重なりあう時間 | ナノ
運命の上書き編 拾参





百拾陸話
 祝福をくれ、これは幸福に繋がる道だ






いよいよ福原の地で和議が開かれることになった。
その知らせを聞いて、浅水たちはいよいよかと、それぞれの準備をし始めた。
兵を率いて福原へ向けて出陣するが、九郎と弁慶はそのまま福原に留まらずに鎌倉を目指す。
頼朝の元へ行き、平家との和議を認めさせるのだ。
景時と朔は福原に残り、源氏の兵たちをその場に留めておく。
仮に、平家の兵が来ても戦など起こさないように。
そして、望美の書いた文を持って、敦盛は平家──将臣──の元へ。
その後はもちろん清盛の説得が待っている。
譲とリズヴァーン、白龍は望美と共に、政子を足止めする。
浅水とヒノエは後白河院の元へ行き、書状を書かせる。
これが、熊野で決めたことの全てだ。


今、敦盛に持たせる文を望美が必死に書いている。


「う〜ん、筆って書きにくい……」


カタン、と筆を置いて自分の書いた文をしみじみと見つめ、溜息をつく。
そんな望美の姿に、譲は苦笑を浮かべるしかなかった。


「相変わらず、汚い字だねぇ」


ひょい、と後ろから顔を覗かせて文を見れば、その文面よりも思わず字の方に目がいってしまう。
慣れない筆で書いたせいもあるのだろうが、これではミミズが地を這ったような字に見えなくもない。
これでは将臣が解読できるかどうか……。
内容は熊野で伝えてあるから大丈夫だろうが、この文面を読むのには一苦労しそうだ、と思わず溜息を吐いた。


「ちょっ、浅水ちゃん!何勝手に読んでるのー!」
「勝手にって……読んで困るような内容でも書いてるわけ?恋文でもあるまいし」


浅水が文を見ていたのを知り、慌てて両手を文の上で動かす。
それで隠したつもりなのだろうが、生憎全て読んだ後だ。
隠しても今更という物。


「そういうわけじゃないけど、でも恥ずかしいじゃない」
「私としては、望美の字の方が恥ずかしいね。これを機に、少し手習いでもしてみたら?」
「浅水ちゃんの意地悪」
「ホントのことでしょうに」


楽しそうに響く笑い声につられ、部屋に顔を覗かせたのは今いる八葉の面々。
浅水と望美のやり取りに、綻ぶ顔を止められない。
熊野で知った事実には驚いたが、日が経てばそれも些細なこと、と誰もが今の日常に満足していた。
あの日と変わらずにいられるのなら、それで。
何より、浅水がいることで望美の笑顔が増えた。
そしてヒノエと、弁慶も。
朱雀組が黙って落ち込んでいる姿は、あのときばかりで充分だと、その時の二人を見ていた人は口々に言った。
それを聞いた浅水が、驚愕の色を浮かべながらも「見たかった」と思わず呟いて、二人に酷い目に遭わされたのはまた別の話。


「いいの!将臣くんなら多分理解して読んでくれるもん」


多分、と言ったことで、自分の字の汚さを認めたような物だが、それを指摘してやるほど浅水も馬鹿ではない。
墨が乾く前に望美が触れないようにと、文机を少し離れた場所へ移動させる。
その様子を見ていた弁慶が、部屋の中へと足を踏み入れた。


「ちゃんと文は書き終わったようですね」
「はい。後は、福原で将臣くんにこれが届けば……」
「神子、将臣殿には私が必ず届けよう」


どこか思案顔で言う望美を励ますためにか、敦盛が望美の側へと歩み寄った。
自分から他人の側に寄ってくるなど、珍しい。
浅水はそう思ったが、望美の前向きな姿勢に、敦盛も何か感じるところがあったのかもしれない。
良い傾向だと思う。
例え、怨霊であったとしても、そういった変化は悪い事じゃない。


「弁慶さんと九郎さんが来たって事は、もう出発ですか?」


ふと、望美が思ったことを口にすれば、笑顔で否定される。
ならば何故、と首を傾げれば、弁慶の視線がチラリと浅水へ向けられる。
そんな視線を受けた浅水は、何か良からぬ事でもしただろうかと、内心冷や汗をかいた。
何もやましいことはしていないが、弁慶の視線はどうにも苦手だ。


