるのが休日の日課なんですけど。今日は買い過ぎちゃって。良かったら貰っていただけませんか?」
「ありがとうございます」
「……アッ。物を渡すなら一応身の上を明かすべきですかね? みょうじなまえと申します。普通の会社の普通の会社員で、家はすぐそこのマンションです。一応、怪しい者ではないと思います」
「牛島若利と申します。俺は――」

 牛島さんが何かを言いかけたけど、私の「牛島さん」という反芻が被ってしまい彼は口を閉じた。詮索するみたいになるのもなと思い訊き返すのはやめておく。パンを取ろうとベンチに向かうと、牛島さんも後ろをついて来た。そうしてパンを受け取った牛島さんはベンチに座り手のひらに乗ったパンをじっと見つめる。てっきり食べるのかと思ったけど、食べないのかな?

「……あっ! すみません!! ランニング直後のパンって、なんか分かんないですけど体に良くないですよね!? すみません!」
「…………すみません」
「いやいや! こちらこそ重ね重ね申し訳ないです! 至らぬことばかりで……」

 不覚……と額に手を当てると、その動作を見た牛島さんがふっと笑う。パンを大事そうに抱えたまま、「みょうじさんは武士みたいですね」と真顔で言われてしまい反応に困ってしまった。これは……褒め言葉になるのか? いや違うな?

「良かったらこれは持ち帰っても良いだろうか」
「はい! ラップして、それを冷凍用の保存袋に入れて空気を抜いてから冷凍庫で保管してもらえたら、多少日持ちはすると思います」
「ラップ、保存袋、冷凍庫。……分かりました」

 丁寧に反芻し、脳内に落とし込む様子に口角が緩む。パンが入っていた袋も渡そうとして「あ。パン、ハヤシカレーパンなんですけど。大丈夫ですかね?」とパンの種類を思い出す。ちょっと変わり種を選んでいたんだった。

「ハヤシ?」
「はい。カレーパンならぬ、ハヤシカレーパン。このお店が目玉商品にしようと画策中のパンなんです」

 私は結構好きなやつ。だけどこういう展開になるのなら無難にメロンパンとかにしておけば良かった。そんな今更な後悔を浮かべる私に反し、牛島さんの表情が明るくなった気がする。

「ハヤシカレー、お好きですか?」
「好物です」
「あ、そうなんだ。良かった」

 ホッとした気持ちが笑みとなって浮かび上がる。私の笑顔を見た牛島さんも、どこか緩やかな笑みを形作っていた。


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