重なりあう時間 | ナノ
屋島編 拾
玖拾玖話
枝分かれした道のどちらを行くかで揉めるのは一緒に行くのが前提だから目の前にある浅水の姿に、リズヴァーンは少々困惑した。
今の浅水は普段とは違い、その長い髪を自然に流している。
格好だけは変わらないが、こうしてみると確かに女性だとわかる。
髪形一つでこうも変わる物なのか、と改めて感心した。
だが、自分に頼みがあるというのはどういうことだろうか。
今まで、お互い余り話を交わしたことはない。
だから、リズヴァーンは自分が必要とされる理由が分からないのだ。
「それは、私でないといけないのか?」
逆に問い返され、浅水は迷いなく「はい」と即答する。
リズヴァーンの問いは、そのままとれば拒絶とも取られかねない。
だが、そうではないことを浅水は知っていた。
今まで余り親しくしていなかったのだ。
それなのに、突然頼まれごとを持ちかけたのだから。
戸惑い。
そう言ってしまうのが、一番合っているのかもしれない。
「この場から離れて、見晴らしのいいところに行きたいんだけど……鬼であるリズせんせなら、できるよね?」
「……無論」
「おい、翅羽!」
ぐい、と強く肩を引かれ振り返れば、そこにはヒノエの姿。
いつの間にか彼もやってきたのだろう。
その顔に、うっすらと浮かぶのは、焦燥だろうか。
「お前は一体何を考えてる?」
「何って、この戦いのことに決まってるじゃない」
何を今更、と付け加えれば、ヒノエは苛立たしげに髪の毛を掻く。
いつもならもっと上手い言葉が出てくるのに、どうして肝心なときに限って言葉にならないのか。
そんなヒノエの姿を、浅水はじっと見ていた。
そんな中、兵たちの間にざわめきが起こった。
何かあったのか、とそちらを振り返れば、海上にある平家の船を指差している姿が見える。
「平家からの挑戦だ!」
「平家の船に、扇が掲げられたぞ!」
飛んでくる声につられるように船を見れば、なるほど。
確かに、平家の船の一つに扇が掲げられている。
平家から挑戦を受けた以上、源氏はこれを受けないわけにはいかないだろう。
だが、弓の名手である那須与一は、命に関わるような怪我を受けていたはず。
となると、その弟子である譲が代わりに挑戦を受けるのか。
「先生」
平家の船から視線を外し、改めてリズヴァーンを見る。
もう、残された時間は僅かしかない。
急がなくては。
「だが……」
言い辛そうに言葉を濁すリズヴァーンの視線は、浅水から逸らされヒノエに。
それを目で追って、どうしたものかと思案する。
自分を案じているヒノエがいては、リズヴァーンはてこでも動かないだろう。
だからといって、ヒノエに言って彼が引いてくれるとは思わない。
丁度良い具合に、彼の意識は平家の船に向いている。
何も言わずに行くのは気が引けるが、背に腹は代えられない。
「それが神子に……望美に関わることだとしても?」
そっと囁くように言えば、ハッとしたようにリズヴァーンの視線が浅水を捉える。
やっと意識をこちらに向けることが出来た。
もう、一押し。
「翅羽、お前は何を知っている?」
「何も。でも、今からすることが、望美のためになることだけは確かだよ」
探るような問いと、眼差し。
だが、自分が知ることなど、些細なことでしかない。
望美やリズヴァーンのほうが余程、何かを知っているように思えてならない。
「神子の……」
どうやら気持ちが揺れているらしい。
望美の名前は、リズヴァーンにとってそれほどまでに大切な物なのか。
そして、望美自身も。
それが適わぬ想いだと知っていたとしても。
「リズせんせ、時間はいつまでも待ってくれない。こうしている間にも、限られた時間は減っている」
決断を迫れば、浅水とヒノエを交互に見やり、最後に、浜辺にいるであろう望美の方を見た。
まるで眩しい物を見るように、目をすがめる。
「……この運命には、神子の嘆きが満ちている……」
小さく呟かれたそれは、浅水の耳には届かなかった。
一方、浅水は浅水で、いつヒノエがこちらを見るかと内心冷や汗を掻いていた。
出来ることなら、ヒノエに気付かれることなく、この場から去りたい。
「わかった」
