あの日の作戦室での出来事を隊長は覚えていないらしく、次の日に「送ってやれなくて悪かった」と詫びを入れられただけだった。

 それからは普段と何も変わらない日々を過ごし、私は私で狙撃の訓練に明け暮れていた。最近は東さんにも指導して貰うようになり、前に比べると少しだけ自分が思い描いた戦況に運べる事も増えていた。犬飼くんたちとの連携もうまくいっているし、ランク戦を楽しいと思えるようにもなっている。それなのに、私の心は今一つ浮いてくれない。原因は分かっている。

「今日の掩蔽訓練は結構ポイント稼げてるな」
「私のこの額のスタンプが無かったらもっとポイント稼げたけどね」

訓練が終わって、スタンプが消えるまでの間に当真くんとそんなやり取りを交わす。てか、600mも離れた場所から撃てるもんなの? 当真くんって本当に凄い。格が違う。

「ねぇ。今まで射撃で敵わないって思った相手って居る?」
「そりゃ勿論。狙撃スキルは鳩原には敵わなかったな」
「鳩原さん……」

 その人物の名前を呼ぶと、あの日の二宮隊長の声が蘇る。その声を遮るように、私は当真くんに「ねぇ。鳩原さんって人、どんな人だったの?」と尋ねてみる。隊長が今でもあんな風に求める人物とは一体、どんな人なんだろうか。私の気持ちを沈めている鳩原さんとは誰なんだろう。

「んー。何つーか……どことなく、みょうじに似てるかも」
「私に?」
「おう。人の良さそうな雰囲気とかがな。まぁでも人は見かけによらないっつーからな。実際、鳩原もクビになってるし。お前、そこは似るなよ?」
「う、うん……」

 鳩原さんと私は入隊していた期間は被ってはいる。だけど、私は入隊したばっかりで、自分のレベル上げに必死だったし、鳩原さんの事は狙撃手ランキングでも名前を見た事が無かった。そうして、私たちはお互いを認識しないまま、交わることなく二宮隊に在籍した。二宮隊長が好きな人。もっと周りにも目線を配るべき。私の課題はここでもそこなんだなぁ。そうすれば、二宮隊長が求める姿に近づけたかもしれないのに。乾いた笑い声を出した私の事を当真くんがギョッとした表情で見つめるのが分かった。



「鳩原先輩の射撃スタイル?」
「うん。絵馬くんは鳩原さんに色々教わってたって、当真くんから聞いたから」

 絵馬くんを尋ねた経緯を話すと絵馬くんの顔が歪む。当真くんの事を面倒くさいと思ったのか、私に話しかけられたのが嫌だったのか。どちらかなんだろう。絵馬くんは二宮隊に私が入った辺りから素っ気なくなってしまった気がするし。もしかしたら嫌われているのかもしれない。

「鳩原先輩は人が撃てなかった」
「そうなんだ……」
「だけど、その分相手の武器を壊して味方をアシストする戦い方を採ってた。武器をピンポイントで撃つなんて、簡単に出来る事じゃない。本当に凄い人だよ。鳩原先輩は」

 ポツポツとだけど、ちゃんと話をしてくれる絵馬くんに内心ほっとする。良かった。顔を歪ませたのは当真くんだったのか。その事に安堵すると同時に、絵馬くんから鳩原さんに対する尊敬の念がひしひしと伝わってくる。ここにも鳩原さんの事を思ってる人が居た。良いなぁ。鳩原さん。こんなにも思ってくれる人が居るのに、どうして違反なんかしちゃったんだろう。でも、鳩原さんが違反を犯さなかったら、私は二宮隊には居なかったんだし。皮肉なものだ。

「私も鳩原さんみたいなスナイパーになれるかな」
「……さぁ。みょうじさん腕は良いみたいだし。鳩原先輩みたいに武器を破壊するなんて事、しなくても良いんじゃない?」
「でも……、出来る事は多い方が良いし」
「人を撃てるに越した事は無いでしょ。鳩原先輩は苦肉の策で編み出したんだし。それに、そんなのは鳩原先輩にしか出来ないよ」
「……そっか。そうだよね、ごめん。ありがとう。教えてくれて」

 私は鳩原さんにはなれない。そう言われたような気がして、また心の中に黒い雫が落ちていく。じゃあどうすれば。どうすれば私は。



 作戦室の掃除を率先してする事が増えた。前に亜季ちゃんが「今はもう率先してしてくれる人居ないから。各自各々でやってるの」とハタキ片手に言っていたのを思い出したからだ。それは多分、鳩原さんの事だったんだろう。だから、私は掃除を率先して行うようにした。こんな事したって、意味なんて無いって分かっているのに。鳩原さんの面影をなぞる様に生活するようになっていた。

