重なりあう時間 | ナノ
運命の上書き編 弐
百伍話
惜しいと思ってる自分が恥ずかしいさて、一体これはどういうことだろうか。
目の前にいる煌びやかな人たちに、軽いめまいを覚える。
というより、自分は死んだはずではなかろうか。
死した後も、人は意識をもっていられるのか。
とりあえず、自分の身体を見回してみて、外傷がないことを確認する。
まぁ、外傷が付くようなことはしていないので、なくて当然。
手を握ったり開いたりして、力が入ることも確認する。
それから、恐る恐るその場に立つ。
足に力が入らないのでは、と危惧したが、それは杞憂に終わった。
両の足でしっかりと地――と言えるか怪しいが――を踏みしめる。
「結局、私はどうなったわけ?力を吸い取られる感覚と、意識がなくなるところまでしか記憶にないんだけど?」
とりあえず、現状を把握しようと説明を求める。
『人の言葉で言うならば、あれは死と呼べるだろうな』
口から言葉が紡がれているはずなのに、頭に直接響くような感覚はそのままだ。
随分懐かしい感覚だが、まるでヘッドフォンを付けて会話を聞いているようで面白い。
「死んだ後も自我が残っている、なんて、普通は考えられないんだけど」
『ならば、汝が普通ではないのだろう』
けろりと言われ、思わずカチンときたが、相手は神だと自己暗示をかけ無理矢理自制する。
しかし、白龍のように四神も人型になれたことに驚きだ。
力がないから人の姿に、というのはわかる。
わかるが、四神は力を失ってはいないはずだ。
もし、自分のために人型になったというのなら、もっと以前から人型になっていただろう。
そう思うと、考えつくのは一つ。
「やっぱり、私は死んだことになってるのかしら?」
死んで、肉体を持たなくなったから、四神の姿を見ることが出来たのだろうか。
あぁ、でも自分はそこまで神に近くはないはずだから、その考えも違うかもしれない。
『いや、汝の考えはある意味正しい』
『そして、肉体を失ったというのも、また事実』
言われた言葉にギョッとする。
自分は今、思ってはいた物の口には出していなかったはずだ。
四神は人の思考を勝手に読むのだろうか。
だが、今まではそんなことなかったはず。
『汝が肉体を失っているのが最大の要因よの』
『今の汝は身を守る術を何一つとして持っておらなんだ』
『我らがこの空間に留めておかねば、汝は消滅しておろう』
『だが、このままでは汝が不快か。我らも読まぬように気をつけよう』
相も変わらず四神の言うことも的を得ない。
となると、自分は四神の好意で未だこの姿を留めているということか。
けれど、その理由がわからない。
そもそも、自分を留めておいたところで、四神にはなんの得にもならないではないか。
「どうして、助けてくださったんですか?」
尋ねれば、四神の笑い声が響く。
そんなにおかしいことだったんだろうか?
訳がわからず浅水はただただ首を傾げるばかりだった。
『我らはただ汝に興味があっただけのこと』
「興味?」
『さよう。熊野権現が肩入れするほどの人間に』
熊野権現?
どうして熊野権現がそこで現れるのだろう。
四神の考えていることが全然わからない。
「……肩入れしてもらっているとは思えない」
思わず呟いた。
熊野ですらその気配を感じたことがなかったのに、肩入れなんてもってのほかだ。
『汝は気付いておらなんだか?』
浅水の呟きを聞き取った四神の一人──生憎、誰が誰かわからない──が楽しそうに言った。
「何が、ですか?」
『おやおや、これでは熊野権現も報われまい』
『だが、それも仕方のないこと』
「や、だから説明して欲しいんですけど」
勝手に納得されても、こちらが困る。
それとも、初めから教えるつもりがないのだろうか。
『それくらいにして、教えてやってはどうだ?』
浅水の顔を見て、苦笑を浮かべながらもう一人が言った。
それほどまでに自分は酷い顔をしているのか、と思わず両手で頬を押さえた。
折角好意を抱いてくれている神に、仏頂面というのもいかがな物か。
何とかして普通に戻らないかと、顔の筋肉をほぐしてみる。
そうしている浅水の頭に何かが触れる感触があった。
思わず顔を上げれば、残る一人が浅水の頭に手を乗せている。
『汝が熊野へ降りたとき、幼子の姿にしたのは、熊野権現その人よ』
「え……?」
思いもかけない衝撃の事実、とはよく言った物だと浅水は実感した。
叫ぶことすらしなかった物の、開いた口がふさがらない。
十年前に熊野へたどり着いたときに、子供の姿だった理由が熊野権現。
その事にももちろん驚いたが、どうして四神がそれを知っているのだろうか。
