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たらればに潜めた5文字

 “また来たのか”と怒られるのを覚悟で場地さんの墓に行き、一連の流れを報告して帰った自宅。リビングの照明が点いていないのを見る限り、なまえは寝ているのだろう。そんな憶測を玄関で立て、足音を潜めドアを開けると目に入ったのはペケJと身を寄せ合うようにしてソファで眠るなまえの姿。
 間接照明の下でひっそりと息を潜めるようにして眠る姿を見て軽い笑みが零れ落ちていく。こんだけ広いスペースでそんな寄り添って寝なくても良いだろ。

 仲睦まじいなまえと愛猫の姿をいつまでも眺めていたい気もするが、人間はベッドで寝るのが1番だ。いつまでもここに寝かせて風邪でもひかれちゃ堪んねぇ。

 その思いでなまえをそっと抱き上げゲストルームに運ぶ。この部屋も前まで質素だったのに、今ではなまえ用の家具が配置されていて、ほんのりと生活感が漂うになった。ベッドシーツも、カーテンも、今なまえが着ているモコモコの寝間着も。全部、なまえがここに居る証拠。なまえの生き甲斐。

 なまえをベッドに横たえた後ゲストルームにちらりと視線を這わす。そしてなまえが生きていることを実感し、こみ上げる嬉しさを受け止めてそっと部屋を出た。なまえにはこれからもっと沢山の生き甲斐を見出していって欲しい。その為に、俺が出来ることは一体なんだろうか。

 ゲストルームから戻ってくると先ほどまでなまえと一緒に眠っていたペケJがなまえの温もりを辿るようにして鎮座していた。俺を見るなり“なまえはどこだ”と問うような声で鳴く。コイツは一体いつの間にそんなに懐いたんだ? ペケJの懐き具合を笑いながらなまえの代わりを果たすようにペケを自分の腕の中に招くと心地良さそうに眠りに入っていく。ペケも、俺が居なくなってもなまえが居る。だからペケ、ペケもなまえのこと頼むな。

 愛猫の背中をゆっくり優しく撫でているうちに自分の意識も微睡みの世界に行く予兆を気取る。ペケやなまえはいつだって張り詰めた俺の気持ちを解し、和らげてくれる。……家族って、こういう関係をいうのだろうか。もしそうだとしたら、俺もすげぇ嬉しい。



「……ん?」

 知らぬ間に意識を手放し、次に目が覚めたのはカーテンの隙間から朝日が覗く頃だった。風呂も入らず眠ってしまったことを悔やみつつ、上体を起こす。するとそれと同時に体の上を何かが滑り落ちる感覚がして、目線を落とすと淡いピンク色のブランケットが自分に掛けられていた。そうして状況把握のために散らしていた視線は俺のすぐ側で留まった。

「折角運んでやったのに」

 夜中に目を覚ました時にソファで眠る俺を見てブランケットを持ってきてくれたのだろう。昨晩ゲストルームにあったそれが今ここにある理由を理解し、またしてもソファに凭れて眠っているなまえに愛おしさを感じる。

 お前が風邪引いちまったら元も子もねぇじゃねぇか。などと小言を言ってみるが、それが本音でないことなんて分かりきっている。だらしなく緩む口角を引き締め、今度は俺が眠っていた場所に横たえるとソファの弾力に心地よさそうに頬擦りするなまえ。……まるで猫みてぇだな。

 透き通るような肌に、ぷっくりと膨らんだ唇。伏せた瞳を守るように生える長い睫毛。頭にそっと手を置くと想像通り滑らかな指通りの髪の毛。なまえはいつだって綺麗だ。初めて会った時も。なまえは綺麗だった。

「もしもし。……そうですか。……分かりました」

 スマホの着信に気付き、自室に移動して出た電話。相手は想像通りで、内容も想像していた通り。これで一気に自分の死期がハッキリとしたものとなる。……3日後の定例会は間違いなく今しがた行われたガサ入れのことになるだろう。そして、東卍は裏切り者を探す筈。そうなれば俺は――……

