重なりあう時間 | ナノ
屋島編 拾弐
百壱話
泣いたってどうにもならないだろう小太刀の柄に手を縛ってあるため、浅水は妙な体勢でその場に倒れた。
浅水が倒れたことで四神もこの場から離れたのだろう。
周囲を覆っていた清浄さは既に失われている。
「翅羽」
慌てて浅水の元へ駆け寄り、柄と手を縛っている紐を切る。
そうすれば、重力に従って地面へと倒れ込む身体を、やんわりと抱き止める。
「翅羽、返事をしなさい。翅羽」
軽く浅水の頬を叩いてみるが、反応はない。
その顔色は既に青白いを通り越して、紙よりも白い。
「この運命で、お前がこのような選択を取るなど、誰が想像できたのか……」
本来なら、この運命で黒龍の逆鱗から望美を庇ったのは譲のはずだった。
だからこそ、譲を好いている望美の嘆きが満ちるこの運命は、彼女を想うリズヴァーンにとっても歓迎出来ない運命。
だが、この運命に浅水が存在するのは初めてだった。
それは望美にとっても同じ。
そして、浅水の存在が、運命を変える結果となった。
平家が引いた今、譲の命が失われるということはない。
同時に、これから先の運命がわからなくなった。
こんな運命は見たことがない。
望美が求める捜し人が見つからない今、この運命も彼女が求めるものではないかもしれない。
「それでも、お前を失うのを神子は望まないだろう」
リズヴァーンは浅水を抱き上げると、未だ地に刺さったままの小太刀を抜き取る。
そのまま鬼の力を使って、その場を後にした。
一方その頃。
無事に扇当てを終わらせたことと、平家が引いたことで源氏の兵たちはみんな浮き足立っていた。
そんな中、厳しい顔をしているのはヒノエだった。
周囲にいる望美たちは、そんなヒノエにどうしたものかと困惑気味。
先程嫌な予感がすると言ったきり、どこか苛立っているようにも見える。
肝心の浅水とリズヴァーンの姿も、未だ見つからない。
これでは、引き上げようにも引き上げることが出来ない。
「それにしてもヒノエくん、どうしちゃったんだろうね〜」
「嫌な予感と言っていたが、それが関係しているのだろうか?」
「翅羽に関してのヒノエの嫌な予感は、恐ろしいほどに的中しますからね……」
こそこそと大の男が三人で顔を寄せ合っている。
景時や九郎ならまだしも、それに弁慶が加わると、とてつもない違和感を感じる。
「譲くん、ホントに身体は何ともないの?」
「ええ、あの結界のおかげでしょうか。俺には傷一つもありません」
譲の心配をしているのは望美だった。
自分を庇ってくれたのはいいが、それで怪我でもしていたら元も子もない。
守られているだけは嫌だ。
だからこそ、自分は剣を取ったし、みんなが幸せになれる運命になるように、運命を上書きしているのだ。
「でも、先輩は本当に四神の力に心当たりないんですか?」
先程の四神の力による強力な結界。
自分たちの中で、四神の力を使えそうなのは、白龍の神子である望美だ。
だが、その望美が知らないとなると、誰が四神を呼んだのだろうか。
「うん、知らないよ。ねぇ、白龍。さっきのは本当に四神の力だったの?」
「神子。そうだよ。あれは四神の力だった」
「でも、望美が知らないのでは、他に誰かが四神を呼んだということよね?」
望美が白龍を呼べば、会話に朔も加わった。
それから暫く、四神の力について話していたが、一向に誰が四神を呼んだのかはわからなかった。
「弁慶はいるか」
ふいに後ろから声をかけられ、望美は振り返った。
そこにいるのは、先程から姿が見えなかった師の姿。
「先生?!」
望美の声に、みんなの視線がリズヴァーンに集まる。
そんな中、我先にとリズヴァーンの元まで来たのはヒノエだった。
「先生、翅羽はっ?」
「ヒノエか……」
ヒノエの姿を見て、リズヴァーンが一瞬目を伏せた。
そんなリズヴァーンの様子に、ヒノエの嫌な予感は更に増長される。
「すまない……」
小さく謝罪し、自分の胸元に視線をやる。
その視線を追って、彼の胸元に顔を向ければ、そこには探していた浅水の姿。
だが、紙よりも白い顔色と、力なく地に向けて垂れている片腕のせいで、いつもの姿とは酷くかけ離れて見える。
信じられない物でも見たかのように、小さく首を振る。
それから浅水の頬に触れ、リズヴァーンの腕から彼女を受け取ると、その場に膝をついて恐る恐るその頬に触れた。
それから口元に手を当てる。
白い顔には微かに熱が残っているが、その口からは呼吸を感じない。
「何だよ、それ……アンタがいながら、どういうことだっ!」
キッと下からリズヴァーンを睨み付ける。
悔しいことに、今は浅水を抱いているから、つかみかかることは出来ない。
