「ねぇ、みょうじさん。もう顔上げて下さい。ね?」
「そうだよ。これは訓練なんだから。経験のうちだよ」
「次頑張れば良いんですよ」

 辻くん、犬飼くん、亜季ちゃんから私はこういう優しい言葉や態度を幾度となく貰っている。だけど、今回はその言葉に「本当? ありがとう!」なんてどの面下げて言えたものか。今の私は言葉通り、皆に合わせる顔が無い。

 つい数十分前まで繰り広げられていたランク戦。土曜日の昼の部。私達はこのランク戦に影浦隊、王子隊と参戦していた。戦闘開始直後に転送された位置は影浦隊と二宮隊のメンバーが近く、私は高台に転送され、目の前で犬飼くんと北添くんが相対する位置に転送された所だった。

 撃つなら今だと思った。北添くんを撃って犬飼くんを素早く次に向かわせてあげたい。その一心でスコープに右目を当てた時。

―戦闘体活動限界 緊急脱出

 気が付けば私は作戦室のベッドに横たわっていた。一体、何が起こったのか瞬時に理解する事が出来なかった。慌てて亜季ちゃんの下に行き、デスクを覗いて私が絵馬くんに撃たれてベイルアウトを食らった事を理解する。
 スナイパーは身を隠すのが基本。今までずっと課題にしてきた事だった。私は射撃の腕は褒められる事があっても、スナイパーとしてのスキルはまだまだで、中でも隠密行為を疎かにしてしまいがちだった。
 スナイパーは常に周りを見る事。何度も当真くんからも言われていた事だったのに。役に立ちたい、アシストしたいという思いが空回りして、私の近くに転送された絵馬くんにまで意識が及ばなかった。

 そして私がベイルアウトしたせいで、犬飼くんは絵馬くんと北添くんに挟まれる形となって、手傷を負わせてしまった。二宮隊はそこが痛手となって、今回の戦闘では最小の得点数となってしまった。完全に私のミスだった。私が絵馬くんに気が付けていれば。私が絵馬くんを撃てていれば。状況は反転していた。

 勿論、解説者だった当真くんにもそこを突かれた。「今回の敗因はそこだな」と。何も言い返せなかった。二宮隊長に努力していると認めてもらった矢先に犯した失態に、言い訳したくても何も出てこない。自分で自分を擁護出来ない事が情けなかった。そんな私に二宮隊の皆は優しい言葉をかけてくれる。その優しが沁みて、痛かった。

「初歩的なミスだ。二度とするな」
「……はいっ」

 それまで黙り込んでいた二宮隊長が静かに口を開いたと思えば放ったのはたった二言で。

「以上だ」

 二宮隊長はそれだけ言って、作戦室から出ていく。その姿を見送った途端に、何故か急に私の目からポロポロと涙が零れ出てきた。

「えっ、なまえさん、ちょ、大丈夫!?」
「二宮さんああだけど、あれがデフォだからっ。気にしなくて良いよっ! ね?」

 隣に居た亜季ちゃんが私の涙に気が付いて、犬飼くんが慰めの言葉くれて。辻くんはどこに目線をやれば良いのか分からなくて、困惑してて。違う、そうじゃない。皆が困る事なんて何にも無いのに。泣くなんて、狡い事だって分かってるのに。

「ごめん、目にゴミが入っだだけ。大丈夫。次は頑張るね!今日は本当にごめんなさい。今日は帰るねっ」

 誤魔化すように笑って、手で乱暴に涙を拭って、私は席を立つ。ウィン、と短い音を立てて開かれたドアから逃げるように作戦室を後にする。その一連の動作全てが狡くて滑稽で、私は自分の事が堪らなく嫌になった。



「あー、ダメだ。止まんない」

 家に帰っても涙は止まってくれなかった。部屋に籠って両目から溢れ出てくる涙を何度も拭いてはまた溢れさせ、また拭いて、拭きすぎて瞼が痛みを訴えてきだした時。スマホが振動し、着信を知らせる。