ようやく返ってきた返事に、浅水はホッと胸を撫で下ろした。
ここでリズヴァーンに拒否されたら、自力で何とかしなくてはならなかった。
「とりあえず、見晴らしのいい場所へ。源氏と平家を見渡せるような」
小太刀を鞘に収め、急かすようにリズヴァーンの腕を掴みながら、後ろ髪引かれる思いでヒノエを見る。
ともすれば、彼の背中に抱き付きたい衝動に駆られる。
それを振り切るように頭を振り、リズヴァーンを見上げる。
リズヴァーンも、そんな浅水の様子に気付いたようだが、何も言わずに自分の外套で浅水をくるんだ。
次の瞬間には、浅水とリズヴァーンの姿がその場から消えていた。
「浅水……?」
ややあって、ヒノエが振り返ったときには、背後は無人だった。
唐突に変わった景色に、浅水はパチパチと瞬きした。
これが鬼の持つ特殊能力。
知ってはいた物の、実際に経験したのはこれが初めてだ。
「瞬間移動か。やっぱり便利な物だよね」
周囲を見回しながら、自分が望んだ通りの場所であることに気付く。
眼下には、源氏と平家が良く見える。
どうやらここは、少し離れたところにある小高い場所らしい。
「翅羽は、この力が怖くないのか?」
「どうして?便利で良いとは思うけどね。まぁ、金髪碧眼をどうこう言うつもりはないよ?容姿がどうであったって、私は別に構わないし」
この世界では、金髪碧眼は異端の証として忌み嫌われる。
だが、元の世界では別に珍しい物ではない。
「お前も……神子と似たようなことを言うのだな」
「そう?」
浅水の言葉に、リズヴァーンの目元が優しくなる。
望美が自分と似たようなことを言ったのは、望美も現代人だからだろう。
基本的に、現代人である自分たちは、鬼に苦しめられたことはないし、過去に何があったかもわからない。
多少、記録は残っているが、所詮記録は記録でしかない。
「とりあえず、私の用事を先に済ませてもいい?」
このまま話をしていたら、いくら時間があっても足りなくなってしまう。
リズヴァーンに了承を取ってから、浅水は再び小太刀を鞘から引き抜いた。
何を、と目を見開くリズヴァーンの前に、逆手に握った小太刀と空いた手に持っていた紐を差し出す。
「この紐で、小太刀を持つ手を縛ってくれる?なるべく解けないように、しっかりと」
「逆手……?だが、これでは戦いに不利ではないのか?」
さすが、九郎と望美の師匠。
確かに戦うのであれば、逆手に小太刀を持っていては扱い難いだろう。
だが、これは逆手でいいのだ。
戦いのために使うのではない。
この小太刀は守るために使うのだから。
「いえ、これでいいんです」
紐を持ったまま途惑うリズヴァーンに、それで合っていると言えば、不思議そうにしながらも頼んだとおりに紐で手を縛る。
それが終われば、少しだけ手を動かしてみて、本当に解けないことを確認する。
「うん、これでいい」
満足げに頷けば、チラリと源氏と平家の様子を伺う。
どうやら話はまとまったのだろう。
譲が前に出て、矢筒から弓を出した。
「何とか、間に合いそうだね」
「翅羽、ヒノエも言っていたが、お前は何をするつもりだ?」
今になって自分のやろうとすることが気になるとは、気付くのが遅いというか、はたまた興味がなかっただけか。
「内緒」
清々しいまでの笑みを浮かべながら言うと、次の瞬間にはその笑みなどなかったかのように、真剣な顔を返す。
「これから私がすることに、何一つ手出しはしないで。その場合、身の保証は出来ないから」
「翅羽?」
何かを感じたのか、リズヴァーンの眉間にしわが寄せられる。
「全てが終わったら、ヒノエに謝ってくれる?」
「ヒノエに?」
「そう」
「悪いと思うのなら、自分で謝りなさい」
相変わらず、もっともなことを言う。
そんなリズヴァーンに、苦笑を浮かべた。
彼に伝言を頼むということは、自分がそれを言えないからだというのに。
「仕方ないね。仮に出来たとしたら、そうするよ」
肩を竦めて言うと、再び譲を見やる。
弓を構え、的である扇に狙いを定めている。
あぁ、そろそろ自分もやらなくては。
源氏と平家を視界に入れたまま、浅水はすっと息を吸い込んだ。
次回、捏造万歳な扇の的当て
2007/6/26