重なりあう時間 | ナノ
運命の上書き編 拾伍





百拾捌話
 涙腺は強いはずだった






それは、無我夢中でしかなかった。


「あなたも私に力をお渡しなさいな」
「止めてっ!」


政子の中にいる何かが望美へ向かって、見えない殺意を抱いているのを悟った浅水は、目にもとまらぬ速さで行動を開始していた。
するりとヒノエの腕から離れ、戸惑った様子の望美の元へと駆けていく。


「浅水ちゃん?!」


その腕に望美を庇うように抱え込めば、まもなく訪れるであろう衝撃に備えてか、固く目を閉じた。





「浅水っ?!」


つい先程まで、震えて自分にしがみついていたはずの最愛の人。
失われてしまった温もりに、ヒノエは慌てて手を伸ばしたが、それは虚しく宙を切った。


この状況は、以前にも覚えがある。
 

あのときは、熊野だった。
怨霊の力で、崖から落とされそうになった望美を、ためらいもなく追っていった。
その時も、自分の手は彼女に届かなかった。


また、彼女を失うことになるかもしれない。


その恐怖に、ヒノエは全身の血が凍ったような気がした。


「ッ……させるかよ」


小さく舌打ちして、浅水と望美の元へと急ぐ。
それほど距離があるわけじゃない。
ほんの僅かな距離だ。
けれど、人外の力を持っている相手には、その僅かな距離すら問題にないらしい。
それもそうだろう。
リズヴァーンのように、一瞬にして目的地まで飛べる力があるのだから。


「望美っ!」
「先輩!!」
「浅水さんっ」
「浅水」


目の前の光景に、誰もが声を上げずにはいられなかった。
みんなが思い出したのは、やはり熊野での一件。
だが、あのときは望美を救い出したものの、今回は無理だ。
何せ望美の身体は浅水にしっかりと抱きしめられている。
確かに、あの状況で望美一人を逃そうとしても、そのまま追われてしまうのは目に見えている。
だから浅水は己の身で庇うことで、彼女を守ろうとしたのだろう。
けれど、政子は清盛の時と同じように、望美を抱いた浅水ごと、己の中に取り込んでしまう。


「浅水!クソッ……オレはまた、お前を失うことになるのか……?」
「ヒノエ、落ち着いてください。まだ諦めるのは早すぎる」


そっと肩に手を置いてくるのは、普段から毛嫌いしている叔父のもの。
けれど、このときばかりはこの叔父の言葉を、素直に受け入れることが出来た。


「当たり前だ、誰がそう簡単に諦めるかってんだよ」


その瞳に宿る炎に、弁慶の目元が軽く綻ぶ。
自分の武器を構え、いつでも攻撃が出来るように備える。
このまま攻撃しても、二人が無事である保証はどこにもない。
加えて、戻ってくるという確信もない。


だが、何もやらないよりは、やったほうがいい。


ヒノエは、好機を逃してはならないと、相手の様子を注意深く観察した。





望美を庇い、政子の中にいる物に取り込まれる瞬間。
浅水は、奇妙な感覚を覚えた。
それは、自分の中にある大切な物が消えていくような、そんな感覚。
自分がそう感じるということは、望美も同じような感覚を覚えているのかもしれない。
そう思い、自分の腕の中にいる望美を見下ろす。


「望美、大丈夫?」
「浅水ちゃん」


不安な声を上げる物の、目に見える外傷はないらしい。
そのことに安堵するが、まだ油断は許されなかった。


「ああ……そうなのね」


不意に聞こえてきた声に、二人は緊張を覚えた。
注意深く周囲を探るも、目的の人物は見当たらない。
そういえば、自分は目を閉じてしまったからわからないが、清盛と同じであれば政子の中にいる物に飲み込まれてしまったのだろうか。
そう考えれば、相手の姿が見えないのも頷ける。
相手の腹の中にいるならば、見えなくて当然だ。
けれど、言葉が聞こえてくるのは何故だろう。

二人がいる場所は、どこか四神たちがいた場所と似通っていた。
だが、決定的に違うところがある。
四神たちがいたのは、真っ白な空間。
それこそ、聖なる場所とでも言っていいほどに清浄な雰囲気と、威圧感があった。
なのに、ここはそうではない。
確かに白といえば白い。
でも、その白さはどこか濁っているような感じのする白だ。
例えるなら、乳白色と言ってもいいかもしれない。

ぼんやりとそう考えていた浅水だったが、次に聞こえてきた政子の声に思わず身を固くした。


「白龍の神子と熊野の神子。あなたたちは違う世界から来たのね」
「どうして、それを……」


望美も政子の発言に驚いたのだろう。
驚いたように思わず目を見開いた。
八葉であるヒノエたちは、もちろん自分たちが違う世界から来たのだと知っている。
けれど、それ以外の人には、そう言った事実は話していないのだ。

浅水は特にそうだ。

自分の存在を、心から気を許した人にしか教えていない。
ヒノエにだって十年も黙っていたくらいだ。
これも、政子であって政子ではない物の力だというのか。


「浅水ちゃん、どうしよう」
「望美?」


両手で自分の頭を抑える望美に、一体どうしたのかと問いかける。
望美は、何かを拒むようにゆるく頭を横に振る。
何か、望美にしか感じられないようなことが起きているのだろうか。


「見える……だめだよ。私たちの世界を……」
「まさかっ」


望美の言葉に、一気に嫌な予感が募る。
もしかして、自分たちの世界に行こうとしているのか。
そう思った瞬間。
見覚えのある風景が走馬燈のように、浅水の頭の中に浮かんでは消えていった。
久し振りに見るその世界は、懐かしさを覚えるには充分な物。