「望美さんと浅水さんの楽しそうな声が聞こえてきたので、つい」


気を悪くしたらすいません、と誰が聞いても好感度がもてそうな返事をすれば、望美も納得したようで。
チラリと浅水を見た後に、満面の笑顔を浮かべた。


「それで、出発はいつになるわけ?まぁ、私とヒノエは別行動になるけど」


弁慶がいるうちに、と早速本題に入れば、彼の目が細められる。
一気に軍師の顔だ。
だが、その顔にどこか余裕があるような気がするのは、気のせいではないだろう。


一度失敗している和議。

それを成功させるべく、熊野にいるうちに根回しはした。

残るは、それを実行に移すだけ。


実行に移したからといって、確実に成功する、というわけでもないが。
それでも、高い確率で成功するであろうことは、誰もが予想していた。


「そうですね……。既に準備は出来ていますから、明日にでも出られると思いますよ」
「なら、オレたちは望美たちが出発した後に行動開始ってわけだ」


柱に背をもたれさせながら、小さく口笛を吹いたのはヒノエだ。
それに少々辟易した表情を浮かべるのは、他の誰でもない浅水。
ヒノエと二人、別行動することに異存はない。
ないのだが、問題はその相手だ。
自分たちの立場から考えると、それが妥当だということはわかる。
けれど、なぜ?と訴えずにはいられない。


「大丈夫だって。浅水にはオレがついてるだろ?」
「例えヒノエがいたとしても、あの狸爺は気にしないと思うね」


浅水の言葉に、確かに、と納得されてしまっては、先行き不安なことこの上ない。
それでも、いざというときは何か手を打ってくれるだろうから、その辺りは信用している。
けれど、この場で言うのもなんなので、あえて口には出さないことにした。


「浅水ちゃん!」


がしっと浅水の両手を取って、真剣な瞳で見つめてくる望美に、どうしたのかと首を傾げる。


「あの狸爺もそうだけど、ヒノエくんにも気をつけてね!!」


突然突拍子もないことを言われて、思わず肩すかしを食らったのは浅水だけではなかった。
ヒノエなど、もたれている柱からズルリと身体をずらしている。


「……望美、それは一体どういう」
「望美さんの言うとおりですよ。ヒノエほど危険な人物はいませんからね」
「弁慶まで……」


理由を尋ねようと口を開けば、それを遮るように弁慶が口を開く。
弁慶は身内に対しても容赦はないが、自分の甥を危険な人物扱いするとは、よもや想像もしていなかった。
そしてそれはヒノエも同じだったようで、その瞳に宿る炎がそれを物語っている。


「誰が危険だって?」
「君に決まっているでしょう?全く、油断も隙もないんですから」


どこか棘のある弁慶の言い方に、何を指して言っているのかを察した浅水は、頬に血が上るのを感じた。
多分、弁慶が言っているのは、自分の首に出来た朱い痕。
これまで数知れずの女性を相手にしてきた弁慶には、易々とバレてしまったのだろう。
もちろん、そんな痕を浅水に付ける人物だってここには一人しかいない。
加えて、浅水は弁慶を振っている。
以上のことをふまえても、血の雨が降るのは、火を見るよりも明らかだ。


「ハッ。そう言ってるけどアンタ、二回も浅水に振られてんだろ?今更手に入れようったって、そうはいかないね」
「おや、てっきり彼女の肩で寝ていると思ったんですが、あれは狸寝入りですか」
「アンタの気配がするときに、オチオチ寝てる訳にもいかねいね」


ここまでくると、身内の恥さらしにしか感じられないのは何故だろう。
いっそのこと、このまま放置でもよさそうだが、自分の話題が出ている限りそれだけは許されない。


「二人とも……」


いい加減にしろ、とその後に続くはずだった。
だのに、突然何に視界を遮られて、それを言うことがままならない。


「浅水ちゃんは私の物なの!だから、ヒノエくんにも弁慶さんにもあげないんだから!!」


声高に宣言され、ようやくその原因を理解する。
望美が浅水を抱きしめるように、自分の胸に浅水の顔を埋めさせたのだ。
だがしかし。
そう二人に宣言するのは構わないが、仮にも彼女は譲に恋しているのではなかったか。
何とか視界を確保してチラリと譲を探せば、その場に泣き崩れている従兄弟の姿が目に入る。


