私好みじゃないパフューム

 今日は金曜日。しかも、正臣さんがウチに来てくれる事になっている。こういう日を花の金曜日っていうんだろう。最近は仕事で疲れている正臣さんを気遣って、土日も会う回数を減らしていたから、金曜の夜から会えるのは本当に久々だ。今日は正臣さんが好きなビーフシチューを作ろう。サラダも作りたいし、ご飯はパセリライスにしたい。帰りにパセリを買うのも忘れない様にしないと。あぁ、こんなにワクワクする金曜日はいつぶりだろう。

「なまえ今日はやけにニヤニヤしてるね?」
「うん! 今日は正臣さんが仕事終わりに家に来てくれるんだ!」
「そうなんだ! 良かったじゃん! あ、こないだの喫煙室の件、私が勘違いしてたみたいで、ごめんね?」

 カフェでランチを一緒に食べていた洋子が私と同じくらい嬉しそうに喜んでくれる。そしてこないだの喫煙室での一件を申し訳無さそうに謝ってくるからそれに慌てて首を振って言葉を紡ぐ。

「ううん! 洋子が私の為を想って言ってくれた事だもん! 勘違いで終わって良かったよ!」
「そう思ってくれるんなら私も救われるわ。ごめん、ちょっと一服して来ていい?」

 先にランチセットを平らげていた洋子が口元に手を持って行き、煙草のジェスチャーをする。その姿に私が「行ってらっしゃい」と手を振ると洋子がスマホとタバコケースを持って喫煙ルームへと向かって歩いて行く。
 直野先輩も美人だけど、洋子も負けず劣らずの美貌を持ち合わせている。足もスラリと細長いし、手指だって長くて綺麗。洋子が煙草を吸う姿はとても様になっているといつも思う。
 私は煙草を吸わないけれど、あんな風に格好良く吸えるんなら、ちょっとだけ吸ってみたい……かも。いや、人に憧れて吸うのも違うか。
 そんな事をぼんやりと思いながら洋子を見つめていると、私の視線を感じ取ったのか、スマホを耳に当てている洋子が私に手を振ってくる。その笑顔が眩しくて、世の中の男子、頑張れ。と男性にエールを送りながら手を振り返した。



−予定してた時間より残業長引きそう。

 19:20。正臣さんからこんなラインが届いた。私は絶対に定時で上がってやるという強い気持ちを持って仕事をしたおかげで18:30には家に帰り着いていた。
 そして今はビーフシチューの作成真っ最中だ。……仕方無い。正臣さんは気持ち1つで定時上がり出来る様な私とは持っている仕事量が違う。仕事とはそういうモノなのだ。それに、会える時間は減るかもしれないけれど、会えない訳じゃ無い。明日は休みだし、もしかしたら今日は泊まってくれるかもしれない。だったらそれで充分だ。

−お疲れ様です。私は何時でも待ってます。正臣さんのペースで大丈夫です。
−すまない。また終わったら連絡する。

 送り返したラインに直ぐに既読が付いて、それにはこんな返事が返って来た。……本当は出来たてを食べて欲しいけれど、また温め直せば良いし、ご飯も電子レンジで温めれば良い。一緒に食べられればそれで幸せだ。

−はい。待ってます。

 その思いで送ったラインに既読は直ぐには付いてくれなかった。



 お腹の虫が何度目かの空腹を訴えてきた時、インターホンが鳴った。机に突っ伏していた顔を上げて、時計を見やると22:32を指していた。長引くとは言っていたけれど、ここまで長引くとはちょっと思っていなかった。
 もしかして寝ていたのかもしれないと慌ててスマホの電源を入れるけれど、正臣さんからの連絡は無いままだった。……正臣さんも思ったより長引いた仕事に、慌てて私の家まで向かって来てくれたのかもしれない。何よりもまずは正臣さんを出迎えなければ。

「はーい!」
「遅くなってごめんな。慌てて来たから連絡も出来なかった」
「いえ、大丈夫です。ご飯食べますか? あ、それかお風呂入ります? もしそれだったら急いで沸かしますけど。……あれ? 正臣さん、今日香水付けてたんですか?」

 慌ててドアを開けて、ドアの向こうに立つ正臣さんを出迎える。少し疲れた顔をしている正臣さんから鞄を受け取って、スリッパを出しているとふと正臣さんからいつもと違う匂いがして、動きを止めて見つめる。営業先に行く時に香水を使っているのは知っているけれど、今日はその匂いとは少し違う。

「あぁ。さっき来る前に一服してさ。なまえは煙草の匂い嫌いだって言ってたから。いつものとは違うけど。しないよりはマシかなと思って。嫌いだった?」
「い、いえ……」
「そう? なら良かった。あ、それとご飯の前にお風呂入って良い? なんか自分が脂ぎってる気がして」
「じゃあ準備しますね」

 ありがとう、と言いながらネクタイを緩めて居間へと歩いて行く正臣さんからはやっぱりいつもと違う甘い香りが漂って、それが私の胸をきゅっと締め付ける。正直、こんな甘い香水は好みじゃない。私も――正臣さんも。……いいや、違う。正臣さんは仕事だったんだ。本人がそう言ってるんだし、それを信じないなんて、正臣さんに失礼だ。自分の心に湧き上がるもやには気付かないフリをして、浴室で正臣さんの為にお湯を張る。

 一気に蒸気で白くなっていく浴室。……なんだか、私の心の中みたいだ。

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