重なりあう時間 | ナノ
運命の上書き編 玖





百拾弐話
 喪失を抱くのと同じ手で






ヒノエと触れ合っている場所から、彼の体温を感じる。

とくん、とくん

彼の胸元に顔を埋めれば、確かに刻む生のリズム。
生きているのだと、確かに感じることが出来た。
少し冷える夏の夜に、その温もりが有り難い。
何も言わずに自分を抱き締めているのは、この場に存在していることを確認するためだろうか。
声を発してしまえば、夢のように霧散すると。そう、思っているのだろうか。


あぁ、けれど。


このままヒノエの腕の中にいるのも魅力的だが、それよりも今は、彼の声が聞きたい。
その声で、自分の名を呼んでもらいたかった。
他の目を気にして、二人きりのときにそっと呼ぶのではなく、ハッキリと自分の名を。
少し離れようと身体を動かせば、それを拒否するように更に強く抱きしめられる。
全く、これでは子供が自分の大事なおもちゃを取られないように、必死でしがみつくのと同じではないか。
そう思い、そっと溜息をつく。
だが、彼をここまで追い詰めてしまったのは、自分の責任でもある。
以前ヒノエに、自分が見る夢は自分が死ぬ夢か、と問われたことがあった。
それに浅水が返した返事は「否」
確かに、自分が死ぬ夢は見ていなかった。
見ていなかったが、譲の夢を違えようと思った時点で、自分の死は決まっていたように思う。
四神は浅水に、命の保証は出来ないと言った。
それは、浅水のことを考えて言ってくれた言葉なのだろう。


覚悟とは、命を賭けるということではなく、命を投げ出すという意味。


それをわかっていながら、敢えてヒノエには何も言わなかった。
いや、言いたくはなかった。
言えば、止められるのはわかっていたから。
これ以外に最善の手はないと言えば、渋々とでも納得してくれたかもしれない。
でも、ヒノエは最後まで違う方法を探しただろう。
浅水が死なずにすむ方法を。


「……ヒノエ」


そっと声をかければ、ビクリと震える身体。
これほどまでに、浅水の死はヒノエに恐怖を与えたのか。
その事実に、胸が痛んだ。
けれど、このままこうしていても何も始まらないし、終わらない。


「ヒノエ」


再び名を呼び、覗き込むように彼の顔を見る。
月の光のせいで逆光になってしまい、彼がどういう顔をしているかはわからなかった。
けれど、そんなものがわからなくても、雰囲気でわかる。
伊達に十年も、一緒にいたわけではない。

今にも泣きそうで、けれども泣くのを堪えている。

そんな顔をしているのだろう。
背中に回していた手を解き、ヒノエの頬にそっと触れる。
思っていたとおり、頬に濡れた後は感じられなかった。
けれど、泣いている。

ヒノエの、心が。


「大丈夫だよ。私はこうしてここにいる。ちゃんと、生きてる」


宥めるように、安心させるように。
少しでも、彼が負った心の傷を癒すために。
自分がちゃんと存在していることを、ヒノエに知ってもらうために。

そして、泣いてしまえと。

胸のつかえを全て吐き出せと促してやる。

今この場にいるのは、熊野別当でも、八葉でもない。

ただのヒノエなのだ。

十年前から一緒にいる自分に、何も遠慮などする必要はない。
だから、構わないのだと教えてやる。


「…………ッ、浅水…………」


しばらくすると、ようやくヒノエはその表情を崩した。
だからといって、声を上げる分けでもないが。
浅水を抱きしめていた腕の力を更に強め、肩口にその顔を強く押しつける。
肩から感じる彼の微かな震えと、着物が僅かに濡れる感触で、ようやく感情を吐き出してくれたと安堵する。
そんなヒノエを抱きしめながら、大丈夫とゴメンねと幾度となく繰り返す。

