私の心を容易く揺らす
「お疲れ様です」

 合宿も終わり、普段通りの日常が戻って来た。普段通りと言ってもつい1ヶ月前とはまったく変わってしまったけれども。そんなことを思いながら女子更衣室へと足を踏み入れると、先に居たかおり先輩達から「お疲れ〜」と言葉を返される。

「なまえちゃん、手の腫れどう?」
「少しはひいた〜?」
「はいっ! この通りです! 黒尾さんに手早く手当てしてもらったおかげで、既に完治です! ご心配をおかけしてすみませんでした」

 袖を捲って手首を見せると安心した表情を浮かべて「良かった〜」と笑ってくれる。こんな鈍臭い後輩には勿体ないくらいの先輩達だ。

「要注意人物かと思ったけど、あれは全部分かった上で楽しんでるね」
「そうみたい〜。それならこっち側だよね〜」
「……? なんの話ですか?」

 2人が交わす話の内容が掴めずキョトンとした私に「なんでもナイヨ〜」と今度はイタズラな顔に変わる雪絵先輩。あぁ、その顔可愛いな。先輩達の表情に翻弄されていると、かおり先輩が「あん時の赤葦、なまえちゃんに見せたかったなぁ」とこれまたいつか見たような表情を浮かべて話を変えられる。

「いつの先輩ですか?」
「なまえちゃんが怪我を手当てしに行ってる時の試合ね、赤葦無双って感じで凄かったんだから! サービスエース連発するわ、スパイクに参加するわ、ツーアタック絶妙なタイミングでカマすわで、烏野より攻撃型って感じ。あんな赤葦初めて見たかもってくらい」
「ほんと凄かったよね〜。木兎がミスった時もしょぼくれる隙を与えないって感じでさぁ、あの木兎がオロオロしてたもんね〜」
「そんだけなまえちゃんの下に行きたかったってことだろうね?」

 だからあの時先輩来るのが早かったんだ……。保健室に駆け込んできた先輩のことを思い出してだらける表情。どうしよう、すっごく嬉しい。顔面が溶けそうだ。

「結構脈アリなんじゃないの〜?」
「そう、ですかね……?」

 かおり先輩から肘をつつかれながら言われた言葉に表情が更に緩まる。今から部活なのに。どうしよう、顔が戻らない。

「んじゃ、今日も元気に部活始めますか! なまえちゃんごめんけど、体育館来る前にビブス干してきてくれないかな? 私達先行ってボールのエア確認しとくから」
「その間に表情筋取り戻してきな〜」
「スミマセン……努力しますっ!」
「ふふっ。頑張って! じゃまた後でね!」

 てか、最近理沙子がさ〜……なんて会話をしながら体育館へと向かっていく先輩達。その背中を眺め、ニヤニヤとした顔を戻そうと試みる。ダメだ。ちゃんと切り替え……無理。ちょっとすぐには厳しいや。ビブス干してる間にニヤニヤを収めよう。



 ビブスを干して表情筋もなんとか取り戻して、体育館に向かうとスパイク練習をしているところだった。雪絵先輩は監督にボールを渡していたので、かおり先輩にビブスを干し終えた報告をしてからボール拾いに加わる。「次っ!」監督の声にネットへ視線を向けると、丁度木兎先輩にトスが上げられるところで、木兎先輩のスパイクモーションを見つめる。ぐっと体を反らせ、その反動を右手一本に集めて放ったボールは勢い良く床に叩きつけられ、地響きのような音を鳴らす。
 さすがだなぁ。何度見ても木兎先輩のスパイクはパワフルだ。見事なスパイクを放った先輩に「ナイスキー!」と大声を上げるとピクリと木兎先輩の動きが止まる。「なぁ! 今! “ナイスキー!”って言ったんだよな??」グルンと私の方を向いて発言を確認する木兎先輩。

「えっ? はい。そうです」
「ナイスキーってもっかい、言ってみて!」
「えと……ナイスキー……?」

 言われた通り繰り返すと木兎先輩の目が爛々としだす。木兎先輩はこの“ナイスキー”にどんな可能性を感じとったのだろうか。どこでどう反応するか読めない先輩のことを周りの部員はまたか……と呆れ半分にほぼ放置している。

「ホラッ! やっぱり! その言葉“大好き”に聞こえる! うわ大発見!! なまえちゃん! 俺の次のスパイクでも“ナイスキー”って言ってな!」

 よっしゃー! ガンガン打つぞー!! 満面の笑みで元気良く列に戻って行った先輩にはじめはポカンとしてしまったけれど、スパイクを決める度に求めようなワクワクとした表情を浮かべて私を見つめてくるので、私も笑いながら“ナイスキー”と言葉を返すようになっていた。木兎先輩って突飛な言動ばっかりだけど、こういう所、好きだなぁ。ウチが明るいのも木兎先輩のおかげだし、底なしの元気良さがチームを引っ張ってるっていうか……。そんな風に木兎先輩の良さについて考えている時だった。

―ダンッ!!

 まだ木兎先輩の番でもないのに、木兎先輩のスパイクに負けず劣らずの音を鳴らしながらボールが跳ねた。その音にビックリして打った人物を見てみると、なんとそこにはセッターであるはずの赤葦先輩が居て、尚のことビックリする。驚いた表情を浮かべる私をジッと真顔で見つめ続ける赤葦先輩。一体何事だ? と頭にハテナを浮かべながらしばらく見つめ合えば先輩から「たまには打つ方もやっとかないとと思って。俺のスパイク、どう?」と尋ねられた。

「あっ、ナイスキーでした!」
「“でした”が付くと過去形になる」
「えっ?」
「“ナイスキー”だけでお願いします」
「あっ、はい。えと……ナ、ナイスキー、」
「小さかったけど……まぁ、ちゃんと聞こえたから良いや。ありがとう、みょうじ。“ナイスキー”って言ってくれて」
「……っ、」

 満足したのか、監督にお礼を言ってトスを上げに戻る赤葦先輩。……先輩、さすがにそれはズルくないですか。自分が言った“ナイスキー”って言葉、絶対、わざとそこだけおっきく言ったでしょ? そんなの、私の都合の良い耳は“大好き”に聞き間違えるに決まってるじゃないですか。私をからかうのもいい加減にして下さい。あぁでももう1回だけ先輩の口から“ナイスキー”って聞きたいかも。……出来ることなら“大好き”っていう言葉も……。一気に赤葦先輩のことで塗り替えられた私の心臓。本当に、赤葦先輩のこととなるとチョロイもんだと我ながら思う。でもまぁ、今のはしょうがない。赤葦先輩のせいだ。
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