「もじもし」
「うっわ、めっちゃ鼻声っ。お前さては泣いてただろ?」
「な、いてない。寝てただけ」

 私の発した声を聞いて当真くんは開口一番で爆笑をかましてくる。どうやら私の応じた声だけで私の状況を理解したらしい。こうなったのは一体誰のせいだと思っているんだ。あぁ私か、なんて意味のないツッコミを心の中で行っていると、「今から東さんが焼肉に連れて行ってくれるんだけどよ、加古さんがみょうじも連れてこいって。お前ん家ボーダーから近かったよな? 俺迎えに行くから準備しとけよ」それじゃ、と勝手に会話を終わらせた当間くんに「え? ちょ、待っ、」という私の出遅れた声は届かなかった。

 泣いてた事には勘付くクセに、泣き腫らした目を見られたくないっていう私の気持ちには気付かないんだなぁ。でもあの言い方だと、当真くんは直ぐにでも迎えに来るのだろう。それならば呆然としている暇は無い。ベッドから慌てて起き上がって、顔を洗いに部屋を出る。こうして半ば強引に思考を変えて貰えると、泣かずに済むから、本当は当真くんの誘いはありがたいものなのかもしれない。



「はは、案の定目ぼっこしいってんな」
「メガネかけとくべきだったかな……」

 数十分と経たないうちに本当に家に迎えに来た当真くん。家を出た私をまじまじと見るなりそう言ってまた笑う。一応冷やしたんだけど。やっぱりメガネをかけてくるべきだったかもしれない。そんな後悔を口にした所で「そっちのがあからさまだろ」と流されてしまう。
 というか、聞くところによると今回の焼肉のメンバーはA級隊員勢ぞろいだ。そんな所にどうして私が呼ばれたのか。不思議でならない。そこを当真くんに聞いてみても、「さぁ?加古さんがどうしてもって言うし。東さんも“1人2人変わんねぇ”って快諾するし。良いんじゃね?」とのらりくらり躱されてしまう。と、いうかそこら辺の事、当真くんは本当にどうでも良さそうだ。ただ食べられれば良いって感じ。その能天気な感じが、私の気持ちも少しだけ軽くしてくれる。



「うぃーす。みょうじ連れて来ました〜」
「お邪魔します……」

 既に何人かが集まって賑わっている焼肉屋。当真くんの後に続いて伏し目がちに挨拶をすると「なまえちゃん! 良く来てくれたわ! さ、こっち! 座って座って!」と加古さんが手招く。

「隊長も、いらしてたんですね……」
「悪いか」
「い、いえっ! そういう意味ではっ!」
「二宮くんってば。口が悪いのは変わらないわね。そんな言い方したらなまえちゃん怯えちゃうじゃない。ねぇ?」
「い、いえ……。だいぶ慣れましたので」

 加古さんの隣をあらかじめ私用に空けて貰っていたようで、東さんに挨拶をしてからその席に向かうと、加古さんの空けてくれていた席の向こう側には二宮隊長が座っていた。そうか、二宮隊長も東さんの弟子か。加古さんと会話しながらそんな事を思う。東さんに師事していた人、こんなに居るんだなぁ。私の師匠は一応当真くんだけど、今度私も東さんに指南して貰おうかな。

「今日のランク戦、当真くんと一緒に解説してたのよ。私」
「はい。聞いていました。A級の方の見立てはいつも為になります。……活かせていないのが現状なんですけど……」
「そう? 確かに、今日の試合は凡ミスだったけれど、それ以外の試合ではとっても頑張ってるじゃない。毎試合事に成長してるのが分かって、なまえちゃんの試合、見るの好きなのよ、私。でも、二宮隊にB級昇格して直ぐに入隊しちゃったから、苦労する事ばかりでしょ? 二宮くんが隊長だし。それが不憫に思えてならなくて。今日はなまえちゃんを少しでも労いたくて呼んだの。それに、当真くんって教えるの結構抽象的でしょう? それなら東さんにも聞いてみた方がなまえちゃんももっとスナイパーとしての腕上がるんじゃないかと思ってね」
「加古さん……」