 絵馬くんにはあまり良い返事を貰えなかった武器を撃つ訓練も、実は行っている。当真くんは「まぁみょうじがしたいんなら止めねぇけど」とのらりくらりの返事をして、付き合ってくれている。分かっている。私がそんな事をしたって、鳩原さんにはなれないなんて事くらい。分かっているのに止めれない。隊長のあの声がこびり付いて頭から離れない。

―鳩原……、

 私が鳩原さんみたいになれば、隊長はあんな風に私の名前を呼んでくれるのかもしれない。そう思うと、鳩原さんの後を辿る事を止める事が出来なかった。



「みょうじ」

 防衛任務終わりに、トレーニングルームに向かおうとしていた私を隊長が呼び止める。

「ちょっと来い」

 隊長の声が固い気がした。何かしでかしただろうか。今日の任務ではちゃんと敵を撃退したし、自分の中では何も思い当たる節が無い。それなのに、どうしてあんなに痛く私の名前を呼ぶんだろう。ちょっとした事で私の心は黒く染まる。いつから私はこんなに醜い感情を心に飼っていたんだろう。つくづく自分が嫌になる。

 連れてこられたのは屋上で。吹き抜けていく風に髪を持っていかれる。その髪を手で押さえる私とは反対に、隊長の手はポケットに仕舞われたまま。あの手は今、どんな温度なんだろう。触れてみたい。だけど、私にはその資格が無い。髪から少しだけ離した手を直ぐに耳元に戻す。

「東さんから聞いた。お前、武器を撃つ練習しているらしいな」
「……はい」
「何故そんな事をする。お前は人が撃てない訳じゃあるまい」
「そうなんですけど……。出来る事は多い方が良いと思って」
「下らん。見え透いた嘘を吐くな」

 高圧的に制される。その言葉は今までの言葉と違って、私を拒絶するような声色で、思わず唇を噛み締める。どうして、どうして私は隊長に冷たく拒絶されてしまうんだろう。鳩原さんになって、私もあんな風に呼ばれたいのに。どうして。どうしたら。

「鳩原に何故固執する?」
「っ、」

 酷な質問だと思った。その質問の答えを隊長にしないといけないのか。この醜い感情を隊長に見せないといけないなんて。これ以上は止めて欲しい。もう、これ以上、自分の事を嫌いになりたくない。苦しい。隊長、私、苦しいんです。助けて。

「……何故泣く」
「ごめっ、な、さっ、」

 まただ。人前で泣くなんて。私は追い込まれると直ぐ涙に走る。狡い。狡さの象徴である涙を必死に拭って、どうにかしたいのに。下を向いていると後頭部を掴まれ、そのまま前に倒される。突然抱き締められた事に吃驚したのは束の間で、直ぐにあの日聞いた隊長の声が、耳元で囁かれる。

「“他者と自分を比べて勝手に劣っていると決めるのはバカがする事だ”と言っただろうが。それなのにお前は何故そう鳩原と自分を比べたがる」

 私の後頭部に置かれた隊長の手が私の頭を撫でる。その手はあの日と変わらず温かくて、その温かさが私の涙腺を余計刺激する。この温かさは鳩原さんのものなのに。私が貰っていいのだろうか。縋っても良いのだろうか。

「うぅ〜っ、」
「そうやって1人で抱え込んで人知れずに泣くんだろう。こないだみたいに。つまらん」
「泣いた事、気付いてたんですかっ……?」
「あんなに目ぇ腫らしてたら気が付かん方が可笑しいだろう」

 そこら辺の記憶はあるんだな。ちゃんと。そっか。覚えてないのは作戦室の部分だけなんだ。それじゃああれはやっぱり隊長の隠れた本心だったんだ。

「……隊長は鳩原さんの事、好きなんですか?」
「…………は?」

 たっぷりと置かれた間の後に、息を吐くような声で喉を鳴らす。ゆっくりと下るようなスピートで私の頭を撫でていた隊長の手が止まる。

「どういう思考回路だ、お前」
「あの日、作戦室で隊長が私の事抱き締めながら呼んだんです。鳩原さんの名前を」
「………」
「その時に思ったんです。隊長は鳩原さんの事が好きで、今でも求めてる。本当は鳩原さんがクビになった事、誰よりも悔やんでますよね? だから私、」
「待て」

 私のセリフを命令するように遮る隊長。隊長に待てと言われれば、私は黙る。いつの間にか私はこんなにも隊長に従順になってしまった。隊長に求められたら、全力で応えたいと思うようになってしまっていた。それくらい、私は心から、隊長の事を好きになっていた。

「……俺が、あの時本当にそんな事を言ったのか?」
「はい。作戦室で“お前まで遠くに行かないでくれ”と。そう言っていました」
「……」

 隊長が私の肩を掴んで距離を取る。片手は自身の顔を覆っている。自分の記憶を必死にかき集めているようだけど、まるっきり綺麗に消え去っているらしい。数秒間その体勢を崩さなかった隊長が1つ深く息を吐いて、私を見つめる。

「鳩原未来はトリガーを民間人に横流しし、そのまま行方をくらました。表向きは隊務規定違反だが、その実は重大な規律違反だ。そんなヤツに何故俺が恋愛感情を抱かねばならん」
「……へっ?」

 今度は私が息を吐く要領で喉を鳴らす番だった。……じゃあ、あの時あんな風に鳩原さんを呼んだのは……?

