満ちても欠けても
やぶれても

 盛り上がりにかけた飲み会。直樹さんは「ここは俺らが」と言ってくれたけど、私が頑なに拒んだ。そこでも微妙な雰囲気になったけれど、とにかく終わりを迎えた。直樹さんから“次”の取り付けもなかったし、こちらからすることももちろんない。……もう、本当にこれで終わりかな。澤村さんにあんなこと言っちゃったし。さすがに励ます言葉が見つからない。

「みょうじさん」
「……えっ」

 とぼとぼと来た道を1人絶望を抱えて歩いていると、初めて会った日のように名前を呼ばれた。これは一体どういうことだと絶望が混乱に変わるのを感じながら、近付いてくる澤村さんを待っていると「送ります」と予想外の申し出をされた。

 いや、彼の性格を考えると夜道に女性を放りだすなんてことしそうにない。ただ、あんなひどいことを言った相手なのに? そんな驚きが顔に出たらしい。

「さっきは出過ぎたことを言ってしまって……すみませんでした」
「えっいやっそれは……!」
「そのことを謝りたくて。もしみょうじさんが迷惑に感じるようでしたら、俺はここで」
「迷惑なんかじゃないです!!」
「そ、そうですか? じゃあ、」

 この人は本当にもう。……どれくらいの優しさが募ればアナタみたいな存在が出来上がるのでしょうか? つん、とも、きゅん、とも取れる胸の高鳴りを抑えつつ、「お仕事はどうですか?」と尋ねる。仕事が忙しいというのは本当のことみたいだし、健康状態とか、色々心配になる。話によってはある程度の場所でお別れしよう。

 頭の中でシミュレーションしながら澤村さんの言葉を待っていると、辺りを見渡していた澤村さんがハッとした顔つきに変わり、「ここら辺、新人の頃配属された交番が近いんですよね」と呟いた。
 懐かしいなぁ、と感慨深そうに見渡す視線は、どこか警察官の持つ鋭さを匂わせている。……私は、この観察眼に救われたんだったけ。と、初めて会ったあの日を思い出す。

「ん?」
「いえ。警察官っぽいなぁと」
「そ、そうですか?」

 横顔はこんなにも鋭いのに、真正面になるとこんなにも柔らかい。ずっと、ずっと澤村さんの隣に居れたらいいのに。そんな欲が出てくるけど、それは私のワガママだ。澤村さんに付き合わせる訳にはいかない。

「今日はここら辺で大丈夫です。ありがとうございました」
「……もし、良ければなんですが」
「はい?」
「久々にここら辺を見てみたいので、もう少し一緒に歩いてもいいですか?」
「も、もちろん!」

 初めて会った時もこんなことを言って一緒に帰ってくれたんだっけ。澤村さんってちょっと不思議だ。隣に居るとこんなにも優しくしてくれるのに、私が近付こうとするとスッと足元に規制線を張ってみる。……そういう部分がもどかしくて、その線を越えてみたいような、怖いような。そういうフワフワした感覚に陥る。

「拳銃の取り扱いでよく叱られました」
「えっ澤村さんでも怒られることあるんですか?」
「勿論ですよ。何度失敗したことか」
「へぇ……意外です」
「みょうじさんにとって俺は色々と意外な部分があるみたいですね」
「ん?」
「だって、夏生まれだと思われてたみたいですし」
「あ。確かに……。だって澤村さん、冬のイメージないですもん」
「そうですか?」
「はい」

 だって、こんなにも温かい。あ、でももし冬生まれだとしても澤村さんの温かさをより実感出来るだろうから。冬生まれでも納得かも。……なんて。



「あ」
「ん?」
「つ、着いちゃいました……」

 大盛り上がり――とはいえないけれど、それでもポツリポツリ交わす会話に心地良さを感じながら歩いた夜道。気が付けばもうマンションが目の前。あっという間だったなぁ、と思うのと、こんな所まで付き合わせるつもりなかったのに、という焦り。……と、これからどうしよう、という少しばかりの高揚。

「ご自宅、こちらなんですね」
「は、はい……。えっと……、」
「じゃあ。俺はここで」
「あっ……さ、澤村さんっ」
「はい?」

 送り狼――そんなことを彼がしないなんて、痛いくらいに分かっているけれど。どうしても。どうしても。まだ一緒に居たくて。線引きされたその向こう側に行きたくて。

「よかったら、家、あがっていきませんか?」
「……それは、」
「お茶でも……っ、飲んで行って下さい……!」
「……ですが、」
「お願いしますっ、」

 お茶を飲んで欲しいという提案を、こんな風に懇願に近い形で言うなんて。見る人が見たら必死だと笑うのかもしれない。だけど、そんな恥も外聞もなく私は澤村さんに縋りたかった。だって、大好きだから。

「……じゃあ、1杯だけ」

 渋々、といった様子だったけれど。受け入れてくれた澤村さんの顔を見上げた私の顔は、一体どんな表情をしてただろう。

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