冷たく燃え盛る憎悪
 幸せだったと言い切れる文化祭も無事に終え、友達からの追求もどうにかやり過ごし。今日から気持ちを新たに、春高へと切り替えていく。
 もう少ししたら烏野を交えた最後の合宿もある。日向達の速攻も前よりだいぶ成功するようになったって近況報告で聞いてるし、早くみんなに会いたい。そんな風に頭がバレー脳へと切り替わり、今日もマネ業頑張ろうと体育館へ向かっている時だった。

「みょうじさん」

 あぁ、最近は全然絡みなくなったと思ってたのになぁ。行く手を阻むように立たれてしまっては無視するわけにもいかない。早く部活に行きたいんだけどな。

「なんでしょうか」
「京治のことでちょっと」
「……分かりました」

 赤葦先輩の名前を出されたらスルーするわけにはいかない。赤葦先輩にまた何か危険が及びそうならどうにかしたいし。気を付けてと心配してくれた先輩達の顔を思い浮かべ数歩分の距離をとる。先輩に連絡……いや、まだ何かされたわけじゃないし。変に心配させるのも嫌だ。自分で解決出来るなら、そうするに越したことはない。



 連れてこられたのは旧校舎近くの人通りが少ない場所にひっそりと佇むトイレ。……なんか、フラグ立ってる気がしないでもないけど。まさかこのまま水かけられるとか? いやいやまさか。そんな――。

「きゃっ!?」

 腕を思いっきり掴まれ、放り投げるように個室に押し込められた。いきなりの出来事に受け身すらとることも出来ず、バランスを崩した私は便座にへたり込んでしまう。状況を把握する為に理沙子さんを見上げようとしたけど、嘲笑うような表情を浮かべた理沙子さんが一瞬見えただけですぐにドアによって視界が遮られてしまった。状況整理が追いつかない脳に追い討ちをかけるかのように頭上から冷たい水を一気に浴びせられ、脳内は大混乱に陥る。

「なっ……ちょ、……は、はぁ!?」

 あんまりだ。想像したことが本当に起こった衝撃と、こんなことを本当にしでかす人間がいるのだという驚きが混ざって上手く声が出ない。

「今日みたいな寒い日に冷たい水浴びたら、人間の体ってどうなるんだろうね? 試してみようよ」
「そんなの、自分の体でやったら良いじゃないですか!」
「は? 嫌ですけど。京治が私をフってまで選んだ人間なんだもん。私とは違うんでしょ?」

 理沙子さんが高笑いしながらドアの前に何か重ため物を置く音を響かせる。旧校舎からあらかじめ椅子でも持って来てたのだろう。用意周到さに体が震えだす。怖い、どうしよう。パニックになりそうだ。……だけど理沙子さんの前で取り乱すことは絶対にしたくない。ぐっと唇を噛み締めたあと大きく息を吸い、「理屈が意味不明! こんなの勝手な逆恨みじゃん!」と強く抗議する。

「じゃ、また明日にでも来るから。頑張ってね、みょうじさん」
「ちょっと! 出してください!」

 案の定、ドアは何をしてもビクともしない。理沙子さんは私が必死にドアを叩く音にクスクスと嘲笑う声を返すだけ。その声も段々と遠のいていってしまい、遂にはなんの物音も聞こえなくなってしまった。その静寂が、今この空間には私しか居ないということを知らしめる。……自分が情けない。気を付けてって散々言われてたのに。赤葦先輩、ごめんなさい。申し訳なく思いつつもひとまず助けを呼ぼうと取り出した携帯は水に濡れたのか、画面が真っ暗なまま。何度電源ボタンを押しても全然起動してくれない。

 どうしよう。声を上げても拾ってくれる人なんて居ないし、頼みの携帯は起動しない。……諦めちゃダメだ。とりあえず携帯を乾かそう。とはいえ持っていたハンカチは水に濡れてしまっている。そうだ、備え付けのトイレットペーパーなら……。

「ふにゃふにゃだ……」

 水しぶきがトイレットペーパーにも跳ねてしまったのか、所々ふやけてしまっている。誰の声もしない空間。ポタポタ滴る水。視界を濡らす髪の毛。体温を奪う衣服。点かない携帯。濡れたハンカチとトイレットペーパー。まずい、心までも湿りそうだ。……先輩、助けて。



「ねぇ、なまえちゃん遅くない?」
「そうだねぇ〜。文化祭の後片付けかなって思ったけど、さすがに遅いね〜?」
「木兎さん、みょうじから連絡来てませんか?」

 雀田の声に白福が同意し、部員たちの視線が時計へと集まる。そうして全員で“遅い”という判断に至り視線を主将である木兎へと移す。その視線を受けた木兎がコートから抜け自身の携帯を開く。バキバキの画面を赤葦も一緒になって覗いてみるが、肝心のみょうじからの連絡は入っていない。

「なまえちゃんからは来てねぇなぁ」
「……そういえば、」
「どうした?」

 尾長のハッとした声にいち早く赤葦が反応し、先を急かす。妙に嫌な予感がするのを、赤葦は一刻も早く拭いたかった。

「文化祭前にはなるんですけど。みょうじさん、理沙子さんに絡まれたんです。それが関係してる可能性、ないですかね?」
「……校内探して来ます」

 尾長の言葉を聞き終えるなり、赤葦が血相を変えて出口へと向かって駆け出して行く。その様子に木兎が「ちょっ、おい! 赤葦! 携帯! 携帯は持って行っとけって!」と慌てて声をかける。

「……すいません木兎さん。気が動転してました。ありがとうございます」
「俺らもここら辺探してみるから、何か分かったらみんな連絡してくれ!」

 木兎がいつになくテキパキと指示を出し、皆がそれに従う。体育館から駆けだす部員全員の表情が緊張で強張っていて、事態の深刻さを強調していた。

「居ない……! みょうじ……!」

 我先にと駆け出した赤葦だが、みょうじが居そうな場所を探すもそこにみょうじは居らず、焦りばかりが募っていく。

 教室も居ない、ゴミ捨て場にも居ない。購買にも。みょうじ、どこにいるんだ。もし理沙子さんが絡んでるんだとしたら俺のせいだ。頼む、無事で居てくれ……!

 祈るような気持ちで赤葦は懸命に校内を探し続けた。
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