重なりあう時間 | ナノ
運命の上書き編 拾弐





百拾伍話
 揺れる瞳で見つめ、震える声で愛を誓う






浅水たちが熊野から京へ戻ってきて、数日が経った。
福原で和議が開かれるまでは、もうしばらくの猶予がある。
それまでは、つかの間の休息として、ゆっくり過ごすことになった。
日がな一日訓練をする者、部屋にこもって読書をする者。
洗濯にいそしむ者、家事をこなす者等。
銘々が、自分の時間を有意義に使っていた。


「そろそろ秋、か」


肌に感じる空気が、日を追う毎に冷たくなっていく。
昼間ならば、風が吹いていない限りそう感じたりしないのだが、さすがに夜になると、そういうわけにはいかない。
陽の光ではなく、月の光が照らし出す静寂。
今は月の光があるおかげで周囲が見渡せるが、月のない晩は、周囲すらも見渡すことが困難になりかねない。
薄い夜着に身を包んだまま、浅水は一人、庭を眺めていた。
時刻は既に丑三つ時に近い。
同じ部屋の望美や朔は、とうに夢の中だ。
浅水がこっそりと起き出して部屋を出たときも、それに気付く様子はなく、静かな寝息を立てていた。


「和議は成功するんだろうか」


力なく呟いてから、その考えを打ち消すように緩く頭を振る。


成功する、のではなく、させるのだ。


そのために、それぞれが熊野で素性をさらけ出した。
これからを変えるために、手を取り合うことにしたのだから。
成功させなければ、意味がない。


「そして、和議が成ったときが、決断の時」


おそらくは、そうなのだろうと予測をたてる。
源氏と平家の間で和議が成されれば、これ以上怨霊が増えることはない。
それは、白龍の神子として、望美の役目が終わるということを意味する。
白龍の力が戻れば、望美たちは元いた世界へ帰れるのだという。
だとしたら、自分と将臣も帰れるのだろう。
けれど、平家に恩のある将臣が、そう簡単に帰るとは言わないだろう。
帰るとしたら、本当に平家の人たちが幸せに暮らすのを、見届けてから。
だが、そうなると元いた世界には戻れないかもしれないという事実。
果たして彼は、どのような選択をするのだろう。

そして、自分も。

将臣と同じ風に考えるのなら、自分だって熊野に恩がある。
熊野と、その土地を守る神々に。
個人を限定とするのなら、湛快やヒノエ、弁慶となるのだろうが。
特に、ヒノエとは数日前に想いが通じ合ったばかりだ。
それなのに、別れの時は刻一刻と近付いてくる。


「どうしたもんかしら」


どちらかを選べと言われれば、既に答えは出ているのだろう。
けれど、僅かな迷いが生じているのも、また事実だ。


帰ることを諦めていたあの世界に、一度でも戻ってしまったら。

自分は、再びこの地へ戻ってくるのだろうか。


どちらも大切な世界だけれど、そのどちらにも存在することは適わない。
選ぶのは、どちらか片方。


「その麗しい憂い顔も魅力的だけれど、オレとしては、お前の華のような笑顔が見てみたいね」


聞き覚えのある声に、どこから見ているのかと周囲を見回してみるが、それらしい姿はない。
きょろきょろと頭を動かせば、クスクスと笑いを堪える声が聞こえてくる。
けれど、やはりその姿は見えなくて。


「ヒノエ、陰から様子を見てるなんて、随分と不作法なんじゃない?」


いつまでたっても見付けられない姿に、少々気が立った。
一体どこに隠れているのか。
気配はすれど姿は見えず、なんて烏の真似でもあるまいし。


「早く出てこないと、部屋へ戻るわよ?」
「ちょっ、待ちなよ」


すっく、とその場に立ち上がり、部屋へ戻ろうと踵を返せば、慌てたように庭にある一本の木から飛び降りる人影。
そんな場所に潜んでいたのか、と呆れて声も出ない。
浅水の側へ駆けてくるヒノエに、浅水は部屋へ戻ろうとしていた足を庭の方へと向けた。
まだ寝ていなかったのだろうか。
ヒノエは夜着ではなく、普段と変わらぬ服装のままだ。


