日常とは呼べない日常
 昨日初めてバレー部の見学をして、今日も朝練に軽く顔を出す為にいつもより早起きをして迎えた学校。いつもだったらお昼休みの段階で欠伸が止まらないはずなのに、何故か今日は生き生きしているのが自分でも分かる。なんなら目に見える全てがキラキラと輝いてるような気さえする。なんて素晴らしい日常なんだ。あら小鳥さん、さえずりお上手ね。
 そんな、どこかのお姫様のような感覚で日常を味わうことが出来ているのは、ひとえに赤葦先輩のおかげだといえる。相手が王子様なら私はお姫様だ。……マインドくらいはそう思ったって許されるはず。そして、私の日常を彩る先輩とは放課後にまた会うことが約束されている。それだけで学校に来る理由になるし、勉強を頑張る糧にもなる。あぁ、早く先輩に会いたいなぁ。出来ることなら今すぐにでも。同じ学校に通ってるんだし、可能性はゼロではない。もしかしたら今向かっている購買に居るかも――「おーい! なまえちゃーん!」……赤葦先輩じゃなかったけど、眩しすぎる程の笑顔を向けられると思わずこっちも笑顔になっちゃうな。

「木兎先輩。こんにちは!」
「おう! 今朝ぶり! なまえちゃんも購買に何か買いに来たの?」
「はい。朝いつもより早く起きたんで、なんかお腹空いちゃって。プリンを食べようかと」
「そっか! 朝から体動かすと腹減るもんな! 俺、いっつも早弁すんだけどさ、その分昼メシがなくなるから困るんだよな。食べたら食べた分なくなっちゃうの、嫌だよな〜」
「ふふっ。そうですね」
「なのに俺の腹は全然満腹になんねぇの。俺の胃袋って底がねぇのかな?」
「木兎先輩は体も大きいですしね」
「体の半分以上胃袋だったりしてな!」

 木兎先輩って昨日初めて会ったのにすごく話しやすい。先輩はなんでこんなにも人と仲良くなるのがうまいんだろう。立派な才能だと思う。木兎先輩と話すの楽しいな――そんな感想を抱きつつ木兎先輩と歩いていると、いつの間にか購買が目の前に迫っていた。

「さてさて。俺の焼きそばパンあっかなー!」
「おー木兎。ワリィ。焼きそばパン、俺のでラストだわ」
「なっ!!」

 すれ違いざまに通った別の3年生がしたり顔で焼きそばパンをちらつかせながら出て行く。そしてその先輩の言葉を聞くなり愕然とした表情に変わった木兎先輩は、みるみるうちにしょぼくれた態度に変っていってしまい、廊下で会った時とは180度雰囲気が変わってしまった。

「はー、俺もうダメだ。何もかもダメだ。何をやってもダメ……ダメ男だ」
「あの、先輩……。別のパンならまだ、」
「俺は! 焼きそばパンが良かったの! それなのに……それなのに、」

 たちまちゲンナリと萎んでいく先輩の元気をどうにか膨らませようとするけれど、どうすれば戻ってくれるのか分からない。一体どうすれば……。焼きそばパンを持って行ったあの先輩から強奪する? いやバレー部から犯罪者を出すわけにはいかない。

「木兎さん、コレ」
「あ!」
 
 先輩の横であたふたしていると、いつでも焦がれて止まない低めの落ち着き払った声が耳に届く。そしてその声と共に赤葦先輩は焼きそばパンが乗った手をスッと差し出してみせた。

「えっ! 良いのかあかーし!!」
「良いも何も。木兎さん朝から“焼きそばパン焼きそばパン”うるさかったですし」
「焼きそばパンの歌!」

 そういえば“焼きそばパン〜パパン〜やーっ!”みたいな歌を歌ってたような。傍に居た赤葦先輩の耳にはこびり付いていたかもしれない。

「購買の焼きそばパンは人気。しかし木兎さんは恐らくすぐには教室を出ず、昼寝でもした後に購買へ向かう。その頃には既に焼きそばパンは売り切れ。その現実を目の前にした木兎さんはしょぼくれ、放課後の部活もやる気が出ない。そんな予測が付いたのであらかじめ俺が買っておきました。なので、これは木兎さんの分です」

