恋の方程式は導けない

 あれから数日。荒船からは廊下で会った時に1度だけ「どうなった?」と尋ねられたけれど、曖昧にはぐらかして今に至っている。
 私が犬飼に告白されたことは既に広まっているみたいだけど、荒船が“好奇心を抑えられない”といった様子で訊いてきた以外、周囲の様子はなんら変わりはない。もしかすると犬飼が何か手を打っているのかもしれないけれど。
 犬飼が私に告白をする前と何ら変わりのない態度で振舞ってくれるから、私も調子を狂わさずに済んでいる。

 今でもちょっとだけ“冗談なのでは”と思ってしまうけれど、あの時の犬飼から嘘は見つけ出せなかった。だから、犬飼の本当の気持ちは心の底では理解しているし、今の状況も犬飼が私を気遣って作り上げてくれているんだってことも判っている。

 ただ、戸惑いが疑惑を誘い出しているだけ。犬飼が、私を、好き。……犬飼の好きな人が、私……。

「なまえ? どうしたんだよ、ンなとこでボケっと突っ立って」
「ま、雅人くん! 今からどこか出掛けるの?」

 隙があれば思い浮かべてしまう“あの件”をバイト終わりの裏口付近で思い出していると、私服姿の雅人くんから声をかけられた。突然の声に肩をビクッ! と跳ね上げれば、その反応を薄ら笑いながら「あぁ。ボーダーの作戦室でダラダラしに」と答えをくれる雅人くん。

「え、こんな時間から?」
「どうせ明日非番だし。そんままボーダーに泊まって、明日は模擬戦でもやるつもりだ」
「そうなんだ……! ボーダーって結構自由なんだね」
「まぁな。ヒカリ……俺の隊のオペレーターなんか毎日ダラけてやがる。そいつが俺がこないだ買った漫画作戦室に置いてるっつぅからよ、今から行くことになった」

 雅人くんは友達が多い。それは中身に伴って出来た友達の数ということは充分理解している。……だけど、雅人くんの口から出てきた“ヒカリ”という名前の持ち主は多分きっと、女の子だ。そのことに胸がチクリと痛む。……いや雅人くんが女性のことを呼び捨てにしていても良いんだけれども。私だって“なまえ”って呼ばれてるんだし。

「? ンだなまえ。暗ぇ感情出してんな」
「あ、ごめん! そうだ雅人くん! コレ、良かったら!」
「はぁ? ……良いっつったのに」

 雅人くんとはこうしてかげうらでよく会うし、いつでも渡せるようにとあの日買ったネックウォーマーを持ち歩いている。今がその時だと思い、袋を差し出せば雅人くんが「わざわざ買ったのか?」と呆れたような口調で尋ねてくる。……プレゼントはあげたいって思った人が自発的に買うものだから。

「気に入らなかったら捨てていいから」
「ンなことする訳ねぇだろ。……ほんとに貰って良いのか?」
「もちろん。その為に買ったんだもん。それとも突き返す?」
「お前結構良い性格してんじゃねぇか。……まぁその……なんだ。……悪いな」

 額を掻いている雅人くんからは白い息が吐き出されている。今日は首元が隠れる服装じゃないし、あのネックウォーマーが似合いそうな服装をしている。ぜひ雅人くんに着て欲しい。私のプレゼントが、雅人くんを寒さから庇えれば良いな。

「雅人くんが気に入ってくれると良いんだけど」
「……おう」

 雅人くんに渡した袋は犬飼とはまた違った開けられ方をしてその中に潜んでいるネックウォーマーを露わにさせる。……私にはサイドエフェクトがないから、雅人くんのセンスに刺さってるか分からないけれど。パッと顔を上げた雅人くんの表情は心なしか嬉しそうに見える。

「も、もし気に入らなかったら着なくてい良いからね? 捨てたり突き返したりされなければ、私は全然平気だから」

 努めて明るく言ったつもりの私の声は、少し上擦っているのが分かる。こんなの、サイドエフェクトがなくたって緊張してるって丸分かりだ。……こんなに誰かにプレゼントをあげることに緊張したのは初めてかもしれない。

「なまえも今から帰るんだろ?」
「うん。そうだけど」
「ついでだ。送ってく」
「でもボーダーに行くんじゃ……?」
「……あ? そんなに俺と歩くの嫌か? カフェん時も拒否ってたけど」
「ちがっ、そんなんじゃっ!」
「へっ、冗談だよ。さっきの仕返しだバーカ。置いてくぞ」
「あ、待って!」

 慌てて追い、その隣を歩きながらチラチラと見上げる。……ネックウォーマー、してくれないのかな。
 窺うように見つめる視線を感じ取ったのか、雅人くんも私を見下ろして、ニヤリと口角を上げてみせる。その笑みに息を呑んだのも束の間で、手に持っていたネックウォーマーを私にズボっと被せてきた。

「わっ!?」
「勘違いすんなよ。それは俺の大切なモンだからな。あげたんじゃねぇぞ、貸すんだ。……ちゃんと返せよ?」

 ネックウォーマーで視界が遮られて、慌てて両手で顎までそれを下ろした私に雅人くんが笑いながらそう言ってくる。

「はは、髪ボッサボサだぞ」
「だ、誰のせいだと……!」
「悪ぃ悪ぃ。……ありがとな。なまえ」
「……っ!」

 誰かの笑顔がこんなにも私の鼓動を速めること、今まであっただろうか。
 この気持ちはなんと呼べば良いのか――私はやっぱり分からなくて。雅人くんに訊いてみたら教えてくれるのかな。そんな考えが頭をよぎるけど、自分の感情は自分で考えるべきだと踏みとどまる。

「おい、また足止まってんぞ」
「今行くっ!」

 だた、雅人くんから言われた“ありがとう”って言葉は“悪い”って言われた謝罪の言葉よりも何倍も嬉しい。それは自信を持って言える私の感情だ。

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