重なりあう時間 | ナノ
運命の上書き編 伍
百捌話
もどかしくて泣きたくなるけれど、笑っていたいんだ船が勝浦へ着くと、浅水は急用が出来たと告げて、田辺へと急いだ。
以前はそこで再会できたはず。
確か、新熊野権現辺りでだったか。
恐らく今回も、同じ場所で再会できるだろう。
そう予想を付けると、間に合うように出来るだけ急いだ。
ここで望美たちに会えなければ、すれ違いになる。
本宮へ行こうにも、後白河院のせいで回り道しなければいけなくなる。
となると、再会したときが微妙だ。
「このペースなら間に合うはずなんだけど……」
新熊野権現にさしかかった頃に、見覚えのある木を見付けてそれに登る。
その木は以前も浅水が登った木だった。
あのときは、望美たちの気を感じたからここで待つことにした。
だが、今はその気を感じられない。
もしかして、すでにこの場を通り過ぎてしまったのだろうか。
ヒヤリ、と背中に汗が伝う。
その場で根気よく待つことにすれば、それほど時間をおかずに、自分の知る気を感じることが出来た。
「…………は、きっと…………す……」
「それは…………て、…………んの…………」
「そこへたどり着く…………君が…………でしょう?」
「…………、弁慶さんにそう言われると、嬉しくなりますね」
次第に近付いてくる話し声。
初めのうちは聞き取れなかったが、近付くにつれてその内容も、声もハッキリと耳まで届く。
会話の中に、自分の知っている名前が出てきたことで、それが浅水の待ちこがれていた人たちだとわかる。
少しだけ枝から身を乗り出せば、一行の先頭を歩く人物の姿が見える。
その姿を確認して、思わず胸の奥が熱くなった。
だが、ここで泣いてはいけない。
望美と弁慶が姿を見せたということは、自分がみんなの前に姿を見せるのも時間の問題だ。
今泣いていたら、何事かと思われるに決まっている。
ぐ、と涙を堪え、一行の様子を眺める。
だが、視界の端に緋色が入ってきたときは、我を忘れて彼に抱き付きたい衝動に駆られた。
彼に触れて、謝りたかった。
でも、それは許されない事。
今の自分は、屋島で死んだ浅水ではないのだ。
熊野で、約束通りヒノエの帰りを待っていた翅羽だ。
謝るべき事は、違うこと。
京で彼に誤解させてしまったことだけ。
だから、屋島でのことを謝ったとしても、彼にその意味はわからない。
浅水は思わず木の枝に爪を立てた。
言えないということが、これほどまでにもどかしいだなんて、思いもしなかった。
ぎり、と歯がみまでしたときに、自分へ送られてくる強い視線を感じた。
誰がと思うが、すぐに誰からの視線かを思い出す。
あのときも、自分を見付けたのは彼ではなくて、彼の叔父だった。
「そろそろ、出てきたらどうですか?」
そこにいるんでしょう?と問う彼の声は、いつになく楽しそうで。
いや、楽しそうというよりは、嬉しそうといったほうが適切なのかもしれない。
こんな弁慶の声を聞くのも久し振りだ、と改めて思う。
さすがに、戦のときは彼の厳しい、固い声しか耳にしない。
そう思うと、ついつい顔がほころぶのがわかった。
こんな些細なことが嬉しいだなんて、自分もどうかしている。
でも、それが生きているという証でもある。
それを知らない彼らには、何もないことで自分が笑っているのを見て、不思議に思うのだろう。
それならば、熊野で久し振りに再会したときのように。
折角姿を隠していたのに、あっさりと見付けられてしまったことに、がっかりしたように。
「相変わらず、見付けるのが早くて嫌になるね」
嘆息をつきながら、今の精一杯の皮肉をぶつける。
本当は頬が緩むのを止められない。
大きく深呼吸を一つ。
よし、と小さく呟いてから、浅水は木の枝から飛び降りた。
「っ……翅羽さんっ!」
浅水の姿を見るなり望美が飛びついてくるのはわかっていた。
わかっていたから、少しは心構えが出来ていたのだけれど。
望美がしたのは、飛びつくというよりもタックルに近かった。
その衝撃は思っていたよりも強力で、飛びついてきた望美もろとも浅水は後ろに倒れ込んだ。
「った……」
思い切り後頭部を強打し、目の前に星が見える。
そんなゲームのようなことを思い浮かべていれば、ようやく望美が我に返った。
そう、今の状況を説明すると、浅水は望美に押し倒されている状態。
「ごっ、ごめんなさい!」
慌てて浅水の上から起きて離れる。
頭を抑えたまま目を閉じている浅水の姿に、オロオロとし始める彼女が可愛い。
そんなことを考えながら小さく笑い始めると、途端にキョトンと浅水の姿を見やる。
「翅羽、さん……?」
「っふ、はははっ。望美ってば、随分と大胆だね」
「なっ……」
笑いながら上半身を起こせば、浅水の言葉に望美の顔が朱に染まる。
それを見て、尚も笑っていれば、いい加減望美のほうもへそを曲げてしまう。
「全く、頭を強打しておかしくなったんですか?」
浅水の脇に膝を付ながら、打ったばかりの後頭部を看る。
幸いにも、こぶは出来ていない。
おかしくなった、という台詞も、普段なら皮肉を交えながら返すところだが、生憎今の自分はおかしくなっているのかもしれない。
「ふふ、私がおかしくなっても、誰も困らないだろう?」
「僕が困りますよ」
返ってきた言葉に、思わず目を丸くする。
