聖ならざる絶望

―メシでもどうですか?

 澤村さんからだったらよかったのに――そう思って、ハッとする。これはさすがに直樹さんに失礼だ。私の味気ない返事にも丁寧に返し続ける直樹さん。こうしてご飯に誘われるということは、少なからず脈はあるのだと思う。
 だけど、ここでこの食事に応じてしまったら、それこそ直樹さんに“行けるかも”という期待を抱かせてしまう。それって、相手にとっても失礼なことなんじゃないか。その考えに至った時、また1つ胸が痛んだ。

―もしかしたら大地も来るかもなんで、2人きりではないですが(笑)

「えっ!」

 大地って、澤村さんのことだ。私と澤村さんの気持ちは違うかもしれないんだし、なんて励ましを施した矢先でこれだ。“行きたい”という気持ちに早変わりする辺り、私は卑しい人間だ。澤村さんのように誠実で爽やかな人間になんてなれそうもない。

 続けざまに送られて来た日時と場所に対し、“分かりました”と返す。勘違いをさせることはしたくないけど、澤村さんが来るのなら適当な服装では行けない。クローゼットの前に立ち、ジーンズに合うコーディネートを考える。直樹さんから来ていた“楽しみにしています!”というメッセージには既読スルーを。……利用するみたいで申し訳ない。だけど、これを逃すほど真面目にもなれない。こういう計算で動く女だと知ったら、澤村さんは嫌いになるのかな。だとしたら、隠してみせるから。どうか澤村さんは気付かないで。



「なまえさん! お待ちしていました!」
「こんばんは。……澤村さんは?」
「あー、ちょっと仕事が長引いてるみたいで。多分もうちょっとしたら来ます」
「そうなんですね」

 ジーンズをロールアップにして、大きめのスウェットを前だけタックインさせて。髪の毛は後ろでスカーフも編み込んだ三つ編みにして。伊達メガネをかけてメンズライクにしてみた。……澤村さんにヒットすればいいな。澤村さんが頓着しないって分かっていても、少しでも可愛いと思って貰える可能性を信じて。

「今日の服装も可愛いね」
「ありがとうございます」
「髪の毛どうやってるの?」

 直樹さんの手が髪の毛に触れそうになる。その距離感はさすがに嫌で、ふいに頭をずらすと直樹さんの手も離れてゆく。直樹さんには申し訳ないけれど、これがせめてもの態度。どうか、察してくれますように。……なんて。自分勝手過ぎる。直樹さん、ごめんなさい。

「すまん! 遅れた、って……え、みょうじさん?」
「こんばんは」

 目を白黒させる澤村さんは何も聞かされてなかったようだ。状況の把握をしきれていないまま腰掛け、注文をとりにきた店員さんに「生ビール下さい」と反射のように告げる澤村さん。だけど脳内には“?”がチラついているのが手にとるように分かる。

「なまえさんもどうかなって誘ってたんだ」
「あぁ、なるほど」
「じゃあ大地も揃った所で! 乾杯!」

 直樹さんの掛け声でそれぞれのジョッキを軽くぶつける。澤村さんはどうしてここに私が居るのか、勘付いてもないみたい。ちょっとくらいは気付いてくれたっていいのに――なんてむすくれる頬にさえ、澤村さんは気付きもしない。



「ちょっとトイレ」
「おう」

 直樹さんが席を立ち、2人きりになる。あのジムの日からラインは出来ていない。私のメッセージで止まっているし、続けざまに送る内容も思い浮かばなくて。そうして日数を重ねるうちに今日が来てしまった。

「ライン、返せてなくてすみません」
「あ、いえ……お仕事、お忙しいんですよね?」
「まぁ。……はい」

 1滴の罪悪感。おしぼりで手を拭きながら抱えるソレは、私の誘いを断ったせいなのか。……だったらどうして。

「明日もお早いんですか?」

 刺々しいなという後悔は、言った後にしか生まれてくれない。もっと軽快な声色で訊きたかった。だったらどうして直樹さんとの飲みには来たんだという身勝手な嫉妬心が出過ぎた。すぐに「警察官って大変でしょうし」とフォローを入れようとしたけど、それは澤村さんの言葉によって途切れた。

「みょうじさんはこうして男性とよく飲みに行かれるんですか?」
「え……」

 私以上の棘を持ったソレは、この場の色をぐんっと落としてみせた。“よく”というのは、あの日私が勇気を出して誘った行為を言っているのだろうか。こうして、直樹さんの誘いを受けている行為を言っているのだろうか。

「澤村さんに関係ない……じゃ、ないですか」

 何も知らないクセに。私がどういう思いでここに居るかも、どういう思いでここに来たかも。何も気付いてくれないクセに。澤村さんが言った言葉は、私の卑しい部分だけを見透かしているみたいに真っ直ぐと刺さって取れない。

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