 すごい……。赤葦先輩の洞察力はバレーにおいて発揮されるものだけじゃないんだ。この時間に購買に向かってるくらいだから、木兎先輩が昼寝をしてたってのもきっと合ってるはず。

「さっすがあかーし! お前ってほんとすげぇんだな! あっ、金!」
「いえ。俺が勝手にしたことなんで、大丈夫です」
「何言ってんだよ。俺が食うんだから、金も俺が払わねぇとだろ」
「じゃあ……ありがたく頂きます」
「おう! 俺も焼きそばパンをありがたく食うぞ! マジでありがとな! あっ! そうだ! 中島がさっき俺に最後の1個とか言って自慢してきたから、俺も自慢し返しに行ってくる! じゃあな! なまえちゃん!」
「あっ、はい!」

 一瞬にしていつもの木兎先輩へと変貌を遂げ、来た道を元気いっぱい戻っていく木兎先輩。太陽で嵐だ。その姿を呆然と見送り、すぐに視線を隣に居る赤葦先輩へと移す。……赤葦先輩は本当に凄い。木兎先輩のことをここまで読みきって、それでいて対策も万全。何より、何も出来なくて困っていた私を救ってくれた。やっぱり、先輩は格好良い。ジャージ姿も素敵だけど、ブレザー姿もまた違った良さがある。こうして赤葦先輩と部活じゃない時間でも会えるなんて。同じ学校で心の底から良かった。あぁ、先輩。堪らなく格好良い……。
 まるで王子様のような登場にうっとりとしていると、赤葦先輩の瞳がゆるりと落とされバッチリ目が合う。先輩と見つめ合っていることに数秒遅れで気が付いてハッとした表情を浮かべると、先輩はそんな私にふっと笑いかける。

「みょうじさんは何を買いに来たの?」
「プ、プリンを……」
「そっか。じゃあ、行こう」
「せ、先輩?」
「プリン、買いに来たんでしょ? 俺が奢るよ」

 俺が奢るよ。……俺が奢るよ? その言葉を理解し、慌てて「えっ、そんなっ、大丈夫ですよっ、奢ってもらうなんてっ、」と言葉を返すも先輩の歩みは止まらない。なんなら私が奢って差し上げたいくらいある。

「良いよ。なんとなくみょうじさんに奢ってあげたくなって」
「そんなっ! 恐れ多い!」
「俺からの入部祝いってことで」
「そんなことはもっと恐れ多いです!!」

 一際大きな声を上げた私に赤葦先輩はさして驚くわけでもなく、「じゃあ要らないの?」とどこか試すような声色で尋ねてくる。ほ、欲しい……。あわよくば一緒にプリン食べたい……。要らない、と言うのが正しい遠慮の仕方だって分かってはいる。

「い、要りま……す。欲しいです」

 自白するように本音を零せば、先輩は微笑みと共に「じゃあ行こう」と優しい声をくれる。犯人に対して優しすぎはしませんか。私なんて中島先輩の焼きそばパン強奪しようかなんて考えてたっていうのに。
 先輩の後ろ姿は、普段よりもキラキラと見えているはずの風景より、何十倍もキラキラ輝いて見える。というか先輩にしか目がいかない。恋って凄い。

「みょうじさん。そんなに熱視線を送られたら俺の背中焦げるかも。早くおいで」
「ひぃっ! すみませんっ!!」

 立ち止まって振り返るなり先輩からそんなことを言われて心臓が縮み上がりそうになる。まさか気付かれていたとは。先輩に言われた通り小走りで先輩の横に並べば、先輩はもう1度だけふっと微笑みをくれた。……もう、いつもの日常には戻れそうにない。
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