重なりあう時間 | ナノ
運命の上書き編 拾壱
百拾肆話
積もった塵は例のことわざどおり山になってやがて私を押し潰すということ弁慶や望美、ひいてはヒノエ、将臣、譲といった面々に質問攻めにあった浅水は、彼らに解放される頃にはすっかり疲れ果てていた。
朔から渡されたお茶を一口飲み、ホッと息をつく。
「しっかし、お前ってば、あっちにいた頃と雰囲気とか全然違うよな」
改めて浅水を頭から見下ろし、将臣がしみじみと呟く。
「そうだよね!ていうか、顔も違うと思うんだけど」
「先輩、そんなこと言ったら本当に別人ですよ」
将臣につられるかのように望美も言えば、譲が苦笑しながらフォローを入れる。
だが、そういいつつ望美に同意しているのは、譲の言葉でわかった。
全くフォローになってない。
「翅羽……いや、浅水だったな。こいつはお前たちの世界にいたときと顔が違うのか?」
チラチラと視線を寄越しながら、九郎が現代組に説明を求める。
どうせなら本人に聞いた方が早いのに、と思いながらも、自分と九郎の馬が合わないのは周知の事実。
ここで何か言おうものなら、どんな言葉が出てくるかわかったものじゃない。
だから、九郎が現代組に聞いたのは、賢明な判断だったといえるだろう。
「そうだね、あっちにいたときも綺麗だったけど、なんていうのかな……中性的?」
「そうね、今は女性と知っているけれど、殿方の格好をしているときは、本当に男だと思っていたもの」
望美の言葉に朔が同意すると、二人はそのまま盛り上がった。
さすが女の子。
共通の話題があると、それについて話が止まらない。
「そういや、お前は昔から自分がどれほど綺麗か知らなかったよな」
「確かに。そんなこともあった」
「ちょ、いつの話よソレ」
しみじみと語るヒノエと敦盛に、思わず動揺する。
それほど昔に、そんな話が出ていたとは、露程も知らなかった。
「思い出話に花を咲かせるのも悪くはありませんが、そろそろ本題に入りましょうか」
ぽん、と軽く手を叩きながら弁慶が提案すれば、途端に空気が一変する。
ピン、と空気が張り詰めたような、軽い緊張感。
熊野別当、源氏の大将、平家の還内府、そして、龍神の神子。
思えば、とんでもない人たちが一堂に会しているのだ。
後白河院が言っていたことも、あながち間違ってはいないだろう。
しかし、これから何を話すというのか。
熊野別当に会いに来たと言っておきながら、その場に将臣も連れてくる理由がわからなかった。
熊野は未だ、源氏に力を貸してはいない。
そして当然の事ながら、平家にも。
将臣が本宮へ来た理由も、恐らく熊野の力が目当てなのだと想像は付く。
だが、まさかこの場でどちらにも強力はしないと宣言させるつもりなのか。
「そういやそうだったな。んで、別当に会いに行くのか?」
「いえ、その必要はありませんよ」
「何だって?」
やんわりと、いつもの笑顔で答える弁慶に、将臣の顔がしかめられる。
だったらここまで来た意味がない、とその顔が物語っている。
「だって、熊野別当はすでにこの部屋に来てますから」
ねぇ?と同意を求めるのは、誰に対してなのか。
恐らく、別当本人になのだろうが、将臣の姿を捉えている弁慶は、ヒノエを見てはいない。
どうやら、瞠目してる将臣の様子を見て、満足しているのだろう。
「君も、別当が誰か、おおよその見当は付いているんじゃないですか?ねぇ、将臣くん?」
どこか棘を含んだ言い方に、将臣があ〜、だのと訳のわからないうめき声を上げて、視線を逸らす。
その言い方だと、弁慶は将臣の正体を知っていたのだろうか。
そう考えてから、弁慶が昔、平家に薬師として取り入っていたことを思い出す。
ならば、その時にでも将臣の事を噂に聞いていたか。
「……狸の化かし合い」
ボソリと呟いた浅水に、弁慶の鋭い視線が向けられる。
慌てて口を押さえ、弁慶の顔を見ないように顔を巡らせる。
ここで弁慶の顔を見たら、メデューサを見るよりも恐ろしい物を見せられそうだと内心ごちる。
「もう、弁慶さんってば!将臣くんを脅さないでくださいよ!」
「酷いな、僕は脅してるつもりなんてないんですが」
弁慶のその言葉に、何人がツッコミを入れたのかは、彼らのみぞ知る。
望美は九郎の隣へ移動し、その場に正座をした。
