私だけが知らない

 特別変わったことも起こらず迎えた冬休み。夏休みもそうだったけど、長期の休みになると部活終わりの学生が空腹を抱えてかげうらへやって来る。冬休みも夏休みに負けないくらい忙しい日々なので、私の毎日はほぼかげうらだ。……犬飼も、忙しくしているようで特にラインは来ていない。

「雅人今起きたの? 非番だからってダラけ過ぎよ!」
「良いだろ別に。その為の非番じゃねぇか」
「ならお店手伝って! ホールみょうじちゃん1人なの。雅人が厨房に入って、私がホールに出るから」
「はぁ!? “なら”ってなんだよ。なんで俺が非番の日に働かないといけねぇんだよ」
「働かざる者食うべからず!」
「……チッ。わーったよ。めんどくせぇ」

 厨房付近で雅人くんとママさんのやり取りが聞こえてきて、“また始まった”とお馴染みの言い合いに思わず口角が上がる。
 オーダーを通す為に伝票を所定の位置に貼っていると、頭を掻きながら雅人くんが姿を現した。

「おはよ」
「おはようって時間でもねぇけどな」

 しかめ面で手を洗った後、マスクと帽子を被る雅人くん。帽子を被ってる姿は新鮮だなぁ。いつもとは違う作業着姿に、思わず見惚れ……過ぎたらしい。鏡越しに雅人くんと目が合ってしまった。

「“似合わねぇ”とか思ってんだろ」
「そ、そんなことは……!」
「……ふん。そうかよ」

 上擦った声を聞き、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて厨房へと入っていく雅人くん。……今、私が思ってしまった感情は雅人くんにどう刺さったんだろう。

「6番さん上がるよー!」
「あっ、はい!」

 今が仕事中で良かった。そうじゃないと、私が感じたこの感情に延々と悩むことになっていただろうから。



 ピークを乗り過ごし、穏やかになったホールと厨房。寒い時期にも関わらず、額をつつ、っと1筋汗が流れてゆくのが分かる。それを腕で拭っていると、「みょうじちゃんお疲れ。さっき雅人がお好み焼き作ってたから、それ良かったら食べて来な」とパパさんから声をかけられる。

「本当ですか!? ありがとうございます! 休憩行ってきます!」

 雅人くんが作ったお好み焼きがまた食べられるなんて! 冬休み万歳! 心の中で両手を上げながら雅人くんが作ってくれたお好み焼きをしっかりと両手で受け取る。
 ルンルン気分で休憩室のドアを開けると、ぐでっと椅子に腰掛ける雅人くんが居た。さすがの雅人くんもちょっぴり疲れた様子だ。

「お疲れ」
「おー」
「雅人くんって昔から手伝いしてたの? すっごく手際が良いからビックリしちゃった」
「まぁ、ああやってババアから無理やり駆り出されることはよくあったな」
「ふふ、そっか。……てか、前に食べさせて貰った時も思ったけどさ、やっぱり雅人くんの作るお好み焼きすっごく美味しい。さすがお好み焼き屋の息子!」
「別に威張れるモンじゃねぇよ」
「そう? 私だったら色んな人に自慢するけどな。“こんなに美味しいお好み焼き作れるんだぜ!”って!」
「ハッ、そりゃ考えたこともなかったな」
「そうなの!? もったいない!」
「やっぱなまえおもしれぇな」

 雅人くんから笑顔を向けられると、ちょっと照れちゃう。
 雅人くんは人の感情が分かるらしい。私はそれが羨ましいと何度か言っているけれど、雅人くんはいつも顔を顰めるばかり。……雅人くんは私の感情をどういう風に受けてるんだろう。友達から向けられる感情? それとも――。

「そういえば年明けの――」

 雅人くんが口を開くのとほぼ同じタイミングで私のスマホが着信を知らせる。――相手は犬飼。
 着信相手を見た途端私の動きが止まる。チラリと雅人くんを見やると、口を閉じて視線を落としている。……電話に出て良いという態度だろう。

「ごめん、ちょっと出てくる」

 告白されてからも、犬飼は態度を変えなかった。だけど、電話をしてくるのは犬飼と知り合ってから初めてのこと。

「も、しもし」
「今大丈夫?」
「うん。平気」
「良かった。あのさ、1月3日って空いてる?」
「3日? その日はバイトも休みだし、なにもないかな」
「そっか。じゃあ良かったらおれの初詣に付き合ってくんない? 1日と2日が防衛任務でさ。非番になるのが3日なんだ」
「そうなんだ。元旦から仕事なんて、大変だね」
「まぁシフトだし。……というわけで、3日。なまえが良かったらどうかな」
「良いよ、一緒に行こう」
「まじ!? じゃあ詳しいことは前日にラインで良い?」
「うん。分かった」
「じゃあ――あ! なまえ」
「ん?」
「今年1年色々とありがとう。また来年もよろしく」
「……うん。こちらこそ」

 じゃあね、と犬飼は今度こそ通話を切る。……“ありがとう”って言う犬飼の声が優しくて。その言葉に私の胸はキュッと締め付けられたように痛む。……まだ犬飼の気持ちに答えを出せていないのに。私は、犬飼にお礼を言われる資格があるのだろうか。



「ごめんね、話の途中に」
「冷めるぞ。早く食え」
「うん。……あ、さっきなにか言ってなかった?」
「……3日、なまえ暇か? 店は三が日定休だけどよ、3日にボーダーのヤツらと新年会することになって。良かったらなまえもどうかってゾエと鋼が言ってけど。……どうだ?」
「あー……3日か。3日はちょっと……」
「先約があるんならそっちを優先しろ」
「ごめんね? せっかく誘ってくれたのに……」
「ンな顔すんな。どうせまたすぐ似たような集まりするだろうしよ。そん時来れば良い」
「うん。楽しみにしてる」

 別に、犬飼との約束を後悔してるとかじゃない。でも、雅人くんからのお誘いを断ったことを残念だと思っているのも事実。
 人の心は難しい。雅人くんはこういう、移り変わる人の感情を感受してしまうんだとしたらやっぱり辛いのかもしれない。

「……なんでそんな憐みの感情向けんだ?」
「えっ、あ、ううん。何でもない。こっちのハナシ」
「? 意味分かんねぇ」

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