あなたを想えば冷える爪先

 2人きりになってしまったこの場所に、寒さとは違う気まずい空気が漂う。……どうしよう。まさかこんな展開になるなんて。

「なまえさーん?」
「ひっ! ごめん!」
「……それは、おれのさっきの言葉に対するモノ?」
「へっ? ……あっ」

 そう。私は今しがた犬飼の口から好きな人の名前を聞いたのだ。教えてとも願ったし、知りたいとも思った。だから好奇心を持って盗み聞ぎをしてみたらこんな展開になるだなんて。一体誰が……いいや、私以外の全員が想像していたこと。私1人だけが判っていなくて、こんな事態を起こしてしまっている。

 犬飼の好きな人――その相手がまさか私だなんて。例え他の人が判っていたとしても、私はまったく知らなかった。だから今、頭が真っ白になってしまっていることはどうか仕方のないことだと分かって欲しい。……だって、犬飼が私のことを好きだなんて思いもしていなかった。なんなら、“ドッキリでした”と言われたとしても今ならまだ信じられる。

「……冗談だったり、する?」
「あのね、おれは今高嶺ちゃんから告白されたんだよ? その子に対して“なまえが好きなんだ”って嘘でも言えるわけないよね?」
「そ、ですよね……」
「まったく。なまえはおれのことなんだと思ってるわけ?」
「いやだって……犬飼が私なんかのことを、って思っちゃって……」

 犬飼と私の関係性は、“下らない言い合いが出来る友達”だと思っていた。そこに食い違いがあるとは全然思ってなかったから、今でもまだしっくりこない。
 その疑惑を犬飼は曖昧に笑いながら「おれは、ほんとうになまえのことが好きだよ」と払拭してみせる。

「い、いつから……?」
「んー、初めは入学したての頃? ある程度仲良くなると“誰がいい”とかそういう話をしだすじゃん。……あ、おれは言わなかったけど。で、意外となまえの名前出す人が多くてさ。それから」
「隣の芝生的な?」
「そう言われるとそうなのかな。……だけど、それから気が付けばおれ自身もなまえのこと目で追うようになってたんだよね」

 今まで知ることのなかった犬飼の新たな感情。一体どこにひた隠しにしていたんだというくらい、犬飼の口から溢れる言葉は止まらない。

「よーく見てみたら確かに顔可愛いなって思ったり、鈍臭い所もあるけどそこがまた可愛らしく見えたり、性格も良いし――って感じで気が付けばどんどんなまえの魅力に惹かれていってた。だから、“いつから”とかそういう決定打みたいなのはない。じわじわ落とされたかんじです」
「……ま、まじか」

 犬飼は言いにくいこともズバズバ言ってくるタイプだ。……分かりきってることだったのに。今だって聞いている私の顔が真っ赤になるようなこともさらりと言えてしまえる。……だからこそ、犬飼に好きな人を聞いた時に口を割らなかった時点で気付くべきだった。……気が付けないから今こうなっているのだけど。後悔って、やっぱり後にしか来てくれない。

「で、おれの好きな人はなまえの知ってる人だった訳だけど。協力要請は得られそうですか?」
「……犬飼の気持ちは嬉しい。嫌じゃない。……でも、ちょっと混乱してる」
「うん。まあ、だよね。なまえからしてみれば、急に言われたようなもんだよね。ま、おれももっとじっくり攻めるつもりだったんだけど。……そうゆっくりもしてられなくなっちゃったから。だからさ、なまえはその分ゆっくり考えて」
「えっと……」
「それとも、なまえは気になる人が居る?」
「えっ、」

 一瞬だけ雅人くんがチラついた。でも、雅人くんを恋愛感情で好きかと問われると、まだ自信がない。そんな状態で犬飼の告白を断るのも違う気がするし、犬飼の気持ちを嬉しいと思っているのも事実だ。……私は、一体どうしたら良いんだろう。

「ハッキリ“この人”って人が居ないんならおれにも余地ありと思って前向きになまえからの返事待つよ。だから、返事はいつでも良い。……なんなら一生答え出さなくても良いよ」
「……犬飼はそれで本当に良いの?」
「良いに決まってるじゃん。じゃないと言わない」

 帰ろう――そう言って私の少し前を歩く犬飼は、なぜだかほんの少しだけ寂しそうに見えた。

―なんなら一生答え出さなくても良いよ

 告白をしてくれたのに、犬飼は私の答えを必要ないとも取れるような発言をする。今、私の前を歩く犬飼はどんな感情なんだろう? 犬飼の気持ちが感受出来ない私は、犬飼を苦しめてしまっているのだろうか。だから犬飼はあんなことを言ったのかな。もしそうだとしたら、私のせいで犬飼を苦しめ続けることになる。荒船の言った通り、私はずるいのかもしれない。

「ねぇ、犬飼」
「ん?」
「答え出さなくて良いって犬飼は言ってくれたけど、やっぱり返事はきちんとさせて」
「……うん。分かった。待ってる」

 私を見つめる犬飼の表情は微笑みと呼ぶに相応しい。けれど、一抹の寂しさは取り払えてなくて。

「……そんな人、現れなくていいのに」
「え?」
「んーん。なんでもない。……わ、なまえの鼻赤くなってる。自販機でココア買ってやろうか?」
「えっ! いいの!?」
「あはは、目キラキラしてる。今おれに告られたの覚えてる?」
「……うっ、」
「なまえって単純だよなぁ。ほんと」

 そう言って笑う犬飼はいつも通りの喰えない犬飼に戻っていて。いつもはむかつくその表情に、私は安心すら覚えて。
 この感情は“ずるい”と非難されてしまうのだろうか。

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