眠り姫の下へ
「赤葦っ!」
「お二人ともすみません。ジャージありがとうございます」
「なまえちゃんずぶ濡れじゃん。これって理沙子から?」
「みたいです。とりあえず、ベットまで運ぶので、着替えをお願いしても良いですか」
「モチロン。任せて〜。赤葦もお疲れ〜」
「良くやった!」
「ありがとうございます。俺、職員室に居る先生に話し通して来ます」
「分かった。私達もなまえちゃんの手当て終わったら体育館に戻るから」
「お願いします」

 雀田達から労いの言葉を受けた赤葦は保健室の外へと向かう。ドアを閉めて外に出たところで自分の洋服が濡れていることに気付き、その湿り気がみょうじがどれだけの間冷たい空間に身を置かれていたのかを突きつけてくる。
 全てが終わったらまた戻って来るから。それまではゆっくり眠ってて――。強い決心のもと、赤葦は短く息を吐いて瞳を前へと向け歩き出す。



 体育館に戻ると先に戻って来ていた雀田達によってある程度の話は聞いていたのか、木兎が血相を変えて赤葦に詰め寄る。

「おいっ! なまえちゃん、ずぶ濡れだったって……! 理沙子さんに水かけられたって本当か!?」
「……ひと気の少ないトイレに連れ込まれて個室に閉じ込められた後、水をかけられたみたいです」

 苦々しい顔つきでみょうじの置かれていた状況を話す赤葦の言葉に、部員たちもつられて険しい表情へと変わっていく。「まじかよ」「まじでそんなことするヤツ居るのか」「許せねぇ」口々に怒りを露わにし、体育館を珍しく重苦しい空気が支配する。

「この雰囲気だとあの子もう見つかったんだ? せっかく京治の焦った顔見ようと思って来たのに」

 その空気を切り裂くような場違いな声。入り口から顔を覗かせる女子生徒に「理沙子っ! あんた、自分が何したか分かってんの!?」と雀田が詰め寄るも相手はどこ吹く風。それどころか口角をさらに歪ませ雀田を見据える。

「だって京治が困ってるところ見たいじゃん。“私をフってまであの子を取るなんて、なんてバカなことをしたんだろう”って、後悔させないと」
「理沙子さん。それはつまり、俺に対する腹いせということですか?」
「腹いせ? 違うよ。私をフるとどうなるか、教えてあげただけ」

 自分勝手な主張に赤葦は怒りが爆発しそうになるが、理性で必死に宥める。今自分が爆発したら全てが台無しになる。この女には学校側がしかるべき処罰を与えるはず。ここで身勝手な行動をとったら、それこそこの女と同じレベルに成り下がってしまう。

「みょうじさんにも罰を与えたかったのに。こんな早く見つけられたら罰とは呼べないね。つまんない」
「お前……!」

 赤葦の手が理沙子の胸ぐらに向かって伸びる。そしてその手が胸ぐらを掴むよりも先、パァン! と乾いた音が体育館に響いた。その音は理沙子の左頬から発せられたもの。

「春高がかかったバレー部に喧嘩吹っ掛けるなんて。アンタマジで良い度胸してる。良いわ、買ってあげる。これで退部になったとしても、私は後悔なんてしない」

 そう言い放った雀田の言葉に続くように、もう1発乾いた音が今度は右頬から鳴る。反対の頬にビンタを張った白福は雀田を見つめにっこりとした笑みを取り戻す。

「かおりだけはズルいよ〜。私も売られた喧嘩は買うんだから〜」

 雀田と白福のおかげで気持ちが落ち着き、赤葦はぎゅっと握りしめた拳をほどく。ボールに触れるこの手で、誰かを傷付けることになったらそれこそみょうじが悲しんだだろう。そうせずに済んだことをマネージャー2人に感謝しながら冷たい視線を理沙子へと向ける。

「みょうじに何かあったらタダじゃおかないからな。俺、アンタにだいぶ殺意抱いてるんで」
「……水をかけたくらいで大袈裟な。それくらいで死ぬわけないじゃない!」

 じゃあ、今すぐバケツに氷水張ってぶっ掛けてやろうか? そう言い返そうと口を開いた瞬間、「あのな、理沙子さん」と木兎がこの場に居る誰よりも低い声で名前を呼ぶ。静かで、落ち着いた声。普段の木兎からは想像もつかない声色は、木兎の怒りを表している。

「俺はバレー部のエースであり、キャプテンでもある。だから、部員を守るのは俺の仕事。多分なまえちゃん自身が望まないだろうから、俺らも大事にはしねぇ。今回は雀田と雪っぺのビンタで済ませてやるけど。……次やったらお前、覚えとけよ?」

 木兎の圧に返す言葉が見つからないのか、理沙子は口をパクパクと動かすのみ。その様子さえ苛立ちを呼び起こすので、理沙子には一刻も早く目の前から居なくなって欲しいと赤葦は舌打ちを鳴らす。

「俺の大事な場所にアナタは要らない。今後一切、俺の視界に入ってこないでください」
「あ、アンタなんかこっちから願い下げよっ!」

 下らない言葉を吐いて去って行く理沙子に「話終わってないんですけど!」と気色ばむ雀田を赤葦がそっと制し、雀田に向かって深く頭を下げる。

「俺の代わりにありがとうございました。雀田さん、白福さん。凄く格好良かったです」
「私はあれじゃ足りないって思ってる!」
「俺も、同感です。でも、それでもお礼を言わせて下さい。ありがとうございました。木兎さんも、皆さんも。本当にありがとうございました」

 全員に向かって頭を下げる赤葦の背中を木兎が支え、「赤葦、なまえちゃんのとこ行ってあげて」と声をかける。その言葉に赤葦は頭を上げ「はい。皆さん、お騒がせして本当にすみません」と言ってから駆け出す。
 ――みょうじ、今行くから。
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