 今のセリフで二宮隊長だけでなく、当真くんをもディスった気がするけれど、加古さんのセリフはとても嬉しかった。他人が自分の事を認めてくれるというのは、どこか胸がくすぐったくなる様な、嬉しいような照れるような、それでいて恥ずかしいような気持ちになる。でも、でもね。加古さん。

「私、二宮隊に入った事で苦労した事はないです。そりゃ、自分自身の至らなさには毎日苦労ばかりですけど、二宮隊の皆はとても優しいです。こんな私の事、いつも優しい言葉で受け入れてくれるし。二宮隊で苦労してるといえば、スーツが着こなせていない事くらいで。……私は二宮隊に入れて良かったと思ってます。だから、これからも二宮隊で訓練を続けて、二宮隊の皆にも私が入って良かったって思って貰いたいです」

 腫れが残る瞼の事なんか忘れて、加古さんを見つめて自分の思いを告げる。自分の事は嫌になる事ばかりだけど、二宮隊の事は大好きだ。だから、そこだけは伝えておきたくて。しっかりと目を見て告げると加古さんの表情は崩れる。

「……ねぇ。私、なまえちゃんの事自分の隊に入れたくなっちゃった。なまえちゃん、加古隊に入り直してよ。ねぇ、二宮くん。なまえちゃん、頂戴よ」
「加古。お前もう酔ったのか? 寝ぼけた事言いやがって」
「……寝ぼけてる? 私が? どこをどう見てそんな事言ってるのかしら? 私が酔ってるように見える?」
「あぁ。見える」
「どこをどう見たらそうなるの?」
「下らん事を言ってくるのがその証拠だろうが」
「あら、二宮くんの方こそ酔ってるのかしら? 私の言ってる事が理解出来ていないようだもの」
「下らん。みょうじ、相手にするな」

 二宮隊長の言葉は隊長としてなのか、それとも加古さんに対して悪意を込めたものなのか。うまく判断がつかない。この場合はどうすれば……。

「みょうじさん、こっちにおいで」
「東さんっ」

 間に挟まれ慌てふためく私を呼んでくれたのは東さんで。東さんに呼ばれた私は大人しくその声に誘われる。加古さんも隊長も東さんには何も言えないらしく、私が居なくなった隙間分だけ綺麗にそのまま空けて、睨み合いにも等しい空気を漂わせ続けている。

「あの2人いっつもああやって飲み比べ始めるんだよ。全く、仲が良いのか。悪いのか。巻き込まれたら堪ったもんじゃないよな。って事であそこは放っておいて、こっちで食べなよ」
「ありがとうございます。……あの、東さん、今度私にも狙撃の訓練つけて貰えませんか?」
「あぁ、勿論。みょうじさんの腕は間違いなく良いからね。教え甲斐がありそうだ」
「そんな……私なんて。まだまだです」
「そう? 加古が言ってた通り、みょうじさんは頑張ってると思うぞ?……二宮はそういう事滅多に言わないからなぁ」

 東さんに招かれたテーブルでそんな会話をしていると、「二宮くんって、なまえちゃんの事褒めたりしないでしょ? それのせいでなまえちゃんヘコんじゃってるじゃない。そんなんだと、なまえちゃん二宮隊辞めちゃうんだから。そうなったら絶対私が加古隊に入れてみせるわ」加古さんが東さんと似たような事を言っているのが聞こえてきて、視線を戻す。
 2人の周りには既に何本か空になったお酒の入れ物が転がっている。……ペースが早い。あれで2人とも顔色が変わっていないんだから、2人共相当お酒は強いようだ。