そんな視線を静かに受けながら、リズヴァーンは再び謝罪の言葉を述べる。
「ヒノエ、僕に診せてください」
事の重要さに気付いた弁慶が慌てて膝をついた。
外傷を調べるが、右手についている紐の後以外、目立った傷は見当たらない。
脈を調べれば、自分の求めるそれは見つからない。
弁慶は項垂れて首を横に振った。
それが何を意味するか、その場にいる誰もが理解した。
「そんなっ!」
「翅羽殿……」
「どうして翅羽がっ」
「まさか、あなたはこうなることを知っていたんですか……?」
「譲くん、それはどういうことだい?」
誰もが信じられないと首を振る中、譲は小さく呟いた。
それを聞き取った景時が、不思議そうに訳を問う。
「翅羽さんも、俺と同じように夢で先を見るらしいんです。それで、彼女は俺が死ぬことを知っていた」
「それじゃ、譲くんの代わりに翅羽ちゃんがこうなったとでも?」
「だが、腑に落ちない。そもそも、外傷がないこと自体おかしいじゃないか」
「説明、してもらえんだろ。じゃなきゃ、こっちも納得できねぇ」
真っ直ぐにリズヴァーンを見る目は、質問に答えるまで逸らされそうにない。
説明を求められても、リズヴァーンは自分の見たことしか教えることはできない。
それでも、彼らに──否、ヒノエに説明しなければならないのだろう。
「お前たちも、四神の力は確認したな?」
「はい、あの力のおかげで、黒龍の逆鱗の力から守られました」
「そうか……。あの力は、翅羽が呼んだものだ」
リズヴァーンの言葉に、白龍がその顔を上げた。
「浅水が……?そうか、浅水だったら、四神を呼べるかもしれない」
一人納得したように独白する白龍に、数名が驚いた顔をした。
ヒノエ、弁慶、敦盛は白龍が浅水の名を知っていたことに対して。
自分から名乗ろうとはしなかった浅水だ。
白龍に話していたとは考えられない。
そして、望美と譲も、同じ理由から穴が空くほどに白龍を見つめていた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「翅羽さんを浅水って言ったよね……一体どういう事?」
「そういえば、望美たちの捜している人の名前も浅水と言ったわね」
以前に望美が言っていたことを思い出し、どういうことかしら?と朔の視線が白龍へ向けられる。
そんな白龍と言えば、自分が何か拙いことでも言ったのかと、キョトンとしている。
「白龍の話も気になりますが、いつまでもここにいるわけにいきません。話は戻ってからにしませんか?」
「あ、あぁ。それもそうだな」
これ以上話が長引く前に弁慶が提案すれば、九郎がどこか怯えたように頷いた。
それもそうだろう。
今の弁慶は、表面上笑ってはいるが、何か黒い物を感じないでもない。
自分の感情をかろうじて抑えているというところか。
「ヒノエ」
呼びかければ、その肩が揺れる。
これから何をしなければいけないか、ヒノエだってわかっているのだ。
だが、理解はしていても、実際にはそう簡単ではない。
「…………」
「ヒノエくん?どうするの?」
浅水を抱いて立ち上がったヒノエに、望美が首を傾げる。
あぁ、彼女は知らないのだ。
戦死者たちをどうするかを。
「他の戦死者たちと弔って、埋葬するんだよ」
多少言いにくそうに景時が告げれば、望美の目が見開かれた。
今までも、戦死者たちはそうやってきた。
それは、怨霊をこれ以上生み出さないようにするためでもある。
親しい人たちを戦場で亡くしたことがない望美は、その亡骸をどうしているのか知らなかったのだ。
「そんな!」
「ヒノエくんには可哀想だと思うけど……わかってやってよ」
「彼女を、平家に操られる怨霊にするわけにはいきません」
「だが!」
「……翅羽、殿を怨霊に変わらせてしまうわけにはいかない」
「事は一刻を争うんです」
「…………」
仲間たちが言い争うのを、ヒノエはどこか遠くで聞いていた。
浅水がもう動かないなど信じられない。
まだほんのり温かい身体は、ともすれば今にも動き出しそうで。
「ヒノエ、僕のことを恨んでくれていい。憎んでも構いません。でも……」
「わかってる」
弁慶の言葉をみなまで言わせずに、ヒノエは顔を上げた。
ヒノエは望美たちに先に行くように告げると、他の戦死者たちが集められている場所へ、浅水を運ぶ。
望美たちには見せたくなかった。
「浅水……」
どんなに望んでも、その唇が開かれることはない。
その瞳が、ヒノエを捉えることもない。
二度と、名前が紡がれることは、ない。
ヒノエの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
ここで正体がバレました……
2007/6/30