自分の頬を何かが伝っていると感じたのは、そんなときだった。

触れてみて、それが涙だと理解する。
そこで浅水も、ようやく涙を流すことを許されたのだと思った。
田辺で再会してから、溢れそうになるこの思いを、ずっと堪えていた。
それが、ようやく叶えられた瞬間だった。
ヒノエと同様、もしくはそれ以上にヒノエに抱き付き、浅水は零れ落ちる雫を感じていた。





「悪い、こんなみっともない姿見せるなんてな」


暫くして、ようやく落ち着いたヒノエが、そっと浅水から離れた。
温もりが離れていくことに、少しだけ寂しさを覚えたが、緩く首を振って否定する。


「ちょっと、悪い夢を見てさ」


そう言うのは、ヒノエが自分をあのときの浅水だと思っているから。
浅水も時空を越えたのだと、知らないから。
今ここで、ヒノエにだけは真実を教えようか。
でも、そうなると、必然的にもう一人にも教えてしまうことになる。
ヒノエだけならまだしも、彼にまで教えてしまうのはどこか癪に障る。
だから、結局ヒノエにも言わないことに決めた。
全ては明日と望美たちにも言ったのだ。
明日話しても、構わないだろう。


「悪い夢?」


何を指して悪い夢と言っているのか知っているが、敢えて知らない振りをした。
悪い夢だと思うのなら、それでもいいだろう。
今を、見てくれるのならば。


「あぁ、お前が、死んだ夢」
「酷いな、勝手に殺さないでよ。私はちゃんと生きてるでしょ?」


笑って一蹴してやれば、そうだよな、と返事が返される。
だが、すぐにその表情が曇るのは、この時期見ていた夢のせいだろうか。


「なぁ、浅水」
「何?」


真剣な表情で見つめてくるヒノエの視線が、痛い。
この次に何を言われるか、大体予想はつく。


「お前は今、何を夢に見てる?」


やっぱり。
予想通りの質問に、どう答えたものかとそっと息をつく。
だが、この頃はまだあやふやな物しか見ていなかった。
現実味を帯びてきてはいる物の、細部にわたってはまだわからない。
わかるのは、これから先、望美たちに何かが起きるということだけ。
だから、正直に答えても構わないかと考える。


「まだハッキリとはわからない。わかるのは、これから先、望美たちに何かがあるということだけ」


そう告げれば、そうかと小さく呟いて、何かを考える仕草になる。
彼が何を思案しているのかはわからない。
恐らく、これから先のことであろう事は、想像できのだけれど。


「もし、もし浅水の身に危険があるような夢なら、それが現実の物になる前にオレに教えてくれ」
「わ、かった」


あまりの真剣さに、思わず頷いてしまった。
この先に起きることなど、すでに知っているのに。
だが、もしこれが自分の知っている運命じゃなければ、どんな物が待ち受けているのだろうか。
今の自分は、まだ夢を見ていないから、何とも言えなかった。


「浅水」


再び名を呼ばれ、今度は一体何だろうと顔を上げれば、上げた瞬間に視界が何かで塞がれた。
塞がれたと思っていたのが、ヒノエの顔だったと理解したのは、唇に触れる柔らかな感触で。
ついばむように何度も触れてくるそれに、自分からも触れてやる。
そうすれば、驚いたように一度だけ動きが止まった。
それを狙っていたように、言葉を紡ぐ。


「私は、ヒノエが好きだよ」


今までちゃんと自分の気持ちを、彼に伝えたことはなかった。
軽くあしらうように言ったことはあっても、真剣な気持ちで言ったことなどない。
ましてや、普段のヒノエを見ていれば、言ったところで玉砕するのは目に見えていたから。
だが、自分の死を経験して、思ったことがあった。


いくら後悔はなくとも、未練はあるものなのだと。


だから、再びヒノエと再会できたら、その時は素直な自分の気持ちを彼に伝えておこうと。
例え、結果がどうなったとしても。


「ヒノエ……?」


何も言わないヒノエに、一体どうしたのかと眉をひそめる。
いつもなら、甘い言葉に見せかけた軽い言葉が返ってくるはずなのに。
今日はそれがない。
やはり、まだ本調子ではないのだろうか。


