雄叫びの飛び交う汗水滴る稽古場。その隅で四人ほどが輪を成して妙に張り詰めた表情を浮かべていた。
その円の中心で茶碗程の壺笊を床に伏せているのは、最近石田軍に迎えられた島左近である。
竹刀と竹刀がけたたましくぶつかり合う音や床と素足の擦れ合う音が聴こえてくる中で、彼を取り囲む空気だけが異質だった。
人好きのする笑顔と持ち前の明るさですんなりこの佐和山城にも馴染んでしまった顔だが、今の彼の瞳にはどこか人を寄せ付けない程の圧力すら感じさせている。
そんな左近の手元が開かれるのを、生唾を飲み下しながら今か今かと見守っている兵士達は、しかし次の瞬間それを見ずして背筋を凍らせた。

「…左近」
「げっ、三成様…!?」
「貴様…また下らん博打などにうつつを抜かしていたな?」

きまりの悪さから口をついた左近の感嘆に普段から逆立っている柳眉の根がぴくりと寄ったが、不機嫌を露わにしながら吐き出した嘆息ののちに説教が降ってこないことを察して三成の言葉を待った。
先まで自らを取り囲んでいた博打仲間達はそそくさと稽古に戻っていて、自分と三成のことはまるで見えていないかのように訓練に励んでいる。
近々戦があるとも報されてはいないし、普段は道場になど顔を見せない主が自分に一体何の用かと首を傾げた。

「大阪より御客人がお見えになっている」

暫しの沈黙の後、渋い顔を浮かべた主の口から出てきた言葉に、今度は別の疑問を持って首が傾いだ。
いくら豊臣の左腕と呼ばれる三成がその腕を買っているとはいえ、新参者の左近目当てに何らかの用事があるという訳では勿論ない。しかしどうやら彼はその席に同席しろと言いたいらしかった。
折角豊臣から使者として自らも良く知る人物がやって来たのであるから、今後関わることも少なからずあろうと考えて自らこうして呼びに来たというのに、だ。
"其れ"が稽古もすっぽかして遊戯に耽っているのであるから、気が滅入るのも当然と言えよう。
そんな主に今一度謝辞を述べ、迷いなく先を行く線の細い背中を左近は追い掛けた。

広い客間の襖に手を掛ける三成の白い指先を眺めながら、す、と静かな音を立てて開いたその部屋の向こうを見る。
三成の背から感じていた緊張感に当てられていた左近は、そこで思わず張り詰めていた糸が緩むのを自覚した。
豊臣の、それも三成が敬意を払う程の相手がどのような堅物であるのだろうかと想像していたのだが、どうやらそれは杞憂らしいと思い至ったからだ。
しかし三成の方は違うようで、未だ重苦しい空気を纏ったまま客人の前に座り頭を下げるのを見てその隣で主に倣う。

「健勝そうだな、三成」
「はっ。なまえ様もお変わりなきようでなによりです」

所改まって面を上げるよう言うその声に従えば、主よりも先に頭を上げてしまったことに一瞬の焦りを見せた左近であったが、"なまえ様"と呼ばれた相手の目が眩そうに細められたのを見て緊張が和らいだ。
と、同時に胸が騒めいた。
その口元から首は鴉の嘴を模したような黒の面頬に覆われており、濃色の袴と羽織に包んだ身体は三成に負けず劣らず線が細い。
鈴の音のようでありながらも凛とした芯のしっかりした声は物々しい見目に反してあまりに美し過ぎる。
切れ長の瞳を縁取る睫毛は長く、目元だけしか晒されていないというのにその面の下には恐らく美しい素顔が隠されているのであろうことが容易く想像出来た。
しかし、左近が息を飲んだ最大の理由はその美貌ではない。
短く整えられた絹糸のような紅の頭髪が、まるで自分のそれと似通っていたからだ。

生まれつき茶と紅の二色に分かたれた彼の髪色は、今でこそ此れは此れで粋だなどと開き直ることが出来ているが、それこそ幼少の頃は周囲から奇妙だと疎んじられた。
家族や村という狭い世界の中で嘗てそんな左近を肯定してくれた存在があったのだ。

「……、ねえちゃん…?」

思わずぽろりと口から零れ落ちた其れは、隣に居る主にすら聴き取れない程で、静かに静かに、風音に溶けていった。

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