「将臣くんは、私が白龍の神子なのは知ってるけど、もう一つの呼び名は知らないよね?」
「もう一つの?」
望美の意図が理解できなかったのか、おうむ返しに言った将臣に、しっかりと頷く。
そんな彼女の表情も、先程までのどこにでもいる少女から、戦場を駆けめぐる戦神子のものへと変わる。
突然雰囲気を変えた望美に、将臣もどこか驚きを隠せないようだった。
だが、それをおくびにも出さず、目をすがめてみせるだけだ。
「私のもう一つの呼び名はね、源氏の神子なんだよ、将臣くん」
「なっ……!」
思わず腰を浮かせた将臣に、どれほどの衝撃があったのかはわからない。
だが、望美がそれを言ったことによって、今まで敵対していた人物が、自分の幼馴染みだと気付かされた。
もしかしたら、戦場で顔を合わせていたかもしれない恐怖。
お互いに、刃を交えていたかもしれない事実。
それに驚いたことは確かだろう。
しかし、望美が将臣にそれを告げるということは、望美も、将臣の正体というか立場を理解しているのだろう。
でなければ、自分が「源氏の神子」だなどと、名乗りは上げなかっただろうに。
「そして、九郎さんが……」
「望美、それは俺が言う」
望美が九郎について話そうとすれば、それを本人が拒む。
変なところで馬鹿正直というか、何というか。
これが九郎義経という人間なのだと、浅水は自分を納得させるしかなかった。
「俺は源九郎義経。源氏の、総大将だ」
九郎が正式に名乗りを上げた瞬間に殺気が上がる。
だが、それも一瞬。
瞬きするほどの時間で、その殺気もかき消えた。
九郎自身から、何の気も感じなかったことで、自分に殺意を与えるわけではないと理解したのだろう。
「ね、将臣くん。私たち、ちゃんと名乗ったよ」
だから、次はそっちの番。
まるで、何でもないことのように促してくる望美に、将臣は髪を掻いた。
そのまま部屋を見回し、視線を止めたのは敦盛のところか。
同じ平家として、彼の意見を聞いてみたいのだろう。
将臣の視線に気付いた敦盛は、小さく頷いただけだった。
「ったく、仕方ねぇな。俺は有川将臣、けど、還内府とも呼ばれてる。これでいいか?」
肩を竦めた後、存外にもあっさりと将臣が名乗った直後、殺気というよりも驚愕の声が九郎から上げられた。
彼にとっても、将臣が還内府だということは、想像し難かったのだろう。
九郎だけじゃない。
声には出さなかったが、景時や、譲もそれには驚いた様子だ。
「うん、充分だよ」
ニッコリと微笑む望美は、そんな彼らとは裏腹に、全てを知っているようで。
二人が互いに自分の身分を明かした後、今度はヒノエの方を向いた。
微笑む顔はそのままに、瞳は真剣そのもの。
「ヒノエくん」
言葉はそれだけ。
だが、それで充分だった。
「浅水、おいで」
「え?」
ヒノエに手を引かれ、二人が向かったのは将臣と九郎、望美のいる丁度その中間。
どちらからも同じような距離が離れている場所に、二人は腰を下ろす。
ヒノエは理解してやっているようだが、浅水には全然わからない。
とりあえず、冷静になることだけを頭に置いていた。
「さて、源氏、平家の両大将が名乗ったんだ。オレも名乗らなきゃ失礼に当たるってね」
いつもと変わらぬ口調。
しかし、その顔に浮かぶのは不敵な笑み。
いかにも何か悪巧みを考えてそうな表情に、将臣はこの数刻の間に、どれだけ驚かされるのだろうと少々同情する。
「オレは熊野別当、藤原湛増。そして、熊野の神子姫であり、別当補佐の翅羽……いや、もう浅水でいいよな」
ヒノエの問いというより確認に近い言葉に、黙って頷く。
みんなに全てを話した今、浅水という名を隠す必要はもう無かった。
「……必要はないって、そういうことかよ」
しばらくして、苦虫を噛みつぶしたような表情で言った将臣の第一声が、それだった。
軽く弁慶をねめつけながら言うが、睨まれた本人はどこ吹く風。
そんな視線は痛くもかゆくもないと言わんばかりに、満面の笑みを将臣に向けた。
「手間が省けて良かったでしょう?」
あまつさえ、そんなことまで言われてしまってはぐうの音も出ない。
将臣は降参と言わんばかりに両手を天へと向けた。
そんな将臣に、望美が膝で彼に近付く。
「あのね、私たち時空を越えてやって来たって言ったよね?」
「おぉ」
「だから、これから起きる運命も知ってる。けど、私たちはその運命を変えたいの。だからね、将臣くん」