「……浅水、その言葉、本当かい?」


ようやく発っせられたその声は、真意を探るようで。
多分、ここで嘘だと言っても信じてはもらえないであろう。
そう悟ると、浅水は薄く笑んだ。


「嘘をつく必要がどこにあるの?」
「質問に質問で返すのはどうかと思うんだけど……」


いつぞやの弁慶と同じ事を言いながら、次第にヒノエの顔がほころんで行くのがわかる。


「でも、お前が嬉しいことを言ってくれたからね。許してやるよ」


腰に腕を回され、腕力で宙に持ち上げられる。
落とされないようにと、ヒノエの首に自分の腕を巻き付ける。
その場で回るヒノエに、余程嬉しかったのだとわかるが、こんな自分でもいいのだろうかと不安になる。
ヒノエに言い寄る姫君たちは、それはもう美人揃いだ。
自分など、遠く劣らない。
だが、それを聞くのは怖かった。
だから、あえて知らない振りをする。


「浅水」


自分を見上げてくるヒノエに、そのまま顔を近づける。
何も言わないように、言われないように。





その後、部屋へ行くわけでもなく、二人は濡れ縁に腰掛け、月を眺めながらたわいもない話をした。
それは浅水が京から熊野へ戻ってきてからだとか、ヒノエが望美たちと一緒にいたときに話。
しばらくして、肩に掛かる重みに隣を見れば、ヒノエが寄りかかるように身体を預けていた。
それに少しだけ笑みを浮かべながら、再び月を見る。


「そこにいるのはわかってるんだけど、いつまで隠れてるつもり?」


何気ない振りで声をかければ、きしり、と床が鳴る。


「やはり、気付いていたんですね」
「出歯亀なんて、弁慶らしくないんじゃない?」


首だけを相手の方へ向ければ、そこに現れた弁慶の姿。
大分前からいたのは知っていたが、いい加減夜というよりは朝に近い時間帯だ。
普段なら気付いたはずのヒノエが気付かなかったのは、余程浮かれていたのだろう。


「僕らしい、というのはどういうことをいうんでしょうね」
「弁慶?」


近付いてくる弁慶は、どこか普段と違うような気がした。
いつもの、何を考えているかわからない笑顔ではなく、強いて言うなら軍師の顔。


「あなただって、知っているでしょう?僕の気持ちを」


弁慶の言葉に、思わず目を閉じた自分がいた。
以前にも弁慶に告白されたことがある。
そのときは、いろいろな理由を付けて断った。
だから、諦めてくれていたと思っていたのに。


「知ってるよ。だけど、弁慶の気持ちは受け取れない」


彼の自分を見つめる瞳は、恋愛対象とは違うと気付いたのはいつの頃だったか。


恋愛と憧れは、似ている。


浅水はそれに気付いたから、弁慶の気持ちに応えることは出来ないと思った。
第一、自分はようやく想い人に気持ちを伝えたばかりだというのに。


「やはり、僕では駄目なんですね」


残念そうに笑みを浮かべる弁慶は、どこか儚く見えた。
そう、まるでこのまま消えてしまうんじゃないかと思えるくらいに。


「でもね」


そのままその場を去ってしまいそうな弁慶に、慌てて声をかける。
そうすれば、その場でピタリと足を止める。
振り返らないのは、彼のせめてもの抵抗だろう。


「私は、弁慶に会えて良かったと、あなたに助けらて本当に良かったと思ってる」


浅水の言葉が途切れると、弁慶は何も言わずにその場から立ち去った。
悪いとは思っている。
弁慶の気持ちに応えられないことに。
それでも、自分は初めて彼を見たときから、惹かれていたのだと思う。





十年前の熊野で会った、鮮やかな朱に。










甘いのとそうじゃないのが混ざってます。
弁慶、ゴメンッ!
2007/7/22



 
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