哀れ、譲。


やはり、彼に幸せが来るのはもう少し先だろうか、とそっと思う。


「もう、ふざけるのはそのくらいにして、明日に備えた方が良いのではなくて?」


そんなとき、天からの声のように振ってきた朔の声に、誰もがようやく我に返る。
そう、まだ全てが終わったわけではないのだ。
和議を結んで、本当の平和が訪れれば、今のようなことも普通の日常となる。


「みんな」


ぐるりと部屋を見回して、望美が声を掛ける。
それに、何事かと、全ての視線が彼女へ向けられる。


「和議、こんどこそ成功させようね」


確認の意味も込めて言葉にすれば、誰もが力強く頷き返した。


「もちろんだ」
「当然だね」
「君がそう願うんです。叶えないわけにはいきません」
「これで、終わりにしましょう」
「当たり前だよ〜」
「神子の、願いなら」
「お前の望むとおりに」
「頑張ろうね、神子」
「ええ、もちろんよ」
「成功させなきゃ、ここまで頑張ってきた意味がないからね」


それぞれの言葉に頷きながら、その日は早々に夕餉を食べ就寝となった。





翌日。
望美たちは、かねてからの手はず通りに、福原へと出撃した。
それをしっかりと見送ってから、浅水とヒノエの二人は、後白河院のいる御座所へと足を向けたのである。


「……何で私だけしっかりと正装しなきゃいけないわけ?」


御座所へ向かう最中、しきりと浅水は不満をヒノエに訴えていた。
見送りが終わって、こちらもいざ出発。というときに、ヒノエに待ったを掛けられたのだ。
一体どうしたのかと問えば、後白河院の元へ行くのなら正装していくべきだ、とヒノエに言われ、あれよあれよという間にしっかりと着替えさせられた。
もちろん、着替えをしたのは浅水自身なのだが。
ところが、浅水は正装だというのに、ヒノエの姿は変わらず。
それが不満の最たるところだった。


「だって、せっかく後白河院を説得するんだ。別当補佐よりは、熊野の神子姫の方が事を有利に進められると思わないか?」
「そんな物、あの狸爺には関係ないと思わないの?こんな格好、逆に喜ばせるだけじゃない」


自分の着ている着物の袖を上げ、紅をはいた唇を尖らせれば、今度こそヒノエの顔に苦笑が浮かぶ。
そんな表情をするということは、彼もそう思っているのだ。
だったら最初からこんな真似しなければ良かったのに。
そうは思っても、既に出た後。
今更引き返すわけにもいかない。
だって、目的の御座所は既に目の前にあるのだから。
浅水は渋々と肩を落とした。


「少しの間だけ、我慢してくれない?オレだってせっかくお姫様姿のお前を、他の奴に見せるのは嫌なんだからさ」
「もう、仕方ないなぁ。ホントに今回だけだからね?」


諦めたように納得して、今回限りだと念を押せば、もちろんと返される。
その返事を聞いて、浅水はようやく後白河院の前に出る決意をした。



ヒノエの三歩後ろについて歩き、後白河院の前に行く。
二人が現れたことに、後白河院の目が少々見開かれた。


「熊野別当、それに熊野の神子……」
「お久し振りです、後白河院」


驚いて声が出ない様子の後白河院に、ヒノエが軽く挨拶する。
浅水は黙って少しだけ頭を下げた。


「さて、さっそく用件に入らせてもらいましょうか。後白河院、風向きが変わったのに、気づかれましたか?」


後白河院はその言葉だけで全て理解したのだろう。
「そなたたちが動くとは……」と小さく唸った。
それを耳にしたヒノエは、不敵に笑みを浮かべる。


「船は帆に春風をはらめば動くもの。熊野は、いつもそうですよ。もちろん、後白河院ならご存じでしょう?」


有無を言わせぬやり口に、思わず手を叩いて褒めたかった。
さすが、腐っても別当だ。
その場に後白河院に書状を書かせ、それを見届けると二人は早々に後白河院の前から撤収した。
それはひとえに、これ以上いては後白河院が浅水に何を言い出すか、わかったものじゃないからだ。
とりあえず、自分たちがしなければならないことはやり遂げた。





後は、望美たちの帰りを待つばかり。










福原はこれで終了
2007/8/1



 
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