「俺は普段から言葉にしなさ過ぎるらしい。絵馬に鳩原が失踪した直後に“あんたが鳩原先輩を潰した”と言われた。……否定は出来なかった。俺は、鳩原が人が撃てない事に悩んでいたのを知っていたし、それが原因で遠征部隊から外された時も、鳩原が傷ついている事に気が付いていた。それなのに、俺は隊長としてかけるべき言葉をかけなかった。もし、俺が声をかけていれば、鳩原は失踪などと馬鹿げた行為に走らなかったのかもしれない。鳩原の失踪には俺にも責任がある」

 知らなかった。鳩原さんは単なる隊務規定違反では無かったのか。でも、何故今このタイミングで本当の事を話してくれたんだろうか。

「だからこそ、みょうじには同じ失敗をしたく無かった。もう2度とあんな思いはしたく無いと思ったからだ。それなのに、俺は今一つみょうじにうまいこと言葉をやれない。このままでは鳩原のようにみょうじの事も俺が潰してしまうかもしれないと思うと、怖かった。失う事が怖い、など俺も下らん事を考えている事は分かっている。それでも、時々鳩原に尋ねてみたくなる事がある。“あの時俺はどうすれば良かったのか”と。鳩原にみょうじを失わないで良い方法を聞いてみたくなる。……人に散々バカとのたまっておきながら、俺が1番バカらしいな」

 隊長は私に鳩原さんの真実を話して、私が同じ道を辿るのが怖かったのかもしれない。当真くんがいってたみたいに、私はもしかしたら鳩原さんと似てるのかもしれない。鳩原さんも1人で悩んで苦しんで、姿を消したのかもしれない。だから隊長はずっとこの話をしなかったのかな。だけど、隊長。

「話してくれて、ありがとうございます。……でも、今隊長の話を聞いてハッキリと思いました。私は鳩原さんにはなれない。似てるかもしれないけど、違うんです。私は彼女にはなれない。それに、隊長。私は、前に隊長にちゃんと伝えて貰っているんです。隊長が私の事を思って、かけてくれた言葉を。だから、私はその隊長の言葉に応えたい。私は遠くになんて行きたくない。隊長の役に立ちたい。胸を張ってその隣に立てるようになりたい」
「ならば、そうなるまでも、なってからもずっと側に居ろ」

 私の言葉を聞いた隊長が再び高圧的に言い放つ。だけど、私はその言葉がやっぱり嬉しくて、また涙が出そうになる。

「はいっ! だから、隊長もどうか安心して下さい。私は絶対に隊長の側を離れません。遠くなんて、行きません」
「……涙目のくせに随分と言ってみせるな?」
「す、すみませんっ。隊長に言って貰った事が嬉しくて……、つい」
「……良い。泣きたい時に泣いた方が良いに決まっている。あいつは、辛い時こそ作り笑いを浮かべていたからな。みょうじにはそうなって欲しくない」
「隊長……」

 どうしてこんなにも嬉しい言葉をくれるんだろうか。普段の高圧的に言い切ってみせる隊長も好きだけど、今の隊長はあまりにも優しすぎて、その優しさが少しだけ怖い。

「隊長……もしかして酔ってますか?」
「……何故そうなる」
「だ、だって……。普段だったら絶対こんな事言ってくれないから……」
「駄目か。俺がみょうじにこんな事を言うのは」
「だ、駄目じゃないですっ! むしろもっと……、」

 むしろもっと言って欲しい。そう強請りそうになる気持ちを慌てて抑える。1度貰った甘すぎる飴に恐怖心を覚えていたくせに、ちらつかされるともっと欲しいと思ってしまうなんて。強欲が過ぎる。

「みょうじ」
「っ、」

 今このタイミングでそんな風に私の名前を呼ぶなんて。いくらなんでも狡過ぎる。私が願った事を隊長自らしてくれるなんて。隊長はどれだけ私を惚れさせれば気が済むんだろうか。

「お前は、お前だけは。何があっても俺の側から絶対に離れるな。良いな?」
「はいっ!」

 私は鳩原さんにはなれない。でも、それで良い。だって、隊長はそんな私の事を求めてくれるのだから。私は私のままで良い。私のままが良い。

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