その綻びを愛と呼んでもいいですか
「大丈夫、か……?」

 嵐山くんが私を気遣って背中に手を当ててくれる。その手が優しくて、ボロボロと涙が溢れ出ていく。嵐山くんが撫でてくれる度に溢れる涙は悠一くんを想って流れていくもので。あの日、悠一くんが私のせいで苦しそうな表情を浮かべるのが見てられなくて、私から別れを告げた。それでも、悠一くんの顔はもっと歪んだだけだった。

 私たちはあの時どうすれば良かったんだろう。



 私たちが別れてから直ぐに、進級して3年生になった。私と悠一くんは違うクラスになって接点も無くなってしまった。それでも遠くから見つめる悠一くんは前と変わらずに飄々としていて。それでもどこか苦しそうで。もう、あの涼しい顔で私に触れてくれる事も、優しい表情を浮かべて私を見てくれる事も、話す事も無いんだと思うと胸が張り裂けそうになった。

 それでも、私と別れた事で悠一くんの苦しみがいつか無くなるのなら。この苦しみは私が背負っていけば良いだけの話。それが私の願いで、悠一くんに望む私の我儘。

 そう思って過ごした残り最後の1年間。初めの方こそ見えない誰かからのクスクスと笑う声やひそひそと話す不穏な声が耳にこびり付いたけれど、それも直ぐに終わった。いじめも、悠一くんと別れてから程なくしてピタリと止んだ。私に飽きたのか、それとも……これは私の自惚れだから、考えないでおこう。

 そうして過ごした3年のクラス。前の様に調子の良い言葉を並べて私を使おうとする人は変わらずに居たけれど、私は別にそれで良いと思っていた。前は悠一くんが助けてくれていたけれど、今はそれが無くなっただけ。1番初めに戻ったんだと思えば、それで良いと思えた。それなのに、誰も居ない廊下に差し掛かるとふいに辺りを見渡してしまうし、ちょっとした気配にも反応してしまう。……いつの間に悠一くんが側に居てくれる事に慣れていたんだろう。自分の体が示す反応に苦笑して、私は何度か1人きりの廊下を歩いた。

「みょうじは前のクラスでもそうだったのか?」

 声をかけてくれたのは高3になって初めて同じクラスになった嵐山くんだった。皆が居る教室で、良く通る凛々しい声で。私にそう尋ねて来た。

「えっと……その」
「俺も手伝おう」
「わっ、平気っ、平気だからっ!」

 提出する様にと言われているノート。教壇に積まれたまま、誰も持っていこうとしない。どうせ私が持っていく羽目になるんだし、と静かにそのノートを抱え込んだ時。その声は私に向けられた。今までは誰も居なくなった場所でそっと助けてくれる人が居たから。こうやってハッキリと手助けされる事に慣れていなくて、私は慌てて嵐山くんの後を追った。

「嵐山くんのが持ってる量多いよね? 私も持つからっ!」
「じゃあ後3冊頼む」
「それでもまだっ、」
「前のクラスでは誰かと協力してとか、そういう事してこなかったのか?」

 食い下がる私をいなして別の質問をぶつけてくる嵐山くん。

「……ちゃんと居たよ。私がこうやって何でも引き受けちゃう性格だったから、それを影で支えてくれるような。自分がやった事を周りに知らせないまま、その手柄を受け取ろうとしない。そんな影のヒーローみたいな人」
「はは、なんだか迅みたいだな」
「……嵐山くんって、噂とかに疎いタイプ?」
「うわさ……? 何の噂だ?」
「ううん、何でもない。……手伝ってくれてありがとう」
「ああ、同じクラスメイトなんだ。すべき仕事は皆で分け合おう」
「……うん、ありがとう」

 悠一くんとは違うタイプの優しさに胸が暖かくなる。……それでも、私は未だに悠一くんの人知れない優しさを求めてしまう。悠一くん、私やっぱり悠一くんが好きだ。どんだけ我儘だって言われても、私はずっと悠一くんの事が好き。悠一くんを想って泣く日々がどれだけ続いたって、私は悠一くんの事、忘れられそうも無い。



 嵐山くんのおかげで、私は前みたいに都合良く使われる事は格段に減っていた。だからこそ、さっき悠一くんが私を気遣う様に言ってくれた言葉がとても久しいもので。

「……その作成委員って、なまえが選んだの? それとも、選ばされたの?」

 そうだ。悠一くんはずっと優しい。見えない優しさを纏っているんだ。私はその優しさにもしかしたら今も守られているのかもしれない。あぁ、悠一くんへの想いが溢れそうだ。

「ゆ、悠一くんっ」
「じゃあね、なまえ」

 悠一くんは私に別れを告げる。……そうだ、私はもう悠一くんの優しさに縋ってはいけない。私が悠一くんに別れを告げた側なのだから。だから。せめて。

「悠一くんっ! ありがとう!」

 涙声で伝えた気持ちは悠一くんに伝わっただろうか。もしそうなら、良いな。

「大丈夫、か……?」
「ありがとう。嵐山くん。……もう、大丈夫」
「前に言っていた影のヒーローみたいな人って言うのは本当に迅の事だったんだな」
「……うん」
「2人共、お互いを想いやって、良い関係だな」
「……え?」
「大丈夫。みょうじさんの気持ちはちゃんと迅に伝わってるさ」
「……そうだと良いなぁ」
「あぁ。今直ぐじゃなくても、いつか必ず」

 悠一くん、その時はもう1回伝えても良いかな。私の気持ち。

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