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いつかの無垢を抱きしめる

「初めまして、みょうじなまえです。いつも松野さんにお世話になってます」
「ハハ、墓に向かって自己紹介って」
「だって場地さんが眠ってるんですよね? だったらきちんと挨拶しないと」
「まぁ、そうだな」

 いつの日か話をした場地さんの墓。俺にとって神聖な場所だから、誰にも邪魔をされたくなくてここに来る時は必ず1人で訪れるようにしていた。だが、なまえは特別。俺も場地さんに紹介したかった。それが叶って一安心している所だ。

 これで場地さんのもとに行った時、なまえの話をしても「誰だソレ?」とはならないだろう。だから場地さん。話、ちゃんと聞いて下さいね?

 空を見上げ場地さんに語り掛けると何か言いたそうに太陽が顔を覗かせていた。

「帰ったらメシ食べ「あれ? 千冬??」……タケミっち……」

 墓参りを終え帰ろうかというタイミングでまさかの人物に鉢合わせ驚く。その表情を向けるとそれは向こうも同じだったようで、タケミっちも同じ顔を浮かべて近付いて来た。

「命日でもねぇのにタケミっちがここに来んの、珍しいな」
「あぁ。今年は命日に来れなかったからな」
「そっか。最近バタバタしてたもんな」
「あぁ……つーか、隣の子誰だ?」
「っ、」

 それまで俺とタケミっちの顔を見てハテナを浮かべていたなまえがタケミっちの視線が自分に向けられたことによって委縮する。タケミっちの身なりや人相は決して穏やかではない。そんな人物に凝視されたら一般人は恐怖を抱くだろう。反射的に俺に身を寄せてきたなまえを庇うように前に出て「訳あって一緒に過ごしてる」と言えば更にタケミっちの目が大きく見開かれた。

「お前……まさか……」
「そんなんじゃねぇ、ちげぇ」
「そんなんじゃねぇんなら、なんだよ?」
「それは……」

 俺となまえの関係性はなんといえば良いのだろう。この関係に明確な言葉を付すことが出来たならば、俺はもっと具体的ななにかをなまえに残せてやれるのだろうか。……しかし、具体的な関係を作ってしまったが故に相手を巻き込み、互いに辛い思いをした人間ばかりの世界で、その相手を作ることがいかに恐ろしいことか、俺は嫌というほど見てきた。……目の前に居るタケミっちだってその1人だ。動画の件も相まってタケミっちに大切な人が出来たと報告するのは気が引ける。

「わ、私がっ、行く当てがなくて困ってた所を助けて頂いたんです……っ」
「なまえ……」

 追及されて口籠っていた俺に代わって今度はなまえが前に出てタケミっちに言葉を返す。その姿が必死に俺を守ろうとしているように見えて、堪らなく愛おしさがこみ上げてきてしまう。これ以上、なまえに深入りしては駄目だと分かっていても愛情だけは勝手に育ってしまうのだ。
 ごめんな、なまえ。……ごめんな、タケミっち。謝罪の意を込めてタケミっちを見やるとタケミっちの瞳もなまえから俺へとゆっくり移ろい、目線がぶつかり合う。

「良い子じゃねぇか。大事にしろよ、千冬」
「タケミっち……」
「場地さんも認めてくれてんだろ。なまえちゃんだっけ? また今度な」
「えあ……はいっ」

 笑みを浮かべ場地さんの墓に向かって歩いて行ったタケミっちをなまえと2人で見送り、「……帰るか」と言葉少なに語りかけるとなまえも大人しく後をついてくる。……何も言わないなまえはやはり聡いヤツだ。俺が今した覚悟にすら勘付いてんじゃねぇかと思うほどに。



「さっき、墓地で会ったヤツなんだけど」
「タケミっちさん、ですか?」
「あぁ」
「怖いのか、優しいのか良く分からなくて、初めて会った時の松野さんみたいでした」
「……アイツは俺の上司であり、相棒なんだ」
「上司、ですか?」

