果たして、覇気の感じられぬ鷹揚な「始め」の掛け声から始まったかのように思われた二人の一本勝負の行方は。
それこそ瞬く間というのはこの事を指すのかと改めて認識させられる程に疾く決着した。
それはまるで石田三成と初めて対峙し、島左近という人間が誕生したあの日を彷彿させられるようだ。

瞬きひとつの隙を突いて襲ってきた連撃は、その俊速からは想像できない程に重く、幾つ打ち込まれたのかを目で追うことは不可能だった。
気が付けば地に膝をついていた左近は、情けからであろう無傷の頭を抱えながら揺らぐ視界に息を整える。
未だ混乱している頭の片隅から、聞き慣れた主君の声が入り込んできた。

「貴様には過ぎた相手だ」
「三成様…っ」

声のほうへと顔を向ければ、いつもの仏頂面の中に少しの呆れを含んだような鋭い双眸がこちらを向いていた。
次の瞬間、彼の口から明かされた真実に左近は目を剥くことになる。

「我が師から一本取ろうなど。ろくに稽古もせず手遊びばかりしている貴様には土台無理だろう」
「我が師…って三成様の、師匠っすか!?」
「本当に何も教えていなかったんだな、三成」

驚愕に声を張り上げ、内心そんなのは狡いと慌てふためく左近に、なまえは苦笑を浮かべながら補足する。

「そう大したものではない。私は豊臣の兵を鍛えるのが役目でな」

というのも。そう続けて竹刀を三成に手渡したなまえは左手で右の袖を捲り上げた。
そこには在るはずのものが無い。厳密には、二の腕の半ばあたりで斬り落とされている。
思わず閉口してしまった左近に、なまえは肩を竦めてそれを元通り袖口に隠した。

「こんな身体では戦にも出させて貰えんのだ」

面の下でなまえは、恐らく、笑った。

話を聞くに、どうやら彼女の仕事は大師範だけに留まらないらしい。
嘗て豊臣に居た高名な茶人、千利休に代わり今では彼女が茶頭を務めていること。
また茶道だけにあらず華道や和歌にも造作が深く、更に兵法にも長けているという非の打ち所の無さは話だけでも目を見張ってしまう。
大谷が彼女を"宗匠"と称するにはこういった経緯があったのかと左近は今一度納得した。
まさしく文武両道、才色兼備を体現したような存在だ。素顔は未だ目にかかっていないわけであるが。

そんな彼女が戦に出ないのは、偏にその才を戦で散らすには惜しいという秀吉と半兵衛の考えに起因している。
現に彼女の存在が並みの兵士達の地力を底上げし豊臣軍を強化している実績がある。その証とも言えるのが彼女の一番弟子でもある三成だ。
先を見据えている二人が思い描く未来の豊臣には、なまえという人間が必要不可欠なのであろう。

さて。そんな豊臣の権力者達に重宝されるのが、決して大きいとは言えない肩書きをいくつか背負うなまえなのである。
彼女が冗談半ばに曝した右腕は、決して役立たずの烙印などでは無い。
左腕一本で三成と同格の力を持つ者なのだということを、左近は言葉通りその身に沁みて実感したのだから。

「して、宗匠は此れに何を望む」

賭けに勝ったのであるから、なまえにはその権利がある。しかし当の本人は何も考えていなかったようで、一先ず夕餉を頂こうと稽古場を後にするのだった。



翌朝の稽古場は実に"壮観"であった。
普段は道場になど寄り付かない兵士達までもが"集結して"、というのは適当ではない。的確には"小山を成して"いた。

「なまえ様ぱねぇっすね…」
「左近は難しい言葉を使うな」

死屍累々とでも形容しようか。生きた屍が次々と積み重なっていく一角を眺めながら青ざめる左近に小首を傾げると、なまえは竹刀を立て台に戻した。

昨晩もそうであるが、普段から決まって彼女の食事は自室にて一人で済ませるらしい。
食の細い三成とて同じであるが、城主である彼とはまた扱いが異なるような気はする。
侍女も居ないこの佐和山では、左近がその代わりを務めるよう三成から直々に申しつけられている。
傷一つ付こうものならその命無いと思え、とまで言われてしまったわけだが。
勿論大阪城であれば彼女付きの侍女が居るのだが、彼女曰く身支度にも然程時間を食わないから本来不必要なのだと聞いて、左近はろくに働かせて貰えないのだろう彼女の侍女を気の毒に思った。
実際には、なまえの肩書きが多いその分よく働いて居るのだが。

呑気にもそんな考え事をしていた左近は、背中の襖が静かに開くのに振り向いた。
数日ばかりその部屋の主を務める彼女の目が丸くなる。

「おまえは食べないのか?」
「早食いには自信あるもんで」

へらりと笑った左近の人懐こい顔に、仕方ないなとでも言いたげにその眉が歪められる。
その癖に、見覚えがあった。
ぎゅうと締め付けられるようなその胸の痛みと、途端に速くなった脈動は緊張からくるものだろう。

「左近?」

急に一切の動きを止めた左近の様子を訝った手が額に伸ばされた瞬間、無意識下で彼の手がそれを弾いた。
行き場をなくした華奢な手がおずおずと引っ込められるのを見て、自らが犯した非礼に血の気が引いて行く。

「ぁ、ごめん、なまえ様…」
「いや…こちらこそ不躾にすまなかった」

自分が不注意だったと詫びるなまえは取り繕うように目を細めたが、その眉は八の字を描いている。
揺れる瞳の奥が酷く傷ついているように思えて、無性に胸騒ぎがする。
同時に、目の前に立つ彼女が彼の人であるという確信が左近の中に芽生えたのだ。
困った時に笑うその癖は、姉のものに違いなかった。

- 4 -
prev | next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -