窓際のオヒメサマ


 普段は喜怒哀楽を滅多に出さないのに、最近の若利くんからは穏やかなオーラが漏れている気がする。
 自分の感じたその気配は一体いつからだろうと思い返してみると、それは多分、3年生になった辺りからだと思う。じゃあ、それは何故だろうと次の疑問へと移ってみると、自分の頭の中に1人の女子生徒が浮かんできた。あぁ、そういえば若利くんと同じクラスになったんだったんだっけ。女子生徒の存在に辿り着いたことで疑問の答えに至る。
 あれは確か1年の1学期が終わる頃だったかな。朝練で体育館で一通り体を動かしてから学校周りをランニングしに行ったその戻り。

「あれ、若利くん? こんな所で何してるの?」

 俺達よりも遥かに早いスピードで走る若利くんが先に学校に戻っているのは当たり前のこと。だけど若利くんは体育館ではなくその少し前にある図書館の前で立ち止まってじっと上を見つめていた。そんな若利くんを不思議に思い声をかけたら、「……いや」と言って若利くんは体育館の方へと汗を拭きながら戻って行った。何を見ていたんだろうと上を見つめてみても、特になんの違和感もない光景が広がっているだけ。理由が分からず、ただ立ち止まっていただけなんだろうと思い直してその日は深く考えずそのまま若利くんの後を追った。
 だけど、その次の日もそのまた次の日も若利くんはその場でじっと上を見つめていた。さすがに何か理由があるはずだと俺も頭上を見つめ続け、ようやくその光景の中で1つの違和感に気が付いた。

「あの子、毎日座ってるなぁ」

 毎日代わり映えのしない光景なのは変わらない。だけど、窓際に座る生徒は日によって違ってもおかしくはないのに。あの席だけは毎日同じ女子生徒が座って黙々と勉強している。若利くんがあの子を見ているのかどうかは分からないけれど、恐らくはそうだろう。あの若利くんが女子生徒を見つめるなんて……。珍しい出来事に思わずニヤけてしまうけれど、言った所で若利くんは「なんのことだ?」って本気で言ってきそうだから黙っておく。あれはきっと無自覚に近い行為だ。それにしてもあの子、なんでずっと同じ席に座ってるんだろう。確かに、若利くんが気になるのも分かる気がする。なんだか捕らえられたオヒメサマみたいだ。……ってことは若利くんはさしづめ、兵士ってとこ? その関係性が自分で言っておいて妙にハマってしまった。

「天童、何笑ってんだ?」

 後から追いついてきた獅音に怪訝そうに尋ねられるけど、「ううん」とはぐらかす。だって黙ってみておいた方が何倍も楽しそうだし。
 にんまりと上がる口角をそのままにして体育館へと足を進めると、獅音が「ゲスいことでも考えてそうだな」と呆れ笑う声がする。なんと言われたって構わない。いつだって楽しいと思う方に向かえば間違いはないのだから。 



 あれから若利くんはランニングに行く時、真ん中じゃなくて端の方を走るようになりだした。他のバレー部は真ん中を走るのに、若利くんだけなんでワザワザって思ったけど、理由なんてすぐに分かった。俺達がランニングに行くのと同じくらいの時間帯にオヒメサマが登校してくるからだ。いつも端の方を下を向いてみんなから気付かれないように、静かにこっそりと歩いて行くオヒメサマは、なんだかとても自信がなさそうに見えた。どうしてそんなに自信なさげに歩くんだろう。そんなことを思いながらも俺は特に話しかけることもせず、遠くから若利くんとオヒメサマが目も合わないまますれ違うのを見ていた。

 鍛治くんの逆鱗に触れ、練習終わりにサーブ練習が追加されることになったある日。そのせいでいつもより遅れてランニングを開始した日だった。あぁ、今日はあのオヒメサマと若利くんがすれ違うのをもどかしく見つめることが出来ないのか、残念だなぁなんて思いながらも真ん中の方をのそのそと走っていると、なんと、オヒメサマも合わせたかのように俺達とは反対の方向から姿を現した。いつにも増して顔面蒼白に見えるオヒメサマは、今日も変わらず俯きながら歩いている。……いやでもまさか俺達が遅れた日に限ってオヒメサマも遅れて来る? これもう運命でしょ? そんな風に勝手に運命を感じていると、何年とすれ違っていても1度も若利くんに気付くことがなかったオヒメサマが、その日初めて後ろを振り返って若利くんの姿を認識した。……いやいや、これってもう運命以外の何ものでもないでしょ。そう確信した俺は、なんだかとても楽しい気持ちになって若利くんの後を追うように学校の外へと走り出した。
 楽しいなぁ。兵士に気が付いたオヒメサマはどうなっていくんだろう。あぁ、凄く楽しみだなぁ。

prev top next
- ナノ -