「あー、ありゃ悪酔いしてるな」
「え? 加古さん酔ってるんですか? 全然顔色変わってないように見えますけど」
「まぁ、加古はほろ酔いくらいだろうけどな。加古であれなら二宮は結構ヤバいかもな」
「隊長ですか? 隊長の方が顔色変わってないように見えますけど……」

 隊長って、お酒強そうにみえるけど。どうなんだろう。気にはなるものの、「まぁ好きにさせとけ」という東さんの一言と共に東さんによって新しいお肉が網の上で音を立てる。その音と煙に皆が群がり、騒がしさが増すテーブル。私はいつしか自分の皿に乗せられていくお肉の消化に勤しむ事に夢中になっていった。



「東さん、今日は私までご馳走になっちゃって。ありがとうございました」
「おう! また来いよ。いつでも大歓迎だ」
「なまえちゃん辛くなったらいつでも私のラインに連絡頂戴ね。編入手続きとってあげるから」

 加古さんの言葉には苦笑いを返して、皆に手を振る。皆はこれから2次会に行くらしい。正直今日は泣いたりお腹一杯にしたり、体が色々と忙しい。お開きが近くなった段階で眠気が顔を覗かせていた。だから私は2次会の誘いは断って、1人で帰ろうとしていた時だった。

「待て。みょうじ」

 二宮隊長に呼び止められ、立ち止まる。振り向くと二宮隊長が向こう岸にある群れから1人抜けてこちらに歩いてきていた。

「どうしたんですか?」
「ボーダーに寄る用事がある。ついでに送る」

 そう言って私を抜き去り、前を行く隊長。そんな隊長に私はまた有無を言えなくて、小走りでその背中を追った。



 作戦室に入るなり、二宮隊長は冷蔵庫から水を取り出して椅子に腰掛ける。シンク台の照明のみだけが周辺を頼りなく照らしている。直ぐに出るのだろうと思って、私は入り口付近で隊長の用事が済むのを待っていた。だけど腰掛けたのを見ると、やっぱり酔いがまわって体調を悪くしたんじゃないかと心配になる。

「隊長、気分悪いですか? ベッドで横になりますか? 私、ここからは家近いですし、1人で歩いて帰れま……っ、」

 言葉が途絶えた。隊長が私の手を握ってくるから。その手は思っていたよりもずっと温かくて、握られた自分の手が隊長の手の中で硬くなる。もっと、冷たい手なのかと思っていた。じんわりと熱を持った隊長の手の中でぼんやりとそんな事を思った。違う、そうじゃない。私が気にしないといけないのはそんな事じゃなくて。

「隊長、酔ってますか?」

 隊長の手を片方の手でやんわりと剥がそうとして、逆にその手を隊長のもう片方で捕らえられてしまう。そのまま両手を引かれ、体勢を崩した私を隊長が受け止める。とても不安定な姿勢なはずなのに、隊長の腕がしっかりと私を支えている。私は動きたくても動けなくて、ただじっとするしかない。

「行くな」
「え?」

 耳元で呟くように放たれた隊長の声。

「お前まで遠くに行かないでくれ」
「た、隊長?」
「鳩原……、」

 隊長の言葉はそこで途切れ、私の背中に回った隊長の腕がダランと垂れ下がる。慌てて体勢を整えて、どうにか隊長の体を受け止める。

「……」

 私は隊長の腕から抜け出し、隊長の体をテーブルへと預ける。そして、ベッドからブランケットを取り、そっと隊長に被せて、私は静かに作戦室を後にした。



 知らなかった。

 隊長が顔色を変えずに酔いを回すタイプだという事。酔うと普段の隊長から想像がつかないくらい弱く、か細い声を出す事。縋る様な寂しさを抱えて私の事を抱きしめる事。隊長の手があんなにも温かい事。

―鳩原……、

 あんな風に求めるような声で呼ぶ人物が居るって事。

 知らなかった。

 隊長は鳩原さんの事が好きなんだって事。

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