 急に喉の渇きを覚え、リビングに戻り水を一気飲みする。喉を潤し、なまえの寝顔を見つめれば不思議と心は落ち着き、これから起こる出来事を落とし込むことが出来た。



 俺は今日、この家を出る。勿論なまえを守る為だ。裏切り者を探す間、俺の側になまえが居ては駄目だ。確実に巻き込んじまう。結局稀咲を追い出す代替案を思いつくことは出来ず仕舞いだが、それに関しては相棒や一虎くんが居る。だから大丈夫。任せられる。

 問題はなまえ。まだまだ沢山、もっとしっかりなまえを守ってやりたかったがそれは無理そうだ。なまえのことを思えば自分の死を惜しく思ってしまいそうになる。……でも、こればかりは譲れねぇ。

 最後にもう1度だけなまえの笑った顔が見たい。そして、直接想いを伝えてやりたい。だけど面と向かって言葉にしようとすれば、1割も言葉に出来ないだろう。俺はバカだから、なまえを抱き締め縋りつくことしか出来なくなりそうだ。……だから。

 ペットボトルを持って再び自室に戻り向かうはデスク。そこに真っ白な紙を出し、ペンを持ち書く体勢に入る。何度か書こうとしては止めてを繰り返し、紙をくしゃっと丸めた後、気を取り直して刷新した紙にペンを走らせていく。
 女に、というか誰かに手紙なんて生まれて初めてだ。あの日の場地さんの照れくさそうな顔が浮かぶ。俺も今、あんな顔してんのかな。



 なまえのもとを離れてから2日が経った。なまえにはラインで“仕事の絡みで暫く帰れない”と伝えている。そこからなまえが寝る前に必ずペケJの写真や動画を送ってくるのは“猫の世話係”としての責任感からだろう。いつの日か俺のことを“意外と真面目”と笑ったが、真面目なのはやはりなまえの方だ。まだ2日しか経っていないのに自分の家に帰りたい気持ちがこみ上げて来て、己の未練がましさに呆れ笑いが出る。

 叶わない願い事ほど、叶えたいと思ってしまう。思えば俺はずっと“たられば”を繰り返して生きてきた。それももう今日でお終い。

―なまえ、俺の部屋のデスクの引き出しに手紙が入ってる。もし良かったら読んでくれ。面と向かって言えなくてごめんな。……これからもペケのことよろしく頼む。

 電子音だとしても声を聞いたら今すぐ駆け出していきそうな気がしたので、ラインでメッセージを送り、スマホの電源を落とした。時刻は13時40分。夜には幹部の定例会があるというのに、相棒は電話に出もしねぇ。まったく、最後の最後まで相棒はバカなヤツだ。……だけど、信じてるからな。



「いつの間にか汚ねぇことにも手を染めた。俺らは間違いもいっぱい犯した。でも根っこは変わんねぇハズだ。……場地さんの想いを……東卍を頼むぞ相棒」

 苦痛に顔を歪ませ、起こっている事態の状況把握が出来ていないタケミっち。俺が見た最後の景色はそこで終わり、銃声が鳴って意識が途切れるまでの数秒間、色んなことを思い浮かべた。
 タケミっちと過ごした12年間。場地さんと交わした言葉の数々。キラキラと輝いていた頃の東卍。そして、なまえと過ごした2週間。

 俺はこの先をこの世で見届けることは出来ない。みんな、先に逝ってしまう俺をどうか許してくれ。そして、どうか。あの頃の東卍が戻ってきますように。なまえがこの先もずっと平穏な日々を、自分の意思で生きていけますように。……あぁ、場地さんに“来んの早ぇ”って怒られんのかな。それもまた一興か。俺のこと殴りでもして下さい。

 ……輪廻転生なんて信じてこなかった。でも、最期の最後で信じることにする。もし、生まれ代われたら、俺はもう1度東卍のみんなに出会いたい。そんで、なまえに出会って真正面から好きだと伝えたい。



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