スーパーカー隠岐

「なまえおはよ〜!」
「おはよ美玖。あ、待って待って。もっかい手洗ってくる」
「すまんね」

 神社でも洗った手を念の為もう1回洗い、制服をロッカーに入れていたコロコロで手入れする。それらを済ませ教室で待っていた美玖のもとに行くと「いつもすまんのぉ、わしのせいで迷惑をかけさせて」としわがれた声と共にしわしわの表情を浮かべる美玖。

「何言ってるんですか。そんなあなたが良いって選んだのは私なんですから」
「なまえ……」
「あなた……」
「はい茶番終わり! 今日のネコ、見せて」
「はいはい」

 ケロっとした顔で素早く話題を切り替えた美玖に呆れ笑いつつ、カバンから携帯を取り出し撮れたてほやほやの猫を見せる。その写真を見た美玖が「おっ?」と不思議そうな声をあげるので、「どうした」と尋ねると携帯を私の方へと向けてきた。

「自撮り? 珍しくない?」
「あぁ、違う違う。今日は別の人に撮ってもらったんだ」
「宮司さん?」
「んーん。初めて話した人なんだけど、この学校の先輩」

 美玖に隠岐先輩のことを話すと、美玖が「それって噂の隠岐先輩じゃん!」と驚いたように声をあげた。……噂の隠岐先輩? 噂ってなんの噂だろう。きょとんとした私に対し「知らないのなまえ。隠岐先輩の噂」と見開いた目をそのままに言葉を続ける美玖。

「えっ全然知らない」
「マスクをした女と一緒に歩いてた〜とか、1度に10人の女の話を聞き分けた〜とか、赤い服を着た女を追いかけて時速300キロで走った〜とか」
「待って待って。全部女性絡み……ていうか最後のは絶対嘘じゃんそんなんスーパーカーじゃん」

 スーパーカーにトランスフォームした隠岐先輩の姿を想像してつい吹きだしてしまっていると、「確かに最後のはどうかと思うけど。女性絡みの噂ばっかり出回るくらいモテるってことよ」と言われ笑いが止まる。……モテる。いやまぁ、うん。だろうなって感じだけども。

「イケメンだったもん」
「私としてはあの隠岐先輩をなまえが知らなかったことに驚きだけどね」
「だって……イケメンとか雲の上の存在じゃん」
「まぁね〜」

 うちのクラスにもイケメンは居る。教室内の少し離れた場所で男友達と盛り上がっている烏丸くんをじっと見つめてみれば、視線を感じ取ったのか烏丸くんもこちらを向く。互いに数秒見つめ合ったのちペコリと会釈を交わせば会話は終了だ。あれかな、イケメンって髪の毛もっさりしてるのが条件なのかな。

「……てか。もしかして私、失礼かましちゃった?」
「ん?」
「いやほら、隠岐先輩ってイケメンで有名なわけじゃん?」
「うん、まぁ」
「だとしたら、“え、おれイケメンやで? もっと照れてあたふたせんかい”的な感じに思われたかなって」
「えー? 何ソレ。もしそんなこと思うヤツだったら幻滅だわ」
「あはは、だよね。ていうか、よく考えたら隠岐先輩はそんなこと思わないと思う」
「ふぅ〜ん? へぇ〜?」

 美玖の声が上擦ったものへと変わる。その変化に慌てて「い、いや分かんないけど! なんとなくそう思っただけで!」と返す私の声も上擦っている。まずいな、これ。もうイケメンが雲の上の存在じゃないってことに気付いてしまったことに気付かれてる。

「明日からドキドキじゃん! 良いなぁ〜」

 美玖の羨む声に反論することはしないでおく。だって、確かに私の心は明日の朝を待ち侘びているから。だから黙ってやり過ごそうとしたにも関わらず「ね? なまえ」と美玖が追撃してくるので、「ムキーッ!」とポカポカやり合っていると「どうしたの? 喧嘩なんて珍しい」と時枝くんが声をかけてきた。

「実はなまえがボーダーのイケメンに引っかけられて」
「ちょっと言い方! 違うよ時枝くん。ネコ友達が出来たってだけだから」
「ネコ友達……あぁ、なるほど」

 イケメン、ネコ、ボーダー。その3つで誰のことを指すのか察したらしい時枝くんがふっと笑って「今日おれもネコ撮ってきたんだ。見る?」と会話を逸らしてくれる。……時枝くん、出来る男だよほんと。ありがとう最高。

「見せて〜! 私まじでネコに飢えてるから」
「もちろん。おれらはネコ友だからね」

 瞬く間に猫に夢中になった美玖に溜息を吐きつつ、時枝くんにそうっと気になることを訊いてみる。……いや、噂は噂でしかないと思ってるけども。

「隠岐先輩が赤い服を着た女性を時速300キロで追いかけてたって……本当?」
「おれもそれ聞いたことあるよ。どうだろう、嘘とも言い切れないよね」
「エッそうなのっ」
「1度に10人の女の人の話を聞き分けたとかだって、絶対にないとは言い切れないし」
「た、しかに……それはそうだけど」
「それにおれ、マスクをした女性と一緒に歩いてる姿は見たことあるよ」
「エ゛ッ」

 野太い声を放った私に、時枝くんが「でもこれって噂されるようなレベルかな?」と首を傾げる。確かに、マスクなんて男でも女でもするし……いや違う。この場合問題なのは噂の全てに“女性”が絡んでいることだ。

「隠岐先輩ってやっぱりモテる?」
「んー、そうだね。本人は否定してるけど」
「か、か、彼女とか……い、いい居たり居なかったり」
「どうだろう。彼女なのか、どうなのか」

 嘘に近い噂だと思っていたのに、段々と真実味を帯びてきだして分からなくなってしまった。もしかしたらスーパーカー隠岐も有り得るかもしれないと今では本気で思っている。だって火の無い所に煙は立たぬっていうし……。彼女、やっぱり居るのかな。

「そういうのって、本人に訊くのが1番じゃないかな」
「うっ、確かに。そうだよね」
「ネコ触ってる時に訊いたら、思わず本当のこと話しちゃうかもだよ」
「なるほど……。ネコの手も借りてしまえ作戦ですね」
「あはは、うん。そうだね。その作戦で頑張ってみて」
「ありがとう時枝くん。勇気要るけど、頑張ってみる……!」

 そうと決まればやっぱり明日が待ち遠しい。明日、隠岐先輩は本当にスーパーカー隠岐なのかを確かめねば。
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