終始腰の低い主の姿に妙な歯痒さを覚えつつも二人の会話を聴いている左近は、まるで心ここに在らずであった。
見れば見るほどに左近の記憶の奥底に眠っていた彼の人を彷彿とさせる客人を、無意識に睨め付けていた。

「そんなに見つめられると穴が空いてしまう」

上弦を描いた瞳がふ、と左近を向いて冗談交じりにそのようなことを言うのであるから、今度は射抜かんとばかりに鋭い眼光が横からこちらを突き刺してくるのを察知して苦笑を浮かべる。
どうやら豊臣秀吉の忠臣である三成は、半兵衛と同等にこのなまえという人物のことも敬愛しているらしかった。

「しかしそうだな。挨拶が未だだったか」

これは失礼した、そう言いながら小さな頭を下げる御仁に左近は恐縮して、つい自らの額を畳に擦り付けんばかりの勢いだった。
柄にもないとは思えど、そうして顔を上げた瞬間、見上げたその顔にやはり己の身内だった者の面影をどこか感じてしまう。

「私はなまえ。元は秀吉様に拾われた身でな。以来豊臣に仕えている」

そんな簡単な説明をして聞かせ、目を細めた彼女の言葉に、"お前と同じように"というような真意が言い含められているような気がして、左近は息を飲んだ。

「左近といったな。噂はよく耳にしているよ」

そんななまえの言葉に思わず眉を顰めた左近に、彼女は三成へと目配せする。
そんな視線を辿って隣を見遣れば、当の本人はどこかばつの悪そうな表情を浮かべている。
三成や大谷から直々に嘉賞されるようなことのない左近には、それが何やら良からぬ内容であるのではないかと肝を冷やしたが、彼女が言うには大層その腕と心構えを誉めそやしているというのだから目を丸くした。

「み、三成様…俺のことそんな風に誉めてくれてたんすか!?」
「喧しい、図に乗るなッ」

思わず客人がいることも忘れて普段の調子で詰め寄って来る左近に、三成はきつい口調で叱責する。
つ、と視線をやったその先でからからと笑うなまえの姿に、やはり始めの心象通り本来堅苦しい人ではないのであろうと確信した。

佐和山城で二、三泊程度足を休めてから大阪へと帰るらしいなまえの、その間左近が身辺警護を任された。
たった今しがた案内した客室の前で待機していると、閉ざされた襖の向こうから呼び声が掛けられる。

「左近」
「なんすか、なまえ様?」

す、と開いた襖から姿を見せたなまえは、羽織だけを脱いで先よりも身軽そうだ。
客間で話していた時もそうだったが寒がりなのか癖なのか、腕を組んでいる。
少し付き合えと言うその背を追いかけるが、身体はやはり思っていたよりもずっと細く、背丈も想像していた以上に小柄であった。
というのも、三成と対面する姿があまりに堂々としていた為か、三成が縮こまり過ぎていた為かはどちらとも判別つかないが、その佇まいはそれ程に大らかだったからだ。
そんな彼女を追いながら、左近は元より気に掛かっていた疑問を投げかけた。

「なまえ様って、豊臣の偉い人なんすよね?」

瞬間ぴたりと立ち止まったつま先が音もなく左近を振り返ると、切れ長の目を丸く見開いてぱちくりと瞬く。
それから悪戯っぽく目を細めると、自らをこう説明した。

「戦にも出られん木偶の坊さ」

さて、彼女の自己紹介からいよいよその正体に霞が掛かってしまった。
戦に出ないということはつまり。
姫君というのでは無論ないだろう。とすれば誰かしらの奥方だろうか。
しかし、付き人ひとり従えずに単身大阪城から佐和山城へやって来るような勇ましい奥方がいるだろうか。この日ノ本中を探し回れば何処かには居るのかも知れないが、彼が出した結論は否だ。
豊臣に仕えていると言った言葉から汲むとするならば軍師とも推測出来るが、難関はあの頭の固い三成に深く頭を下げさせる程の御仁だということ。何よりそれが左近には引っかかる。
彼の頭が解答を導き出すより先に目的地へとたどり着いた。
もうそろそろ夕餉の刻が迫っているが、そんなことは御構いなしに稽古場へと足を踏み入れたなまえは竹刀を左手に握る。

