重なりあう時間 | ナノ
屋島編 拾壱





百話
 神域でないかと思えるような






胸元に柄と手を縛った小太刀を掲げる。
既に抜き身の小太刀は、陽の光にキラリとその刀身を輝かせる。
浅水は一度目を閉じてから、真っ直ぐに天を見据えた。


「青龍、朱雀、白虎、玄武」


四神の名を呼んだ瞬間、それらが浅水の呼びかけに応えてくれたのが分かった。
神気を強く感じる。
四神たちが存在した空間とはまた違った感じがする。
明らかに、先程までとは空気が違った。
血生臭い戦場とは場違いなほどに、清浄な空間。
多分、ヒノエや白龍はこの気配に気付いているだろう。
何しろ、白龍は人身になっているがあれでも神だ。
そして、ヒノエは神職でもある。
熊野の神に愛でられている彼が、神気に気付かないはずがない。


「四方を司りし神々よ。その力を以て我に御力貸したまえ」


だが、だからといって四神を呼ぶのを止めることは出来ない。
今止めてしまったら、確実に望まない未来が現実となってやってくる。


「翅羽、お前は一体何をする気だ」


リズヴァーンも、浅水のやろうとしていることに気付いたのだろう。
その口調は変わらずとも、どこか緊張感を含んでいるのが分かる。
それもそうだろう。
二人が今いる空間は、恐ろしいほどに強いプレッシャーがあるのだから。
下手に動くことなど出来はしない。


「それは、人の身には過ぎた力だ。止めなさい」


先に手出し無用と伝えてあるせいか、口には出すが手は出してこない。
むしろ、手が出せないといった方が正しいのかもしれない。
いくら鬼とはいえ、神の力の前ではその力も無力に等しい。
浅水はリズヴァーンを振り返り、微笑を浮かべながら首を横に振った。
そんなことは誰に言われるまでもなく、自分が一番よく知っているのだ。
そして、それを知っていて止めることなど出来ないことも。


「東に在るは青龍の木気。南に在るは朱雀の火気。西に在るは白虎の金気。北に在るは玄武の水気」


自分の言葉に従い、四神が四方に飛ぶのが分かる。
それを感覚で感じながら譲を見れば、丁度扇に向かって弓を放った瞬間。
弓は綺麗な放物線を描き、平家の船に掲げられた扇に向かって飛んでいく。
幸いなことに、風は追い風。
ぐんぐんと距離を伸ばした弓は、見事、扇を打ち落とした。

その瞬間。

源氏の兵たちから沸き上がる歓声。
距離があるこの場からでは分からないが、望美や譲たちも喜んでいるのだろう。


それが、平家──清盛──の狙いであるとも知らずに。


船上で扇が打ち落とされるのを見ていた清盛は、素直に感嘆の言葉を呟いた。
そのまま、着物の懐に手を入れる。
それは、何かを取り出す仕草だと誰の目から見ても明らか。
だが、源氏の兵たちの中で、清盛の行動に気付いた人が、果たしていたかどうか。
懐から何かを取り出した清盛は、ゆっくりと。



その手を天に掲げた。



突如、晴天だった空に暗雲が立ちこめる。
突然の天候の変化に、誰しも困惑の色を隠せない。
雷鳴と共に、清盛の持つソレから、何か巨大な力が放たれたのはその直後。
それを見た瞬間、浅水は力の限り声を張り上げ、最後の一文を紡ぎ出した。


「それらの一切を支えるは、中央に在りし土気なり!」


言い終わると同時に、小太刀を大地へ突き刺す。
すると小太刀が大地に触れた瞬間に、それは起こった。







清盛が放った巨大な光が望美めがけて向かってくる。
それを庇うように、譲が彼女に覆い被さった。
誰もが、譲の倒れる姿を想像した。
しかし訪れるはずの衝撃は、いつまで経ってもやってこない。


「え……?」


恐る恐る振り返れば、自分の目の前に光の粒子が見える。
触ってみれば、それはしっかりとした固さを持っていた。
光の粒子は、どうやら清盛の放った光とぶつかって出来た物らしい。


「何だろう、これ。壁みたい……」


望美が軽く叩けば、コンコンと音がする。


「すごいね、神子!」


少し興奮した様子の白龍に、望美は思わず首を傾げる。


「白龍、すごいって何が?」
「だって、この力は四神の物だよ?神子が四神の力を借りて、黒龍の逆鱗の力を防いだんでしょう?」


聞き覚えのない言葉の羅列に、思わず目を白黒させる。


四神?

黒龍の逆鱗?