「どこぞの姫君と、夜の逢瀬?」


にっこりと、厭味のように言葉を紡ぐが、浅水はそうでないことを知っている。
その証拠に、浅水の側にいる彼からは、彼以外の匂いはしなかった。
だのにそう言ったのは、ちょっとした嫌がらせも込めて。
せっかく想いが通じ合ったと思っても、その矢先に他の姫君と逢瀬をされていたら、これまでと何ら変わりがない。
自分にも、嫉妬という感情はあるのだと、ヒノエに少々訴えてみる。


「へぇ、オレの姫君はオレが他の姫君と逢瀬を重ねるのをご希望で?」


ところが、そう返されてしまってはぐうの音も出ない。


「質問に質問で答えるなんて、随分じゃない」
「そういう風に仕掛けてきたのは浅水だろ?オレは浅水の言葉に乗っただけだけど?」


腕を組んで不満を言えば、けろりと答えられる。
明らかに自分の負けだと知っているが、それを認めてしまうのはどこか悔しい。


「それより、こんな時間に一人でいるなんてな。てっきり寝てるとばかり思ったけど」
「……寝てたんだけど、目が覚めてね」


肩を竦めて言う浅水に、ヒノエの目が僅かに光った。
そんな風に浅水が言うのは、何かを夢で見たときだと知っているから。
もしかしたら、また何か良からぬ事でも夢に見たのだろうか?
だとしたら、それを事前に知っておくに超したことはない。


「オレの神子姫様は、次は何を夢に見たのかな?」


問いながら、自分の上着を脱いで浅水の肩に掛けてやる。
上着などどうせ羽織っているような物だ。
なくとも余り変わりはない。
肩に掛けられたヒノエの上着を前でしっかりと合わせれば、浅水も庭へと足を踏み出す。


「よく、わからない」


首を横に振りながら、静かに答える。
何、とハッキリと言葉にするのが難しい。
全てが曖昧で、起きたときによく覚えていないのだ。
こんなこと、今まで一度もなかった。
確かに、何かが起きる前兆としては、似たような夢を見たことがあった。
けれど、起きたときに夢を忘れるということは、一度も体験したことがない。
やはり一度死しているから、何かが変わってしまったのだろうか……?
けれど、一つだけ。
これだけは言えることがあった。


「でも、嫌な予感がする。福原で何かがありそうな気がする」
「福原で、ね」


浅水の言葉に、ヒノエがフンと鼻を鳴らす。


「何も起きない訳はないだろうね。何せ、あの頼朝と清盛が和議を開くんだ。一波乱あるに決まってる。それに、平家は三種の神器の一つを失っているからね」
「そうだね……。そして、清盛は黒龍の逆鱗を持っている」


ヒノエの言うとおり、何も起きないハズがない。
そして、以前政子から感じた妙な気配。
あのときはよくわからなかったが、今度は注意して見ていよう。
もしかしたら、何かわかるかもしれない。


「そうやって何かを決意したお前の瞳は輝いていて綺麗だけどさ」


そっと顎を掴まれ、ヒノエの方を向かされる。
突然そんな行動を取られては、反応できる物も出来なくなる。


「……どうせなら、目の前にいるオレの事をもっと見て欲しいね」


自分を見つめ、至近距離で囁かれる言葉に、思わず鼓動が高鳴ったのを感じた。


「ねぇ、浅水。オレの言葉は、ちゃんとお前に届いているかい?」


少しかすれたような低めの声。
滅多に聞くことの出来ないソレは、どこか官能的で、浅水の顔を赤らめるのに充分効果的だった。


「ヒ、ノエ……」


妙に喉が乾いたように、満足に声を出せない。
真っ直ぐに見つめてくる緋色の瞳も。
月明かりに照らされた鮮やかな朱も。
その仕草一つさえ、どこか計算しつくされたよう。


「手、指先、吐息」


顎を掴んでいた手でするりと頬を撫でられれば、ゾクリと身が震える。


「お前の身体は、ちゃんとオレを感じてる?」


唇をなぞる指が離れると同時に、近付いてくる物に目を閉じる。
そっと、触れるだけのそれに、一度離れる。


「なら、ヒノエは私を感じてる?」


わざわざ確認するのは、未だ夢ではないかと思っているからか。
一度失うことを覚えてしまえば、ずっとその恐怖に脅かされる。
ヒノエが今夜起きていたのも、それが原因だろうか。


