悋気


 なんとなく落ち着かない状態で勉強をしたせいか、今日の自学は思ったより捗らなかった。まぁ今日ばかりは仕方ない。だって私は、今から好きな人にその人の気持ちを尋ねようとしているのだから。世の中のお付き合いをしている人たちは、自分の気持ちを打ち明けた上で相手の気持ちも知ってるってことだよね? 凄いなぁ。しかも同じ気持ちだったってこと。そう考えたら、世の中にはたくさんの奇跡で溢れている気がしてならない。好きな人と同じ気持ちになれたら――そう考えるだけでドキドキしてしまう私にはまだ、告白するほどの勇気はない。だけど、確実に変われてはいるはず。大丈夫。自分で決めて、進むんだ。

 意を決し机の上を片付け始めるのと同じタイミングで小窓に牛島くんが現れた。胸がきゅう、と締め付けられるのを感じる。好きだと自覚した途端、毎日見てる牛島くんを見つけただけで胸が苦しくなる。こんなの、初めて牛島くんから話しかけられた時以来だ。だけど、思い返してみれば私はあの時から既に牛島くんのことが好きだったんだと思う。いや。多分、あのテレビを見た時には既に好きだったのかもしれない。憧れでもあり、好きな人でもあったんだ。……うわぁ。なんか、改めて思うと恥ずかしい。顔に熱が帯びるのが分かって思わず目をグッと瞑る。そうして熱を冷ますかのように顔をブンブンと横に振る。……牛島くんが先に教室に行っちゃったらどうしよう。いや、もしそうだったとしても教室で訊けば良い。沈みかけた気持ちをすぐに持ち直し、図書館を後にする。



「牛島くん」

 図書館を出て渡り廊下まで差し掛かったら、いつもの場所に牛島くんは佇んでいた。良かった。牛島くん、ちゃんと居てくれた。牛島くんのもとへと駆け足で近付き目の前に立つ。……頑張れ、自分。

「あの、朝「すまなかった」

 一瞬息を吸い、すぐさま吐き出そうとした言葉は、朝と同じように遮られてしまった。だけど朝みたいな刺々しさは見当たらない。どちらかといえば自省を滲ませたような声だ。

「みょうじは俺に話しかけようとしてくれていたのに、自分のことで精一杯になってしまっていた」

 不快な思いをさせてしまってすまない――そう言った牛島くんは深々と頭を下げてみせた。その様子に「えっ、いや! 全然大丈夫……じゃないけど、と、とにかく! 頭を上げて! ね?」と必死に制すれば、牛島くんの顔は緩やかに上がる。けれど眉根は寄ったまま。納得がいっていない様子だ。

「やはり傷付けてしまったか」
「えっと……傷付いてないって言ったら、嘘になるかも。……ねぇ、牛島くん。私、牛島くんに何かしちゃったかな?」

 心臓がバクバクと音を立てて牛島くんの言葉を待っている。

「いいや。みょうじは何も悪くない。俺の問題だ。それなのにみょうじを傷付けてしまって、本当に申し訳なく思っている」

 何度も必死に謝ってくれる牛島くんを見ていると、“バレーで上手くいかないことでもあったのかもしれない”という思いも出てくる。“私に非はない”と何度も言ってくれてるし、信じて大丈夫だろう。牛島くんは嘘を吐かない人だから。

「良かった。私、牛島くんから嫌われたのかと思って……。学校で楽しく話せるの牛島くんしか居ないから、もしこのまま牛島くんと話せなくなっちゃったらって考えたらもう……勉強も手に付かな……くっ、て……」

 安心とパニックはちょっと似てるのかもしれない。またしても喋り過ぎてしまったことに気付き言葉を萎ませたけれど、言った言葉はもう取り戻せない。どうしよう。こんなの、“アナタが好きです”って言ってるのと同じじゃないか。あぁ、なんてことを……。

「えっと……あの……」
「みょうじにとって俺は、1番親しい間柄――ということか?」

 牛島くんは頭も良い。だから、私の言った言葉もシンプルに要約出来てしまう。そして、それは私の本心そのもの。それが今伝わってしまったことに気恥ずかしさを覚えるけど、射抜くようなあの瞳の前で嘘は吐けない。

「そう、です……」

 搾り出すように放った言葉は喉で掠れ、かろうじて言語になっていると言える程度。告白を経験した人達に尋ねてみたい。どうしたらちゃんと自分の気持ちが伝えられるんですか? と。顔面を冷たい汗が伝った気がするけれど、それでも顔は噴き出しそうなくらい熱い。牛島くんの反応が気になって、俯いたまま目だけを少し上に上げた時、私の思考は止まった。

 だって、普段笑うと言っても微笑む程度でしか笑わない牛島くんが、はにかんでいたのだから。

「牛島くん……?」
「あぁ、なんでもない。行くか」

 声をかけるとほんの一瞬ハッとした表情を浮かべ、すぐにいつもの牛島くんへと戻る。悪いと思って、謝ってくれて。牛島くんなりに気にもしてくれていたんだと思う。わだかまりが解けて嬉しいと思ってくれたんだろうか。もしそうだとしたら私も嬉しい。……ただ、何よりも、あの牛島くんの笑顔が忘れられそうにない。

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