火炎の瞳
「ベタなやつ、意外と効いちゃうんだなぁ。これが」

 理沙子さんに水をかけられてからどれくらい時間が経っただろう。懸命に携帯を乾かしてはいるものの、濡れたトイレットペーパーではあまり意味を成さずその間も冷えた空間は容赦なく体温を奪う。ガタガタと震えだす腕をさすってみるけれど、大した効果も得られず寒いという感覚だけが募ってゆく。

「お願い。一瞬で良いから、とにかく点いて……!」

 祈るような気持ちで何十回と押し続けた電源ボタンをもう1度押す。するとようやくその祈りが届いたのか、パアっと明るくなる携帯。画面が切り替わるなりバレー部員からの通知が一気に押し寄せてくる。やっぱり迷惑かけてる……。早く場所を伝えないと。……せんぱい、赤葦先輩……。先輩の名前を探していると私が見つけるよりも先に“赤葦京治”の4文字が着信を知らせる為に浮かび上がってきた。あ、やばい。泣きそう。

「も、しもし……」
「みょうじっ!? 今どこ! 無事!?」
「旧校舎側の……女子トイレです。先輩、迷惑かけてすみませっ、」
「そんなことは良いから! すぐに向かうから! みょうじ、待ってて!」

 慌てた声で話す先輩はそう言うなり、私の謝罪を聞く前に通話を切ってしまう。先輩の声……もうちょっと聞いてたかったな……。なんて。こんな時に思うことじゃないか。どんだけ先輩のこと好きなんだろ、私。せんぱい、早く会いたい。



「みょうじっ!」
「せんぱい……」
「そこに居るの!? 今開ける!」

 先輩の声が聞けたことに安心してしまったのか、いつの間にか目を瞑ってしまっていた。先輩の慌てた声を聞いて目を覚まし呼びかけに反応すれば、ドアの前で少し乱雑な音が響く。

「みょうじ、無事!?」
「先輩、本当に来てくれたんですね……」
「みょうじ! まさか理沙子さんに……!? とりあえずこれ着て!」

 閉じ込められている個室を開けるなり、ずぶ濡れの私に自身が着ていたジャージをかけてくれる。これだと先輩のジャージまで濡れちゃうし、先輩が薄着になってしまう。

「勿体なくて着れません……」
「何言ってるんだ。自分の体がどんだけ冷えてるか分かってる?」
「先輩の手、いつもより温かいです」
「俺のせいだ……。本当にごめん」
「先輩のせいなんかじゃないです……。私の方こそすみません。……あの、先輩。こんな時に申し訳ないんですけど、ワガママ言っても良いですか?」
「何?」
「抱きしめて欲しいです」

 誰かの、先輩の熱が欲しくて、クラクラとしだした意識の中でそんなことを言ってみる。すると途端に覆うような熱が全身を包み、鼻先にふわふわとした髪の毛が当たる。

「ふふ。先輩、あったかい……」
「みょうじ……っ」



―みょうじ見つけました。水をかけられて意識を失っているので、保健室に連れて行きます。雀田さん、白福さん、すみませんが俺のロッカーに替えのジャージを置いているので、保健室に持ってきてもらえませんか

 一先ずは全員にみょうじを見つけたことを知らせ、雀田達にジャージを持ってきてもらうようお願いをし、赤葦は携帯を閉じる。そしてみょうじを抱きかかえ、保健室へと向かう。無意識にぬくもりを求めているのか、ぎゅっと抱きついて離れないみょうじを力いっぱい抱きしめ返す。

 元気いっぱいに笑うみょうじを、俺のことを一生懸命好きでいてくれるみょうじを、こんな風にした理沙子さんが許せない。……いいや。絶対に許さない。今度こそみょうじを守ってみせる。

 赤葦の瞳は怒りで燃え滾っていた。
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