ノックアウト寸前
「なまえちゃん、声出しお疲れ〜」
「雪絵先輩……っ、」
「ね、私たちが話した通りじゃない?」
「や、深い意味なんてないかと……」
「そんなこと言ってる割には顔、赤いけど〜?」
「うう、」
「なまえちゃん照れてる。可愛い〜」

 スパイク練習が終わり、3対3の試合に移るなり私のもとで集合した先輩たちから案の定声出しのことをからかわれてしまった。自分でも思い返すと恥ずかしくなるので、出来るなら是非やめていただきたい。……でも、最近の先輩はこういう嬉しいことをガンガンしてくれるから、つい顔が緩んでしまう。ダメだなぁ。さっき顔を引き締めたばかりなのに。気だけは緩まないようにしないと。また怪我でもしたら皆さんに申し訳が立たない。

「ね、あれ〜」
「……うわ」
「まさかとは思うけど……」

 記録付けをしていたかおり先輩の肩を雪絵先輩が叩き、入り口側を指す。その方向へと視線を向けると、たちまち険しくなるかおり先輩の表情。こんなに怖い表情をする先輩達を見るのは初めてだ。2人の視線が鋭く向けられている方を見ると、そこには1人の女子生徒が居た。女子生徒の顔はこちらを向くことなく、赤葦先輩に向けられている。……赤葦先輩。
 私も気になって赤葦先輩の方を向くと、女子生徒の視線を感じていたのか、ため息を吐いて「木兎さんすいません。俺、ちょっと抜けます」と木兎先輩に声をかけてから試合を抜け出す。その先輩の表情も決して良いものではないのを見て、私の心を不安が襲う。練習を抜けるなんてよっぽどだ。大丈夫かな。

「あの……あの人って」
「ん? 別になんでも……って言っても、信じれないか」
「でも私達が話すよりかは、赤葦から聞いた方がなまえちゃんも安心出来るんじゃないかな〜?」
「それもそっか! よし分かった! なまえちゃん、ここは私達に任せて!」
「えっ?」
「ダイジョウブ〜、なまえちゃんが心配するようなことはないから〜。とりあえず、今は安心して〜。部活に集中しよう?」
「……はい」

 先輩達が大丈夫だって言ってくれてるんだ。今は目の前の仕事に集中しよう。



「赤葦集合〜」
「ハイ」

 部活終わり、マネージャーは先に帰り男子部員が残って自主練をすることがほとんどなので、今日も例に漏れず私達は帰り支度をして体育館を後にする。いつもだったらまだまだ元気いっぱい! といった様子で赤葦先輩にトスを要求する木兎先輩を見ながら「元気だねぇ」「アホだねぇ〜」と笑いながら体育館を通り過ぎる先輩達。だけど、今日は通り過ぎずに入り口で立ち止まる。そして、中に居た赤葦先輩を呼びつけ、耳元で何かを囁く。

「……分かりました。後は俺が引き受けます。教えてくれてありがとうございました」

 赤葦先輩はかおり先輩にお礼を言うなり、木兎先輩の下へと駆けて行く。何事だろうと様子を窺う私にかおり先輩が肩を叩き「んじゃ、今日は私達先に帰るから」と笑いかける。

「えっ? いつも一緒に帰ってるのに、」
「んふふ、大丈夫。なまえちゃんを1人では帰さないから〜」
「それってどういう……」
「言ったでしょ〜? 私達がなんとかするって」
「なんとか?」
「雪絵、帰るよ。じゃあね、なまえちゃん。また明日」
「せ、先輩っ!」

 行ってしまった……。私の呼ぶ声は届かず、独り言のように地面に吸い込まれて消えてしまう。そんなに慌てて走って行かなくても。大体、1人では帰さないって言われても私の帰る相手はかおり先輩と雪絵先輩しか居ないのに……。

「私は誰と帰ったら……」
「俺と」

 今度こそ独り言として吐いた言葉だったのに、地面に吸い込まれることなく、聞き慣れた低く落ち着いた声に拾われる。

「先輩!? えっ、自主練は?」
「今日は散々木兎さんに付き合わさせられたから帰る」
「でも木兎先輩が許してくれないんじゃ……」
「平気」

 そう言って体育館側へと視線を向ける先輩につられて私も体育館を見ると、そこにはいつもと変わらない木兎先輩と、ゲンナリとした表情の尾長くんの姿があった。「ヘイヘイ! 今日は尾長が俺の練習に付き合ってくれるんだろー!? とことんやるぞー! 行くぞ尾長ー!!」と笑う木兎先輩の声に「……ウゥス」と消え入りそうな声で応えてみせる尾長くん。あれは絶対に自主的なものじゃない。赤葦先輩に何か言われたはず。

「尾長には悪いけど身代わりになってもらった」
「身代わりって、」
「大丈夫。プリン、濃厚なヤツって付け加えたら尾長は落ちたから」
「お、落ちた……」
「そういうわけだから。一緒に帰ろう」
「えっでも、」
「ちゃんと家まで送り届けるから。……俺と帰るの嫌?」
「〜っ!」

 本当に、本当に。赤葦先輩はズルイ。そんな風に聞かれて私が“はい、そうです”なんて言うわけないってことくらいもう知ってるでしょう。あぁ……もう。先輩には敵わない。

「お願いします」
「うん、じゃあ帰ろっか」

 そう言って微笑む先輩の表情の柔らかさに、頭がクラクラした。
prev top next



- ナノ -