 コーヒーを飲む手を止め、俺を見上げるなまえ。上下関係が存在することまでは想像がつかなかったようだ。マグカップをテーブルに置いて話を聞くことを優先させたなまえに向かい合い、俺もゆっくりと言葉を続ける。

「俺らの仕事は胸張って言える仕事じゃねぇんだ。汚ねぇこともしてきたし、間違いだと分かってて手を染めたこともある。……そういうヤツなんだ、俺は」

 自分の声が震えているのが分かる。情けねぇことになまえに拒絶されるのを恐れているのだ。それでも、なまえには本当の俺を知っておいて欲しい。なまえの中の俺は嘘偽りのない俺で居たい。

「松野さん」

 なまえの柔らかい声に俯いていた顔を上げ、なまえの顔を見つめると声と同じくらい穏やかな顔をして俺を見つめていた。

「そんなに怖い顔しないで下さい」
「え?」
「私、それなりに酷い目に遭ってきたんです。だから、松野さんの仕事内容で怯えたり拒絶したりなんてことしません。それに、松野さんがどんな人かなんて一緒に過ごしてもう十分分かっています。例えヤクザだったとしても、松野さん自身を恐れることはありません」
「なまえ……。…ありがとう」
「お礼を言うのは私の方ってこと、松野さんはもう知ってると思いますけど?」

 いつぞやの俺の口調を真似て目尻を細めるなまえ。なまえが居て良かったのは俺の方なんじゃねぇか。死ぬ前になまえと出会えて、良かった。

「……俺、ちょっと出かけてくる」
「タケミっちさんですか?」
「……いや、それとはまた別」

 シンクでマグカップを洗うなまえに自分のマグを渡し、向かうは一虎くんのもと。先程決めた覚悟を伝える為だ。

「気を付けて」
「あぁ。……なまえ、俺と出会ってくれて、ありがとう」
「へっ……?」
「じゃあ行ってくる」

 目を瞬かせるなまえはマグカップを濯いでいた手を止め、思考を停止させている。そんななまえの様子がおかしくて、力んだ体が少しだけ楽になった気がした。……本当はこういうこと言うガラじゃねぇけど、伝えたいことは今のうちに伝えておかねぇとな。



「なんか進展あったか?」
「いえ、まだガサの情報は入ってません」
「……だったら何の用だ?」

 一虎くんが不思議そうな顔で俺を見つめてくる。その視線を横で感じながら、俺は真っ直ぐ前を見て決意を明かす。

「動画は出せません」
「は? お前何言って……、」
「大事な理由があるんです」
「それがあれば確実に稀咲を追い出せるんだぞ!?」
「他の方法を探します」
「おい千冬! なに血迷ってんだよ! 下手したら死ぬんだぞ!」
「それは覚悟しています。正念場で決めた覚悟なんですから」
「おい!」

 肩口を掴まれ、そのまま頭を窓に打ち付けられる。目の前に迫った一虎くんの憤慨した表情を今度は真っ向から受け止め、俺の覚悟を瞳から伝える。そうすれば一虎くんの視線と手は外れ、座席に頭を預けてから深いため息を吐かれた。

「……お前、本当にそれで良いのか……?」
「はい。この選択が俺の答えです」

 誰かをハメる行為なんて吐くくらいしてきた。だけど、やっぱり相棒を裏切る行為は俺には出来ねぇ。
 この行為が本当に正しいのかは分かんねぇ。でも、稀咲を追い出す為にタケミっちを売るのは俺のしたいことじゃない。もしも俺が殺されても、タケミっちならば東卍をどうにかしてくれる。俺はその希望に賭けたい。

 結局一虎くんは最終的には心配そうな顔つきで車から出て行った。その背中に詫びを入れ、車を動かす。アクセルを踏む足はいつかに比べてとても軽いものだった。



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