「ああ。けど、ちゃんとお前がここにいるって、夢じゃないって証明が欲しいね」


証明。
どうすれば、ここで証明出来るだろうか。
血を流すことは許されない行為だ。
そうなると、今出来るのはこれくらいか。
浅水はヒノエの手を取り、自分の胸にその手を導いた。
ちょうど左側。
心臓がある位置に。
夜着の上からではなく、直接肌に触れるように。
ヒヤリと冷たいヒノエの手のひらに、少しだけ身を竦めるが、それは直ぐさま自分の体温と同じ温かさになる。
一方、浅水がそんな行動に出るとは思いも寄らなかったヒノエは、僅かばかり目を見開いた。


「わかるかな?ちゃんと、動いてるよね」


柔らかな胸から伝わる、確かな鼓動。
それが、浅水は生きているのだと、力強く主張している。
手のひらから伝わるその鼓動を、しばらくの間感じていたヒノエは、そっと胸から手を離した。
途端、温もりが失われたことに、少しだけ寂しさを感じながら、浅水は乱れてしまった胸元を整える。


「私はちゃんとここに、ヒノエの側にいるよ」
「そうだな、浅水はちゃんとここにいる」


確かめるように再度頬を撫でてくるヒノエに、しがみつくように抱き付く。
もう二度と離さないように。
離れないように。
頬を撫でる手が、意図的に顔を上に向けさせる。
その次にやってくる物は予想できるから、彼がしやすいように、少しだけ顔を傾ける。


「浅水……愛してる。誰よりも、何よりも」


思いも寄らない愛の言葉に、今度は浅水が瞠目する。
ヒノエが何より愛して止まないのは、熊野の地だ。
だのに、そんな言葉を言ってしまって良いのだろうか。


言の葉は言霊となる。


神職にあるヒノエが、それを知らないはずはないのに。


「うん。私もだよ」


愛してる、と。
そう告げることがはばかられたのは、これから待っている決断を危惧してか。
それとも、それ以外の何かを恐れてのことか。
どちらにせよ、今の浅水にはそれを答えるだけの術は持っていなかった。


「けど、残念だな」
「何が?」


しみじみと、さもありなんと言わんばかりに呟くヒノエに、思わず首をひねる。
彼は一体何が残念だというのだろうか。


「ここが景時の屋敷じゃなければ、今すぐにでも浅水をオレのモノにするんだけど」


ニィ、と口端を斜めに引き上げる。
その言葉を、頭の中で反芻すれば、浅水は今までにないくらいに赤面させた。
ヒノエの言っている意味は、もちろんそういう意味なわけで。


「別に、オレはどこでも構わないんだけどね。浅水が手に入るなら」
「バッ……な、何言ってんの!」


浅水が色事でヒノエに勝てるはずもなく。
彼の腕の中から逃れようともがくも、より一層強く抱かれ、それは適わないものになる。
小さく唸りながら彼を睨めば、楽しそうに笑みを浮かべる顔が見える。
その顔が、何か思いついたように輝く瞬間を、浅水は見逃さなかった。
つ、と背中を冷や汗が流れる。

逃げなければ。

本能的にそう悟るが、悲しいかな。
ヒノエにしっかりと身体を固定されて、逃げようがない。
どうすべきか……。
考えている間にも、ヒノエの顔が自分の首筋に埋められる。


「っ……」


その瞬間、首筋にチリッと走った衝撃。
そして、ゆっくりと離れていくヒノエ。
再び浅水見た彼の顔は、どこか楽しそうにも見えた。
浅水と浅水の首筋を交互に見てから、耳元に顔を寄せる。


「オレ以外に悪い虫がつかないように。お守り」
「なっ……」


その言葉で全てを理解した浅水は、パッと自分の首筋を手で押さえた。
多分、ヒノエが自分につけたのはキスマーク。
しかも、よりによって着物で隠れない場所だ。
これでは明日、気がついた望美に何か言われるに決まっているではないか。
この手の話は、望美くらいの女の子が特に好物とするものだ。


「っ……この、確信犯!」
「褒め言葉として受け取っておくよ」


悔しくて、唇を噛みながら呟けば、晴れ晴れとした爽やかな笑顔が向けられる。
全てがヒノエの計算のうちだったのだと、どうして気付かなかったのだろうか。
部屋まで送ると言ったヒノエの言葉を辞退して、ものすごい勢いで部屋へ戻った浅水だが、その後しばらくは胸の鼓動が煩すぎて寝ることは適わなかった。










……ノーコメントでっ!(脱兎)
2007/7/31



 
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