「止めてっ!」


一際高く、望美が声を上げる。
すると、目の前の光景が崩壊していく様が目に入った。


「浅水!」


自分を呼ぶ声がして、ハッと我に返る。
声がした方を振り返れば、そこには心配そうな顔をしたヒノエ。
あぁ、自分はまた彼に心配をかけてしまった、と申し訳なく思った。
謝ろうと口を開けば、それよりも早くヒノエの腕に捕らわれる。


「ごめん、ヒノエ。でも、状況説明して欲しいんだけど」


ポンポンと軽くヒノエの背を叩けば、抱きしめられた腕から解放される。
けれど、浅水を正面から捉えたのは、不機嫌を丸出しにした表情。
これは怒ってるなと、思わず冷や汗が流れていくのを感じた。


「神子!」
「望美」


そんなとき、望美を呼ぶ声が聞こえて、思わず彼女を捜す。
そういえば自分の腕の中にいた望美が、どういったわけか、いないことに今気付いたのだ。
望美は白龍に抱かれるようにしていた。
けれど、自分とは違い未だ意識が戻っていないらしい。
必死に望美を呼ぶみんなの声が聞こえてくる。


「君たち二人は、政子様からでてきたものに襲われた……取り込まれたんですよ」
「弁慶」


いつの間にいたのだろう。
弁慶が説明をしながら、今までの状況を説明してくれた。

浅水が望美を庇ったその直後。
政子の中から出てきた何かが、二人を取り込んだのだという。
八葉がどうやって二人を取り戻そうかと、それぞれの武器を構えていた。
中身がいくら違っていても、外見は政子でしかないのだ。
おいそれと、頼朝がいる目の前で、彼女を傷つけることも出来ない。
それゆえ、安易に攻撃することも出来なかったのだという。
すると、何かを見出したように嬉々とした表情で、政子は頼朝に何か告げた。
二人のことが気になって、あまり会話には注意を払っていなかったらしい。
それでも頼朝は政子の中に何かがいるのを知っていて、その目的もわかっていたということだけは理解できた。
その後、政子の身体が崩れ落ちるようにその場につきそうになるのを、頼朝が抱き止めた。
おそらく、その時に政子の身体から出て行ったのだろう。
そして、それと時を同じくして、浅水と望美も姿を現した。


「そうだったの……」


一通りの説明を受け、浅水は小さく溜息を吐いた。
多分、自分たちが見た光景が本物だとしたら。
そう考えるとゾッとした。


「荼吉尼天はどうなったの?」


望美が誰かに尋ねているということは、気がついたのだろう。
どうやら無事らしい。
そのことに浅水は安堵した。


「あれは、姿を消した……」


敦盛の言葉に、望美は浅水を見た。
やはり、彼女も同じことを考えたのだろう。
荼吉尼天は、自分たちの世界へ行ったのだと。
浅水には断言できるだけの自信はなかったが、望美の方はそうでないらしい。
やはり、あの場で感じたことは自分よりも望美の方がハッキリわかるに違いない。


「荼吉尼天は、私たちの世界へ向かったんだ……」
「何だって!?」
「本当ですかっ?」
「多分ね。あの光景は、確かに私たちの世界だった」


驚く将臣と譲に、浅水も自分の見た物が望美と同じであることを告げる。
そうすれば、自分たちの世界を救うためにも、あちらの世界へ行かなければならない。
現代組が自分たちの世界へ行くことを決意すれば、更に九郎までもが行くと名乗りを上げた。
九郎だけじゃない。
弁慶やヒノエまでもが行くと言う始末。
けれど、その申し出を望美は拒んだ。


全員で時空を越えることは出来ないと。


それを聞いて浅水は思わず首を傾げた。
望美たちは一度、将臣を除いたメンバーで時空を越えているはずだ。
そのときは四神の力を借りたと言っていたから、再び四神の力を借りれは何とかなるのではないだろうか?


「ねぇ、望美……」
「神子、一度だけなら神子がためた力を使って時空を越えられるよ」
「私も……白龍の逆鱗を持っている。それを白龍へと返そう」


どうしてこうもタイミングが悪いのか。
浅水が何か言うよりも早く、白龍とリズヴァーンが望美へ提案する。
それに一瞬表情を明るくするも、直ぐさま思い直したように首を振る。


「この世界に戻ってこれないなら、連れて行けないよ。みんなはこの世界に、大切な物があるでしょ?」
「帰ってこれない、なんて決まったモンでもないんじゃないの?」
「そんな深刻な顔すんなって。生きてさえいれば、なんとでもなるんだ。帰る道だって見付けりゃいいんだよ」


少々乱暴に望美の頭を撫でながら、な?と将臣が問い返す。
それに、少しだけ望美の瞳に雫が浮かぶ。


「みんな……」


そう言って、その場にいるみんなの顔を見回す。
誰もが同じ意志であることは一目瞭然。
例え望美が拒んでも、無理矢理ついて行くと言わんばかりだ。


「ね、望美。ここまで来たら一蓮托生ってね」
「浅水ちゃん。……そうだね、行こう。みんなで」


力強く頷いて、望美は時空を越える決意を、決めた。
神泉苑の一角。
泉にほど近い場所に、みんなが集まる。
望美の首にかけられているペンダント──白龍の逆鱗──が淡く光を放ち始める。
それと同時に、白龍の首にある逆鱗も光を放つ。
弱かった光が次第に強くなり、辺り一面を包んでいく。
その光が浅水たちを全て包み込んだ瞬間、時空を、越えた。










次回、最終回
2007/8/5




 
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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