残りの一文

 早起きは三文の徳。別にそれを実感したいわけじゃないけど、早起きは得意だ。目覚ましが鳴るよりも前に起きる習慣があるから、いつも学校に向かう時間は早い。もし、そのおかげでなんの得を得られているかと訊かれるとパッと思いつくことは2つ。

「おはようなまえちゃん。今日も無遅刻記録更新だね」
「おはよおばちゃん。ついでに無欠席もだよ」
「はぁ〜、ほんと、偉いねぇ。気を付けて行ってらっしゃい」

 近所に住むおばちゃんと挨拶を交わし手を振る。まず1つは無遅刻無欠席であること。これは成績にも良い影響を与えるから得だ。それともう1つ。それは通学路の途中にある神社に存在する。

「ネコ〜おはよ〜」

 間延びした声を響かせると、どこからともなく猫が顔を覗かせた。その瞳に私を映し、小さく鳴き声をあげて近寄ってくる猫。この猫が私にとっての得その2だ。
 いつの間にか神社に居着いていた地域猫に気付いたのはもう随分と前のこと。宮司さんによると色んな所にそういう場所を作っているのか、ここには決まった時間帯にしか顔を出さないらしい。そのことを聞いてからは、この猫と触れ合う為に早起きしていると言っても過言ではないような日々になった。

「にゃあ」
「よしよし」

 撫でろと急かすように鳴く猫を笑い、耳の付け根辺りを優しく撫でる。目を閉じゴロゴロと鳴く様子を微笑ましく思いながら携帯を取り出し、“今日の猫”を撮ろうとした時。「おっネコや〜ん」と間延びした声が頭上から落ちてきた。

「お疲れさーん」
「お、つかれさま、です」

 まだ朝だし疲れるようなこともしてないけどな……と戸惑いつつも返事を返すと、「おれも触ってええ?」とにこにこと笑いながら問われる。「もちろん」と言いながら腰掛けていた石段に隙間を作るとその人は「ありがとう」と言いながら猫を挟んだ反対側に腰掛けた。

「初めまして〜第一高2年の隠岐孝二言います」

 猫に向かって自己紹介をする男性。2年生ってことは私の1つ上か。
 猫は基本的に人懐っこいので、初めましての隠岐先輩にも臆せず近寄っている。そのことを喜ぶ隠岐先輩の右目の下には泣きボクロがあって、それが特徴的だなぁなんて思う。……というか隠岐先輩、めちゃくちゃイケメンだな。

「あ、ていうか。横入りした上にネコ独占してしまってるよな。ごめん」
「いえいえ。私は毎日会ってますし、平気です。隠岐先輩の気が済むまでどうぞ」
「あれ、名前……あっ。そうか、俺さっきネコにだけ自己紹介してたな」

 改めて私に対しても自己紹介をしてくれた隠岐先輩に対し、「1年B組みょうじなまえです」と名乗り返すと、「Bかぁ」とちょっと残念そうな声をあげる隠岐先輩。

「Aやったらおれの仲間が居んねやけどなぁ」
「部活ですか? それともボーダー?」
「ボーダーの方やで」

 “こっちだろうな”と思っていた方だったことに、思わず「やっぱり」と声が漏れ出てしまった。

「やっぱりて?」
「先輩、関西弁だから。きっとボーダーのスカウトだろうなぁって」
「なるほど。みょうじさんは鋭いなぁ」

 隠岐先輩ってよく笑うんだなぁ。今も猫を撫でながら「はぁ〜癒されるぅ〜」とゆるゆるな表情を浮かべている。猫も猫で隠岐先輩に撫でられて満足そうだし、なんだか朝から良い光景を見させてもらった気分だ。

「そろそろ時間やな。たくさん撫でさせてくれてありがとう」

 時間を確認した隠岐先輩が猫に向かってお礼を告げる。そのまま私にも「みょうじさんもありがとう」と礼を述べるのを手で制し、「あ、そうだ。写真だけ撮っても良いですか?」と尋ねると、隠岐先輩は少し困ったように頬を掻く。

「なんやおれ、そういうの小っ恥ずかしいわ」
「……あっすみません、そういうアレではなくて、」
「そういうアレとちゃう……って?」
「実は私の友達に、軽度のネコアレルギー持ちのネコ好きが居まして」
「ほう」
「それで、その子に行き道にネコを撫でてるって話をしたら“写真で良いから見たい”って言われまして」
「ほぉ」
「というわけで、毎日“今日のネコ”を撮ることにしてるんです」
「なるほどなぁ。これおれ小っ恥ずかしい通り越してめっちゃはずいやつやん」
「……ぷっ、あはは! 先輩、耳赤いです」
「うわー……見んといてぇ」

 目尻も少し赤く染まっていると指摘すると、先輩は乙女みたいに両手で顔を覆ってみせた。その姿がおかしくて可愛くて。おかげさまで朝から一通り笑うことが出来た。

「いつもはもっと遅い時間に登校してんねんけど、もし早めに来れる日があったらこうしてネコに会いに来てもええかな?」
「全然! 私に許可なんて要らないです。ネコは誰のものでもないですし」
「そっかぁ、そうよな。ネコは気まぐれやもんな」
「ですです。でもそこが堪んないんです」
「分かるわぁ、ネコの醍醐味やんな」
「そうなんですよ! ちょっとつれない所がまた良いですよね」
「そうそう! はぁ〜。おれも周りに猫アレルギーの人居るから、こうやってネコ撫でてネコトークで盛り上がれるの、めっちゃ嬉しいわ」

 猫トークで盛り上がる通学。これがまた明日もあるかもしれないって思ったら、明日が楽しみだ。早起きは三文の徳――その残りの1つ。それを今日、見つけることが出来た。
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