「日課なんだ。やらねば勘が鈍る」

そう言って肩を竦めたなまえに、左近はなんとなくその意図するところが分かるような気がした。
稽古と賭事を一緒くたにしてしまうのも我ながら如何なものかと思うが、懐に仕舞ってあるふたつの賽子の存在を思い出して頷く。
自らも竹刀に手を伸ばした左近の耳に、そういえば日が昇ってから初めて耳にする声が聞こえてきた。

「やはり、ここであったか」

浮遊する摩訶不思議な輿に乗ってやって来たその姿を認めるや否や、左近はその名を口にした。

「刑部さん」

お疲れっす、そんな軽薄な労いの言葉と共に瞬間だけの会釈を済ませた左近を見遣るその瞳は、やはりなにを考えて居るのか予想出来そうにない。
その視線がすぅ、と横に滑ったと思えば、恐らく彼にとってはそちらが目的であったのだろう。その口が開いた。

「"宗匠"」
「ご無沙汰しております。大谷殿」
「なに、我ごときに礼など要らぬ」

そんな大谷の言葉は謙遜をしているというよりも、皮肉を込めて相手を持ち上げるような態とらしい口ぶりである。
素顔を隠した者同士が顔を付き合わせているという、側からみればなんとも異様な光景ではあるが、そんなことなど気にも留めない左近は大谷が口にした彼女の呼び名に首を傾げた。

「そーしょー?」

左近の純粋な疑問に答える素振りのひとつも見せない大谷は、なまえを一瞥すると何やら思案するように二人の手元に握られた竹刀を見つける。
なにか合点がいったらしいその口から不穏な笑みを溢しながら、大谷はひとつの思い付きを口にした。

「我は宗匠に賭けるとしよう」

まさか彼の口から"賭け"の一言が出て来るなどとは予想だにしなかった左近は、相手が大谷でなければ真っ先に食いかかったであろう己の敗北を予想するという表明に思わず閉口してしまった。
唐突に賭事を持ち出した大谷を訝しんだなまえの眉根が寄せられるが、ひひ、と笑いながら当の本人は左近への提案を進める。

「ぬしは博戯を好んでおろう。なに、たたの気散じよ」
「なんか怪しーっすけど…ま、面白そうだからいっか!」

賭けと聞けば無条件に気乗りする左近ではあったが、それと同時に一体何を賭けるのかとの疑問を呈した。
が、まるでそれを待っていたのだと言わんばかりに大谷は笑みを深める。

「そうよの。ではひとつ、万一宗匠が敗れることがあれば其の面の下など如何か」
「万一って…そりゃ酷ぇぜ刑部さん…」

自分が敗北すること前提であるのには些か口を尖らせつつも、そうして彼が指差した先になまえの面頬があるのを認める。
左近もその面の下が気にならぬかと聞かれれば気にはなるが、三成の前でさえ外さなかった其れには何か理由があるのだろうと思っていたのだ。が。

「ふむ。良いだろう」

なまえは呆気なく頷いた。
それ以上の言葉がなかった故に、彼女自身にとってそれほど隠し通したい素顔ではないのか、それとも余程負けぬ自信があるのか、左近には分からなかったが。
しかしそれならば自分も何かを賭ける必要があるが、何が彼女にとっての利となるのか、何を欲しがるのか解らない。
無難とは言えようが、此れが彼の考えうる限りの最大であった。

「じゃあ俺が負けりゃなまえ様の言うこと何でも聞く、ってのでどうでしょう?」

始めに賭事を持ち出した大谷に利害がない事にも気が付いたが、どうやら彼にとってはその万が一で彼女の素顔を拝められれば儲けもの、くらいのものなのだろう。
予想した通り、なまえはそれで良いと頷いた。

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