今、目の前の腹黒軍師様は、何か妙な事を言わなかっただろうか。
「元気そうで何よりです」
だが、次に普通の言葉を言われてしまったから、それについて考えていることは出来なかった。
でも目の前の弁慶が妙に嬉しそうなのは、一目瞭然で。
チラリと周囲に視線を走らせても、自分を見るみんなの目が、どこか違うような気がした。
「まぁね。そっちも元気そうでなにより」
とりあえず弁慶の手を借りてその場に立てば、着物に付いた土埃を軽く払う。
そして、未だ心配そうに自分を見ている望美の方を向き、にっこりと微笑む。
「久し振り、望美。そして、ようこそ熊野へ」
「翅羽さんっ!」
そう言えば、再び彼女に抱き付かれた。
今度はちゃんと加減していたらしく、そのまま倒れ込むようなことはなかった。
そんな望美の背中を軽く叩きながら、改めて他のみんなの顔を見回す。
一つの朱を確認して、思わず口を開きかけた。
感情に流されてただ言の葉を紡いではいけない。
きゅっと唇を噛んでから、結局いつぞやと同じ言葉をその口に乗せる。
「お帰り、ヒノエ」
「……あぁ」
そうすれば、返ってきた返事もかつてと全く同じ物。
やはり、誤解を解かねばならないのだと、痛感した。
日置川峡までなんて待っていられない。
例えヒノエが聞いてくれなくても、ここで誤解を解いておいた方が絶対にいい。
未だ自分に張り付いている望美を軽く離すと、ヒノエの目の前に立った。
「あの、さ」
どう切り出すべきか。
すでに終わったことを、再び繰り返すのは苦痛でしかない。
しかも、相手にとっては現在進行形でそれが続いているのなら、尚更だ。
いざ誤解を解こうと思っても、何を話したらいいかわからない。
浅水がどうしようか悩んでいると、ふわりと抱きしめられる感覚。
一体何が、と思えばいつの間にかヒノエの腕の中に捕らわれていた。
「ヒ、ノエ……?」
どうして自分はヒノエの腕の中にいるのだろうか。
自分の記憶が確かならば、今のヒノエは自分と目を合わせるのも嫌なはずだ。
「……京では、悪かった」
耳元で小さく囁かれた言葉。
それに驚いて、思わずヒノエの顔を見た。
「ど、して……」
言葉が思ったように形になってくれない。
「オレの勘違いのせいで、お前に迷惑かけた」
そう言って、再びゴメンと謝罪するヒノエを、浅水は信じられないように見つめていた。
どうして?
その言葉だけが頭の中を占めている。
自分の知っているヒノエは、ここで浅水に謝ったりなどしなかった。
いつだって、自分が話しかけようとしていたのに、避けていて。
それに気付いたみんなも、二人の間に流れる空気に困惑して。
それなのに、今の状況は何だろう。
ヒノエが先に謝っている。
これで自分も彼に謝れば、無事に和解成立。
これから先の熊野も気まずい空気はなくなる。
(死んだはずの私が過去に戻ってきたから、それまでの運命が変わった……?)
考えられるのはそれしかなかった。
運命が変わったというのなら、これから起こる近い未来も、変わるかもしれない。
自分がヒノエと共にある未来も、あるのかもしれない。
そこまで考えてから、浅水は恐る恐るヒノエの背中に腕を回した。
「私こそ、ごめん」
肩口に顔を埋め、くぐもった声で小さく謝る。
これ以上口を開いたら、堪えていた物が溢れ出しそうだった。
「仲直り、だね」
「うん、よかったですね。翅羽さん」
しばらくして、控えめにかけられた声に顔を上げる。
それにありがとうと答えながら、望美よりも先に聞こえてきた声に首を傾げる。
いや、聞いたことがないとは言わない。
言わないが、確かこの場では聞かなかったはずなのだ。
将臣、は少し離れたところで九郎と譲で何か話している。
弁慶は敦盛と一緒にいるし、景時は朔と一緒にいる。
ヒノエは自分の目の前にいる。
リズヴァーンはいつものように、寡黙だ。
そうなると、残っているのは必然的に、一人。
「もしかして、白龍……?」
指を指しながら、答えを求めるように望美へ尋ねる。
尋ねられた望美はといえば、ちょっとだけ首を傾げてから、浅水の指が示す方を見やる。
指差された本人は、何のことかわからずにただ首を傾げている。
熊野で再会したときには幼いままだった白龍が、なぜか今は大きく成長しているのだ。
白龍の成長は、熊野でするはずだったような……。
「あっ!」
浅水と白龍を交互に見比べ、ようやく何を言っているのか理解した望美が、思わず口を押さえた。
それに、どうしたのかと、他の視線が集まる。
「将臣くんが何も言わなかったから、忘れてた……」
「おいおい、俺のせいかよ」
「兄さんは少し驚くことを覚えた方がいいかもな」
「この世界で驚いてたら、命がいくらあっても足りねぇよ!」
眼鏡のフレームを指で押し上げながら、冷静に解析する譲に、思わず将臣のツッコミが入る。
将臣の反論に内心同意したのは、他の誰でもない、浅水本人だ。
気付いたら子供の姿というのも、中々に衝撃的だと思う。
(そういえば、熊野権現……ま、本宮に行ってからでも良いか)
お礼を言わなければならなかったんだ、と今更のように思い出す。
少し時間はかかるだろうが、熊野の地にいる限りいつか必ずお礼を言おう。
やっと再会しました。
お互い時空跳躍したことを知りません。
2007/7/14