彼らが出会ったのは、3700年と少し前。
なまえが小学二年生で、千空が五つの頃だった。
転勤の多い両親の事情により、彼女が物心ついてから二度目の引っ越し当日、両親のご近所回りについて行ったなまえはそこで石神家の存在を知ることとなる。
インターホンの後に出てきたのは無精髭を生やした男と、幼い少年。
形式的な挨拶に始まり、年の近い子供を持つ親同士ということもあり、他に訪問した家と比較して大人同士の会話が弾んだようである。
丁度扉一枚隔てて姿を現した少年と同じくらいの目線の高さで顔を突き合わせた途端、彼から言われた開口一番はこうだった。

「てめークッソちびだな」

それは自分の目線から旋毛の見える少女が二つ年上だということを踏まえた上での単なる感想に過ぎなかったのだ。
千空のその失礼な一言から始まり、なまえはそれ以来暫く千空を無視し続ける。が、当の本人には全く悪気がないので悪びれもせず、無視されようが構わず話し掛けてくるので彼女は戸惑った。
幼い頃の少女にとって二つも年下の少年にちび扱いを受けたのは相当プライドが傷付く経験だったらしい。
親同士の仲が深まるにつれて顔を合わせる回数も増えたが、一年経ってもなまえは千空を前にすると口を結んだのがその証拠だった。

その蟠りが解けるのは、千空が小学校に通い始めてから初めての夏休みのこと。
仕事で両親が家を空ける為、二週間なまえは石神家へ預けられることになった。
百夜はなまえに気を遣って色々と話掛けてくれたが、一週間経ってもやはり彼女は千空とだけは仲良くする気がない。
家から持ち込んだ本を三冊読み終えたのがその頃で、丁度彼女が四冊目に選んだ本は世界的にも有名な児童書であった。

あとは寝るだけの準備を済ませて、リビングのテーブルに置いておいた本を取りに来たなまえは、自分の目当ての本を手にしている者の姿を目にして唇を結んだ。
言わずと知れた、千空だ。

「…………」

じとり、と視線を向けてはみるものの、彼は眉を顰めたり口をへの字に曲げたりしながらなまえに気付く気配もないらしい。
暫く観察していると、口元が綻んで何が面白いのか喉を鳴らしている。

「クク、意味不明すぎんだろ」

一体なにが面白いのかと思えば、意味が分からなくて笑っているのだ、千空は。そのことに気付いたなまえは、釣られて思わず笑ってしまった。

「ふふ、なにそれ」

つい言葉が口をついてしまった後で、ハッと掌で口を閉ざしたが時既に遅し。
行儀悪く肘掛を枕代わりにしてソファに寝転んでいた千空の驚いたような瞳がこちらを見ていて、なまえはばつが悪そうに視線を逸らす。

「なまえテメェ、星好きか?」

ソファから身を起こした彼はなにか閃いたような顔をすると、返事も待たずに彼女の腕を引き、自分の部屋へ連れて行った。
大量の実験道具や資材、資料で溢れたその室内に圧倒されつつなまえが連れられたのは、一台の天体望遠鏡の前だった。
覗いてみろ、とせっつかれて接眼部を覗き込むと、そこに映ったのは丸い石のようなもの。

「?…石みたい」
「そりゃあ月だ」

え、という感嘆が口から漏れ出た。月とは黄色く輝いているものと思っていたが、こうしてみると本当に、ただの石だ。
美しいとは程遠い。
なまえがその事実に黙々と衝撃を受けている間、千空は望遠鏡の所々を何やら弄り直してから再度彼女に明け渡した。
次は何を見せてもらえるのだろうかという期待を胸にもう一度同じように覗いてみると、絵に描いたような「惑星」のイメージそのままの姿がそこにはある。

「そいつが土星な」
「…輪っか、本当にあるんだ」

絵の中だけだと思ってた、そう感嘆のため息と共に零した感想に、千空は満足げに頷いて解説をしてくれる。
そして最後に、こう言った。

「俺が宇宙に行ったら、見たもん全部真っ先になまえに教えてやるよ」

自分の知らないことを教えてくれる、というのは好奇心に胸が躍った。
その言葉はまるで子供の讒言などではなく、幼い少年でありながら彼が言うと説得力がある。
なまえにとってはプロポーズの言葉よりもずっと魅力的に聴こえて、気付けば彼女は今までの千空の無礼も忘れて必死に首を縦に振っていたのだ。



幻が部屋を後にしてから、なまえはずっと考えていた。
一度、幻がはぐらかしたことを素直に間に受けていれば良かったのだろうか。
千空が死んだなど、信じられなかった。信じたくなかった、というほうが適切だろうか。
かといってあの場で答えが分かっていたとして、耳を塞ぐなどという選択も彼女には出来なかっただろう。
知らずにいることはどうしても出来なかっただろう。そういう性分なのだ。
幻から聞かされた真実を、脳が噛み砕いて理解するのは案外早いものだった。
"千空は司に殺された"。
これがミステリー小説ならば理由を探ったことだろうが、自らの大切な存在を消された時というのはそんなものどうでも良くなるらしい。

寝床に伏していた彼女は徐に身を起こし、洞穴の出入り口へ向かう。
もう見張りすら寝静まっている時刻だ。人気のないそこに足を掛けると、下から風が吹き付けてきた。
今ここから飛び降りれば、間違いなくあの世へ行けるであろう。
こんなとき千空ならきっと、いや間違いなく。
散々馬鹿だなんだと貶しながら、そのくせ困ったように眉を下げて、そして、目を細めるのだろう。あの底なしの優しさを湛えた瞳で、諭してくれるのだろう。
その様が容易に頭に思い浮かんで、なまえは口元に笑みを溢した。

視線を下から上へと移動させてみると、濃紺のキャンバスに散りばめられた無数の星が瞳に反射した。
文明の発展した時代には見られなかった、プラネタリウムでも見たことのない美しい星空。
肉眼で見ればどれも光の強弱や大小くらいの差でしかないのに、遠い昔に千空と見た空はもっと色んな形で溢れていて、新しい発見を沢山与えてくれた。
もう、何も教えてくれないと言うのだろうか。
そんななまえの心情など知らぬ星々はあんなに楽しそうに煌めいているというのに、欠けた月が寂しそうに佇んでいるのが、まるで。

「私、みたい」

月は欠けてもまた日を経れば満ちるが、死んだ人間は二度と戻ってはこないのだ。
そう悟った途端、急に現実味を帯びた寂寞が胸に渦を巻き、瞳から涙が溢れ出した。
声もなく頬を伝い、足元に染みを作るそれを拭うでもなく、時折裸足の指先に落ちる温度をなまえはひたすらに感じているしかなかった。

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