彼の正面まで移動し、ぺたりとその場に座り込む。
「将臣くんにも、協力してほしいの。お願い」
少しだけ上目遣いに将臣を見上げ、畳に頭が付くのではないかと思われるくらい深く、望美はその頭を下げた。
ほぼ土下座に近い状態のそれに驚いたのは、将臣だけではない。
まさか、望美がそんな真似をするとは思わなかったのは、その場にいた誰もが同じだった。
「このまま運命を進めても、どこかで誰かが必ず悲しむことになる。だから、そうしないためにも、平家にいる将臣くんの協力が必要なの!」
「おいおい、大袈裟すぎやしねぇか?」
呆気にとられたように失笑しながら言えば、バッと望美の顔が上げられる。
その表情があまりにも真剣すぎるから、将臣は言葉を無くして望美の顔をただただ見つめた。
「大袈裟なんかじゃない。私は、本気なの」
真っ直ぐに見つめる望美の瞳には、強い意志が宿っていた。
それは、その場にいた誰もが空気で感じることが出来た。
浅水だって、望美の意志の強さを知らないわけではない。
そこまでして将臣に頼むということは、望美自身が、経験した事が大きいのだろう。
浅水のことを説明しているときに、望美たちは白龍の逆鱗と四神の力を借りたと言っていた。
そもそも、白龍の逆鱗は彼女が運命を上書きするために、時空を越えるために用いられてきた物らしい。
幾度、その運命に涙してきたのだろう。
幾度、大切な人たちを失ってきたのだろう。
白龍の逆鱗の力によって何度も同じ運命を繰り返すというのは、どれほど過酷な物なのか。
自分は知っているはずの人物が、自分のことを知らないというのは、どういう気持ちなのか。
あぁ、そういえば、自分も再び熊野へやってきたときに、その気持ちは経験したはずだったのに。
人間というのは単純な生き物だ。
嬉しいことがあれば、辛かったり、悲しかったことがあっても、すぐにそれを記憶の彼方へと押しやることが出来るのだから。
「将臣くん、もう一度聞くね。協力、してくれる?」
頼んではいる物の、それは随分と威圧的な物で。
むしろ尋ねるというよりは、脅迫に近いんじゃないかと数名が冷や汗を流した。
そんな彼女の態度にひるみもせず、何かを考えるように、将臣は腕を組んだ。
考えているのは、多分平家の人たちのことだろう。
清盛が怨霊として蘇ったとはいえ、まだ生者も多いのだ。
「一言で協力って言われても、どんな内容かを聞いてからじゃないと、話にならねぇな」
その一言に、望美の表情がパッと輝いた。
内容如何では考えないこともないと、将臣はそう言っているのだ。
望美は、嬉々として将臣に説明を始めた。
「……ヒノエたちはどこまでこの内容を知ってたわけ?」
目の前で繰り広げられている様子を眺めながら、問いかける。
「さて、ね。オレたちも、望美から教えられたことは限られてた。ただ、源氏と平家の仲を取り持ちたい、ってね」
返ってきた答えも、どこか飄々としていてとらえどころがない。
何か、得体の知れない力によって、手のひらの上で動かされているような気がする。
それは、白龍という名の神がいるせいか。
(いや、それだけじゃない)
腰にはいた小太刀にそっと手をやる。
座っているため、その様子はわからないが、おそらくこの様子は四神も見ているのだろう。
そんなに気になるのなら、いっそのこと白龍の元へ戻ればいいのに。
神にも意地っ張りというものがあるのだろうか。
「やっぱり、浅水は神々に愛されてるね」
言われた意味がわからなくて、声の発信源を探す。
すると、白龍がにこにこと笑顔を浮かべていた。
「どういう意味?前にも、同じ事言ったよね」
前にも、というのは前の時空の熊野での話だ。
あのときも、詳しい理由は教えてもらえなかった。
「浅水は気付いてないみたいだけど、浅水を加護する神々は沢山いる。愛されている証拠だよ」
やっぱり神というのは、人間には理解できないものらしい。
白龍の言葉で痛み出した頭に、浅水は誰か説明できないかと思わずにはいられなかった。
その後、望美からの要請を了承した将臣は、再び再会することを約束して、熊野の地を去っていった。
浅水たちも、しばらく熊野で身体を休めてから、熊野を発つことにした。
ここまでくれば、後の展開はわかるはず
2007/7/26