力を借りるって、誰が?


「ねぇ、白龍。清盛が使ったのって、黒龍の逆鱗の力なんだよね?」
「そうだよ?それを今防いでいるのが、四神の力」
「なるほどね〜、四神の力で強力な結界を作っちゃったわけだ。すごいや、望美ちゃん」


白龍の説明を聞いて納得した景時が、感心しながらコンコンと結界を叩く。
だが、望美は四神の力など借りた覚えは全くない。
そもそも、四神という単語自体、今聞いたのだ。


「でも先輩、いつの間に四神の力なんか使えるようになったんですか?」
「……わかんない」


フルフルと首を横に振る望美に、みんなの視線が集まる。


「分からないって……だったらどうやってこんな強力な結界を作ったんだい?」
「無意識に四神の力を借りたんでしょうか?」
「神子……?」
「私、四神の力なんか知らない!」


全身を使って否定する望美に、どうやら本当に知らないのだと誰もが気付いた。
だが、それならば一体誰が……?


「あぁ、こんなところにいたんですか。丁度良かった」
「弁慶、どうかしたのか?」
「どうかしたのは、僕じゃなくてヒノエですけどね」


少し遅れて現れた弁慶は、どこからか走ってきたようだった。
説明をしながら視線を少し後ろへ移動させる。
そこには、弁慶と同じように走ってきたヒノエと敦盛の姿。
敦盛はそうでもないが、ヒノエはいつもの姿からは考えられないほどに、焦燥しているのが分かる。


「アンタたち、翅羽と先生がどこへ行ったか知らないか?」
「どうやら、この辺りにはいないようなのだ……」
「いや、先生は見ていないが」


緩く首を振りながら、求める姿は見ていないことを告げると、ヒノエは舌打ちをして地を蹴った。


「ヒノエくんってば、一体どうしたの?」
「嫌な予感がするんだ」


ヒノエを宥めながら理由を聞けば、ヒノエはそう言って唇を噛んだ。







小太刀を地に刺した途端、体中から力という力が、大地へ向かって流れていくのを感じた。


「く……っ」


柄に縛り付けてある手を抑えるように、空いている方の手も上から重ね合わせる。
そうすれば、重ねた手からも力が抜けていくのが分かった。


「翅羽!」
「近寄らないでっ!」


思わず地に膝を突いた浅水に、リズヴァーンが慌てて駆け寄る。
だが、強い声で拒絶すれば、リズヴァーンの足はその場で踏み留められる。


それでいい。


これ以上、リズヴァーンが自分の側へ来ないのを見て、ほっと安堵した。
自分も、リズヴァーンも同じ土属性だ。
自分に触れれば、彼もどうなるかわからない。


四神が教えてくれた、時間を稼ぐ方法。
それは至極簡単なことだった。
所詮、四神はそれぞれの属性しか持たず、五行からは属性が一つ欠けてしまう。
黒龍の逆鱗の力を防ぐ時間を稼ぐためには、欠けた属性を補えばよい。
幸いにも、浅水はその属性を持っていた。
しかし、それを補うには四神と同等の力が必要となる。
全てが同じ力でなくては、弱い部分に負担がかかり、そこから崩されてしまう。
だが、同じ力を保とうにも、人間である浅水には無理であることなど目に見えている。


命の保証は出来ない。


それが、四神の言った覚悟だった。


元よりハイリスクなのは覚悟の上。
初めて四神の力を借りたときですら、自分はそれに耐えきれなかった。
多分、今回も耐えきれる自信はない。


「まだ、なのっ……」


黒龍の逆鱗の力が収まるまでは、何としても倒れるわけにはいかなかった。
今自分が倒れてしまっては、途端に結界がほころび、壊れてしまう。


それは直ぐさま譲の死に繋がる。


望美のためにも、それだけは避けたかった。
だけど、すでに身体の感覚が失われつつある。
リズヴァーンに手を縛ってもらったけれど、自分はまだ小太刀を掴んでいるのだろうか?
次第に、視界が霞んでくる。
意識を持たせようと唇を噛もうとするが、それすらもおぼつかない。





早く。



早くこの瞬間が終わればいい。



ヒノエは、怒るかな。



それとも、呆れるだろうか。



彼に謝ることは、とてもじゃないが無理だろう。



せめて、一言でいい。



はっきりと自分の気持ちを伝えておけば良かった。





そこで、浅水の意識は完全に失われた。
その直後、結界も失われたが、黒龍の逆鱗の力は既に消滅した後だった──。









いろいろとゴメンなさッ(脱兎)
2007/6/28



 
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