そして、知っているということは、自分が十年前に流されたことも知っているはず。
神だから何でも知っていると言いたいのか。
それだったら、もっと早く教えて欲しかった。
今ではなく、熊野で生活していた頃に。
そうすれば熊野権現に文句の一つでも言ってやれたのに。
でも、あのときの姿のまま十年前にたどり着いていたら、確実に自分はこの戦に加わることは出来なかった。
それは望美たちに会う機会もなかったということか。
そう考えると、今の姿で良かったのかもしれない。
もし、望美たちが熊野へ来るのが必然だったら、会えたかもしれない。
弁慶と湛快に拾われていたら、の話だが。
子供の姿だったから、あの二人に拾われたのではないだろうか。
だとすれば、元の姿の場合、確実に今の自分は存在しない。
熊野権現には礼を言うべきなのだろうか。
「でも、死んだ身では礼を言うことすら出来ないわね」
自嘲気味に零しながら、自分の姿を見る。
生きているのと全く変わらない。
いっそのこと、生前の姿でなければよかったのに。
そうすれば、完全に自分は死者として割り切れたはず。
なまじこの姿では、期待してしまう。
本当は、まだ死んではいないのではないかと。
覚悟はすでに決めていた。
それに嘘はない。
ヒノエに黙っていたことは本当に謝っても謝りきれない。
最後に見た彼の顔は、苛立たしげな物で。
いつもの笑顔ではなかったことが、悔やまれてならない。
でも、それすら自分が選んだことだ。
『礼が言いたいのか?』
「言いたいわね。私が存在できたのは、熊野権現のおかげなわけだし」
『ならばその機会を汝に与えよう』
「へぇ、熊野権化をこの場に呼ぶつもり?」
機会を与えてやると言われて、思い浮かんだのはそれだった。
この場に熊野権現を呼べば、自分も礼を言うことが出来るだろう。
だが、四神が言った言葉は浅水を更に驚かせるのに、十分だった。
『我らが呼ばずとも、自分で言いに行けば良い』
『熊野の地ならば、簡単に熊野権化の元へ行けるであろう?』
「ちょ、ちょっと待って!簡単にって言うけど、どうやって行けって言うのよ」
まさか今の状態なら飛べる、とか言わないよね?と少々疑問に思ってみる。
いや、四神のことだ。
突拍子もないことを言うに決まっている。
浅水は次に言われる言葉を、祈るような気持ちで待った。
せめて常識的な事を言ってくれ、と。
神に常識を求めるのは間違っているのだろうか。
だが、死んだ身とはいえ、自分が人間であることに変わりない。
常識を求めるのは、人として当然のことだ。
『無論、汝の足で』
『我らはそのための力を汝に』
『熊野権化も、汝の死は不服と見た』
『それだけではなかろう』
『天の朱雀か』
『白龍の神子と、その八葉たちもな』
『あれらは既に決断したようだ』
『ならば、我らも早く済ませることにしよう』
目の前で本人を無視して進められる会話に、どうした物かと明後日の方向を見た。
多分、自分が何を言っても聞いてくれるとは思えない。
ならば、全てが決まってから結論だけを簡潔に伝えてくれると有り難い。
『汝は、時空を越える覚悟があるか?』
話が終わったのか、問われる事柄に再び溜息をつく。
せめて主語を入れてくれ。
用件だけを言うな。
文句を言いたいのを我慢して、髪の毛を掻く。
「また覚悟?死んだ私に、今更覚悟と聞かれても答えかねるわよ」
『ならば質問を変えよう』
『汝は、彼の者たちに再びまみえたいか?』
彼の者たち。
それがヒノエや望美たちを指しているのは明白。
会えるのならば、会いたい。
会って、一言でいいから謝りたかった。
ヒノエに。
「会えるの……?」
『多少の制限はかかるが、汝が望むならそのための力を貸そう』
多少の制限くらい、どうということはない。
制限の一つに姿を見せないことがあったら少し困るが、そうでなければ何でも良い。
「会いたい」
切実に、そう思った。
もう一度再会できたのならば、未練もなくなるだろう。
『ならば、汝に制限を教えよう』
そう言って教えてもらったのは、至極簡単なことで。
本当にそれだけでいいのかと、疑いたくなる。
「ありがとう、四神」
『言ったであろう?我らは汝に興味があったと』
「それでも、本当に感謝してるから礼を言うのよ」
『では、覚悟は良いな?』
問われ、しっかりと頷く。
浅水を中心に、四神がその周りを囲む。
清浄な力がふくれあがるのを感じる。
さすが四神。
自分の力とは大違いだ。
『次の運命では、汝の望む未来を』
四神の言葉の意味はわからなかった。
その言葉の意味を考えるまもなく、浅水は光に包まれた。
時空跳躍
2007/7/8